第126話:しさいのひとたちはかえっちゃいました
師匠のその言葉は魔術ですらない。ただ、師匠が普段は秘している魔力を指向性を持たせて解放する、つまりは魔力を叩きつけただけである。
剣の達人の殺気を受ければそれだけで気を失うことがあるように、大達人とまで称されるほどの魔女の魔力を浴びれば、それだけで強烈な威を感じさせるのだ。
司祭も騎士たちも腰を抜かしたようにその場に崩れ落ちた。鎧が床や剣の鞘にぶつかってガチャガチャと鳴る。
魔力を向けられていないマメーも髪がぞわりと逆立つように感じた。
「うひぃ」
小さく悲鳴を上げる。ゴラピーたちも師匠のローブの中で、しぴぴぴと身を震わせた。
「……なんたる屈辱か! 我ら神殿の者が跪くは神のみぞ!」
ミウリーなる司祭が叫ぶ。彼の足腰は立たず、床にへたり込んだままの姿であるが。
だが、師匠からして見れば、叫べるだけこの司祭は胆力があるとも言えた。神殿騎士たちはまだ碌に反応もできていないのだから。
「そいつは悪かったね。だが、か弱いばばあと幼子に剣を向けられちゃあ、たまったもんじゃないからね。自衛くらいはさせてもらうさね」
「かよわい……ばばぁ……?」
マメーはこてんと首を傾げた。この家で『か弱いばばあ』なる存在を見たことはない。見たことがあるとして『あと百年は死にそうにないばばあ』くらいのものである。
師匠は黙ってなと、マメーの尻をぽんと叩いた。
ミウリー司祭らにはそのやりとりは気づかれなかったようだ。かれは憎々しげに師匠に言葉を放った。
「万物の長たる偉大な神を奉ずる神殿の司祭たる我を攻撃するとは……!」
「攻撃だって? はん、あたしゃまだ杖すら構えちゃいないよ」
師匠は椅子に悠然と座ったままである。
彼我の実力差は明らかであった。司祭自身は武力を有していないが、この魔獣が跋扈する森を抜けてきた騎士たちが身動き一つ取れないのだから。
「不遜なるぞ!」
「ふん。武装して人の家に入ってきた奴なんざ、押し込み強盗と変わらんさね」
「我らを愚弄するか!」
「愚弄されるような振る舞いをしたのはあんたたちだよ。いや、マメーを連れて行こうとしているんだから人さらいか」
師匠はそこで魔力の放出をやめた。
まるで空気が水になっていたかのような重さが部屋から掻き消え、騎士たちは跳ねるように立ち上がった。
だが、彼らの手は腰の剣へと向かわない。畏れが動きを阻害するのだ。
司祭が立ち上がるのを待って師匠は言う。
「帰んな。あたしに叩き出されたくなけりゃあね。二本の足で帰りたいだろう?」
これは魔女の言い回しで、これ以上続けるなら呪いをかけて、トカゲやらネズミの姿に変えられて四本足で帰ることになるぞ、という意味である。
「おめおめと帰れと言うか」
「話をしたいならもっとまともな交渉ができるようになるか、交渉ができるやつを連れてくるんだね」
「森の魔女め……」
ミウリー司祭は顔を歪めて吐き捨てるように言った。
師匠はマメーの背にぽんと手を置く。
「聞いてたろう? マメーは行かないって言ったのさ」
「うん」
「それが全てさ。こいつが行きたいというなら送り出してやるが、意に沿わぬのに連行するってなら許さんよ。あたしゃこいつの師匠だからね」
「ん!」
マメーは嬉しそうに頷いた。
ミウリー司祭は怒りにかぷるぷると震えだしたが、懐から何やら出して玄関脇の水晶が置いてある小テーブルの上に叩きつけた。
「……ええい、サポロニアン聖堂からの書状はここに置いて行くからな! また来る!」
そう言い放つと司祭は踵を返した。彼が庵を出ていくと騎士たちは慌てて後を追う。
彼らは辞去の礼もしなければ、扉を閉めることさえしなかったが、彼らの姿が庵の前の小径を過ぎて森に消えていくのを確認すると、扉はひとりでに閉じてかんぬきがかけられた。師匠の〈騒霊〉によるものである。
「いっちゃった」
マメーがそう呟くと、師匠のローブの中から返事があった。
「ピキ?」
赤いゴラピーがひょいとその姿を見せて、師匠のローブの中から卓のへりに顔を覗かせる。
「ピ?」
「ピュ?」
黄色いのと青いのもひょいひょいと並んで、もういなくなった? と卓のへりから頭を出した。
「ぷっ、あはははは」
マメーは並んだ三匹の頭を見て笑い出した。
だんごのように並んでいて可愛いのもあるが、ゴラピーたちの頭に白くて小さい花がすずらんのように連なって咲いていたからだ。
「かわいい!」
「ピキー?」
彼らはよじよじと卓上に登ると、不思議そうに互いの頭の花を触った。
師匠が魔力を急に放出した影響を受けて、頭がびっくりしちゃったのだろうかとマメーは思った。
師匠は言う。
「さてまあ、マメーよ。聞きたいこともあるだろう」
「あい」
「教えておかねばならんこともある」
くー、とマメーのお腹が返事をした。
「ま、その前に昼飯だね。食い終わったら神殿やら聖女やらについて教えるとしようか」








