第117話:ゴラピーちゃんがきて数日がたちました4
「よもやイングレッシオ枢機卿にお越しいただけるとは」
「お久しぶりですわ、猊下」
少しの間、唖然としていた国王夫妻が言葉を放つ。
「ええ、お久しぶりです」
イングレッシオはその枢機卿という立場ゆえに軽々に動かないというのもあるが、色素欠乏症によりその肌や瞳が陽光などの刺激に極めて弱いために出歩けないというのもあるのだ。聖堂の奥から出てくることは稀であった。
今回のルナ王女の鑑定に関しても魔術、神殿では聖術と呼称するが、それに長けた司祭が派遣されることとなっていた。しかしそれを押し除けてまで彼がやってきたのは理由があった。
「……ルナ殿下」
イングレッシオはルナ王女の前で膝を突いた。雪のように白いまつ毛に覆われた、血のように紅い瞳が王女の顔を正面から覗き込んだ。思わずルナ王女は息を止めた。
そしてイングレッシオは深く頭を下げた。純白の髪がさらりと流れ落ちる。本来なら枢機卿ともあろう者がすべき体勢ではない。
「貴女に心からの謝罪を。我々、神殿は二つのことについて、殿下に謝罪せねばなりません」
「……二つ、ですか?」
ルナ王女が思わず問いかけた。実のところ一つについての謝罪はあると思っていたのだ。
「はい、一つは先日、ルナ殿下が呪いを受けた時、その呪いを祓うことができなかったこと」
彼女の頭に鹿の角が生えた時、それを王宮魔術師たちも神殿の司祭も解呪ができなかったがために、森に隠棲する万象の魔女、グラニッピナを頼ることとなったのである。
「もう一つは、九年前。貴女が産まれてすぐの鑑定の儀において、殿下に魔術の才があることを見抜けなかったことです」
ルナ王女はどうしたら良いのか分からず、思わず父である王の方を見た。彼が頷くのを見て、深呼吸を一つ。そしてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……お顔をお上げください。猊下のせいではありませんし、謝罪は不要ですわ」
「広き御心に感謝いたします」
イングレッシオは一度顔を上げてからそう言って立ち上がった。
神殿としてはサポロニアンの王家に借りができてしまっていた。それを返すために枢機卿自ら出向いたということだ。
「愚僧もあまり自由の効かぬ身、早速ですが儀式に移りましょう」
彼が言葉を放つや否や、礼拝堂の床が淡く青白い光を帯びた。
「ほう」
「ピャ」
ランセイルが感心の声を漏らし、ゴラピーも魔力に反応してか小さく鳴き声を上げる。
イングレッシオが魔力を放ったのだ。床の光はそれに反応する仕掛けがあるのだろう。イングレッシオはまだ歳若くして枢機卿の地位にある男である。彼は聖術の達人であるのだ。その身が虚弱でさえなければ、将来は至尊の地位にすら登り詰めたであろうと残念がられるほどである。
「殿下、お手を」
「はい」
ルナ殿下が差し出した手を、イングレッシオ枢機卿の手が持ち上げるように握った。彼の魔力がルナ王女の手を伝わって吸い込まれるように消えていき、何の反応も返らなかった。
「なるほど、これは無理もない……」
「どういうことでしょうか」
「殿下の身体から魔力が感じられぬのです。これでは殿下が魔術の才能を有さないと誤認してしまうのも仕方ないことかと思ったのです」
ルナ王女は首を傾げ、ランセイルが助言した。
「殿下の御身は魔力を放出なさいませんので」
「ええ、そこの魔術師殿の言葉の通りです。愚僧も殿下がそうであると知っているから、違和感に気づけているだけですから。殿下、血を僅かばかりいただきますよ」
「えっ、……はい」
ルナ王女は指先、枢機卿の触れる部分に僅かな冷たさを感じた。
痛みはなく、だがそこから一滴の血が垂れて宙に留まる。
「む……」
ランセイルは唸った。一瞬だけ魔力でごく薄い刃を作成し、ルナ王女の指に傷をつけて血を採取すると、即座に魔術で傷を塞いだのである。鮮やかな手際であった。
イングレッシオはその血を魔術で分析する。
「血には魔力が宿ります。そこを鑑定すれば良い。なるほど、ルナ殿下には肉体操作系の魔術の素質がおありになる」
「はい」
イングレッシオの言葉にルナ王女は肯定した。
「魔術師の基準で言うところの二つ星に該当するでしょう」
「それは……」
ルナ王女は疑問に感じた。師匠から、ルナ王女は魔女の素質があると聞いた。後でランセイルから聞いたのだが、それは三つ星の才を意味するということだったからだ。
「肉体操作の魔術は細分化されます。強化系、弱体化系などと」
肉体に影響を与えるというのは、例えば筋力を増大させるのも萎縮させるのもあるということだ。
「殿下はその中で肉体を変異させるものに特化した才能をお持ちです。変身術に限定してなら三つ星以上の才能があるでしょう」
師匠が全身を狼に転じたように、ルナ王女が頭に角を生やしたように。体を別のものに転じさせることに特化した才があるというのである。
「ところで……」
枢機卿はその白皙の美貌に困惑をあらわした。
「いかがなさいましたか?」
「いえ、殿下の鑑定結果なのですが……『使い魔:小麦色のゴラピーちゃん』とはなんのことでしょうか」
「ピャ!」
枢機卿の呟く疑問の声に、名を呼ばれたと思ったのか、元気な返事があった。








