第143話:辺境の村にて
エヴェッツィー村という辺境の村に伯爵領の司祭がやってくるというのは正に青天の霹靂が如き出来事であった。
しかも本来、貴人が移動するとなればその先触れがあるのだが、それすらも来る直前で、ほぼ何の準備もできなかったのである。
「万物の長たる偉大な神を奉ずる神殿はミウリー司祭のおなりである!」
神殿騎士が街道に繋がる村の門の前で高らかに叫び、村の者たちはそれに平伏するより他なかったのである。
さて、エベッツィーは辺境の村である。宿屋などという施設は存在せず、神殿も無人の小さな祠がある程度だ。当然、こうした貴人をもてなすのは代官であるジョン一家の仕事ということになる。
「森の魔女殿のところに行かれますので?」
ジョンは尋ねる。この地を治める貴族であれば、代官であるジョンに用があるだろうが、そうでない訪問者など森の魔女の客以外ありえなかった。
「うむ」
彼らはジョン家のささやかな歓待に感謝も文句も述べるでもなく、ただ、軽く祈りを返すのみにとどめ、ほとんど言葉を交わさなかった。
貴人の旅には多くの使用人がつきものである。彼らはそれほど多くの使用人を従えていたわけではなかったが、ミウリー司祭は彼らを村に残し、二人の神殿騎士のみを従えて森へと入っていった。
あの森の浅いところは安全であるが、魔女の庵への道は狼や魔獣すらも頻繁に出没し、戦えない者を大勢連れて行くのは困難だと彼らも知っているのである。
そして彼らは三人で森へと足を踏み入れ、そして五体無事で三人で帰ってきた。
「おお、お帰りなさいませ。よくぞご無事で!」
代官の屋敷の前でジョンはそう出迎えたが、神殿騎士の一人は激昂して答えた。
「なにが無事なものか!」
彼らの足は泥にまみれ、その鎧や司祭の服は血に汚れていた。獣の返り血が大半であろうが、傷も負ったのだろう。魔女の森に派遣されたからには、あの司祭とて治癒や結界の術の使い手に違いなかった。
「も、申し訳ございません! で、ですが初めていらして、欠けることなく自らの足でお帰りになられたので!」
つまり、魔女の森に向かう多くの者はもっとひどい状態で帰ってくるということである。
へたり込みたくなるような疲労をおして、ミウリーはジョンの前に立った。
「ジョンと申したな」
「へ、へえっ!」
ジョンは低頭する。彼の禿げた頭をなんとはなしに見ながら考える。
彼は決して邪悪な人間ではないが、単に平民とは身分も思考も違いすぎると、彼らを無視するきらいがあった。見下しているのともまた違う。家畜に対して愛情を抱いているような感覚で平民と接しているのだ。
しかし彼はここで少し考えを改めた。それはマメーや魔女グラニッピナに聖女候補として王都に招聘されるのを断られたためでもある。
つまり、彼は断られるなど考えてもいなかったのだ。
「そう畏まらずとも良い」
彼はジョンの頭を上げさせると、言葉を続けた。
「我々は聖務のため、森の魔女の元を訪れた。だが、それを断られたのだ」
「は……」
「無論、聖務に失敗などあり得ない故、再び森に赴こう。ただ、しばし汝の家で身を休ませてもらいたい」
「は、はいっ!」
ジョンに否と言えるはずはない。彼らの使用人からは滞在費を貰っているので、貴重な現金収入であるという側面もある。
ジョンの家にて血のついた司祭服を代え、身を清めてからミウリーは尋ねる。
「汝は森の魔女と面識があるか」
「数度、お会いしたことがございます」
ふむ、とミウリーは頷いた。
そう、彼らは森の魔女の最も近くに住む人間たちであるのだ。ここから情報を収集すべきと考えたのである。
「ではその弟子、マメーは知っているか」
ジョンの身体が動揺に大きく揺れた。彼は絞り出すような声で言う。
「は、はい……森の魔女の……弟子であると。彼女が何か?」
部屋にはジョンの一家が揃っている。
任務は秘すべきであるが、どのみちマメーを連れ出せば知られることであるし、ここで明かしても問題はない。ミウリーはそう判断し、それでもこれは極秘であると前置きした上で彼らに言った。
「マメーという少女は聖女たる可能性を秘めている。それ故、神殿で保護しようと考えておるのだ」
ひっ、とジョンが表情を青ざめさせて息を呑んだ。
部屋の隅に控えていた少女が立ち上がって叫び声を上げた。
「エミリアが今度は聖女だなんて……ありえないわ!」
「ドロテア! おやめ!」
男の妻が悲鳴を上げてドロテアという少女の口を押さえたが、それはもう遅きに失していた。
こつり、とミウリーは卓の面を指で叩くと、ジョンに向かって落ち着かせるような、説法をする司祭としての声色で尋ねた。
「ジョンよ、哀れなる神の僕よ」
「は……」
「マメーという少女の本名は、エミリアというのであるな」
ジョンは口をつぐんだ。
ミウリーはマメーの姿を思い出す。特徴的な緑の髪は彼の人生で誰一人見たことはない。だが彼女の琥珀の瞳はこの男やドロテアと呼ばれた少女の瞳の色とよく似ていた。
「ジョンよ。私が思うに、汝らには罪が、秘密があるのだろう。それを知られてはならないのだろう。だがジョンよ。それは許される、許されるのだ」
ジョンはばっと勢いよく顔を上げた。
「先も言ったが、これは聖務である。その助けとなるのであらば、罪は許されよう。さあ、話すが良い」








