第147話:滅びよ
「なっ、転移術を!?」
ランセイルは驚愕する。移動系の魔術の中でも空間を渡る類の魔術は高難度の魔術である。〈瞬間転移〉の魔術、それも森の中に気配を感じない以上、短距離ではなく長距離を渡るもので、しかもミウリーはジョンとマメーの二人を連れて消えた。それを魔術の詠唱もなく、魔術の気配もほとんど感じさせることなく発動させるとは。
「神殿の秘術さね。知らんか」
「はい。いま、尋ねても宜しいので?」
ランセイルは急いで追わねばと思う。だが、転移術はどこに移動したか術者以外には分からない。闇雲に追えるものではなかった。
「神殿は家族関係を保護している。つまりは戸籍ってことだが、それに基づいた魔術体系を有していてね。名も、血も。最上の魔術の印だからね」
魔術や呪術の儀式にしばしば生贄や血が必要とされたり、魔女たちが見習いの間は仮の名を名乗らされるのは魔術の媒体となりやすいためである。
そしてこの人類世界において、大半の人間は産まれれば神殿に行き祝福を賜り、結婚も葬儀もそこで行う。それ故にどの国でも神殿が戸籍の管理を行なっているのだ。つまり、それを握っている神殿は極めて強い力を有しているという意味になる。
「今使われたのは、〈血縁転移〉って言ったかね。戸籍に名の記された者をその血縁者のもとに転移させるのさ」
ランセイルは唸った。
「それが神殿の秘術……!」
今回の場合は、ジョンとマメーを、彼女の母か兄弟のいる場所に転移させたということである。普通に考えればエベッツィー村に転移させたということになろうが、これが咄嗟の行為ではなくミウリーの企みであったのなら、彼らは既に村から移動していたり隠れているのが当然だろう。
「だがな……」
師匠はかつり、と地面を杖で突く。ぶわり、と彼女の小さい身体から魔力が溢れた。
それにびくり、と反応を返すものが二人。神殿騎士たちである。彼らはこの場に取り残されていた。
「なあ、神殿騎士どもよう。確かにあんたらの教義にゃ家族を保護するってのがあるだろうよ」
「う、うむ」
騎士の一人が頷きを返した。
「あたしゃマメーを二年間養ってきたが、それよりも血縁を重視する神殿の判断ってのがね、別に間違ってるとまでは言わないさ。この段階でも腹は立つがね」
「そ、それが神の御心に叶うと、司祭殿は判断なされたのだろう」
神殿騎士はそう答えた。彼らの立場としてはそう答えるしかないと分かっているので、師匠は彼らの言葉を聞いてやる気も起きない。ただ、言葉を続けた。
「だがね、それでもあたしたちゃ家族だったんだよ。それも痩せこけ死にかけた子を、生きていけるように育ててたんだ。それに感謝の一言すらなく奪って行くのが神殿のやり方かい?」
「グラニッピナ師……」
ランセイルは宥めようと声をかけるが、師匠の言葉は止まらない。
「〈血縁転移〉ってのはな、不幸にも生き別れてしまった家族を救うための術さ。それを家族を奪うために使うっていうのはねぇ……反則さね」
師匠から放たれる魔力の圧が、一際強くなった。小柄な老婆が、まるで巨人や竜が如きに感じられる。
ざわざわと森の木々が梢を揺らし、葉を鳴らしてざわめく。
「ま、待て! 私は司祭殿がこのような聖術を使われるとは聞いていない!」
「わ、私もだ!」
「ふん、知ってるさ」
知っていたなら騎士たちもすぐに逃走しただろう。逃すかは別として。
司祭としても、騎士に知らせるということはどこに転移したかが露見しかねないということである。伝えるべきではない。彼らを捨て石にしたということだが。
「これは単なる八つ当たりだよ」
「そんな無法な!」
「無法はどっちだい!」
がつん、と杖が地面を強く叩いた。高まっていた魔力がついに放たれ、師匠の黒いローブが風もないのに翻る。
「くっ!」
騎士たちは剣を抜いた。いや、抜こうとした。
「〈滅び〉よ」
師匠の言葉の方がそれよりずっと速かった。
騎士たちは剣を取り落とす。いや、落ちたのは剣ではない。腕が腐り落ちたのである。彼らは悲鳴を上げようとするが声にすらならない。喉が、肺が腐っているからだ。そしてすぐに立つこともできなくなる。
ガラガラと中身を失った甲冑が地面に転がり、音を立てた。悪臭を放つ真っ黒な肉があらわれては溶け落ちる。白骨が残るも、それすら風に吹かれて消えていった。
ふう、と師匠は息をついた。
そこにはもう巨人はいなかった。肩を落とした小柄な老婆が、所在なさげに立っているようにランセイルは感じた。
「……全員殺していくか」
「おやめになった方が宜しいかと」
師匠はランセイルをじろりと睨む。
ランセイルは万象の魔女グラニッピナが、決して『善良なる魔女』ではないということを改めて知った。そしてその魔力に、魔術に、恐怖と共に魔術師として感動すら覚えた。
だがランセイルは決して怯む様子は見せずに、師匠の目を見つめ返して、そして首を垂れた。
「幼き賢人殿が悲しまれます故」
ちっと、舌打ちが返る。
「そうかい。じゃあ行くよ」








