第116話:ゴラピーちゃんたちがきて数日がたちました3
ルナ王女に運動をさせるといってもなかなか難しいのである。つまり、まだ幼いとはいえ高貴な女性ということだ。
例えば今彼女が着ているのは簡素な、宝飾や刺繍のないデイドレスである。動きやすいようにコルセットで腰を絞らず、胸の下に切り替えのあるエンパイアラインの形状であるとはいえ、ドレスはドレスなのだ。走ったり跳ねたりすることや、地面に腰を下ろすこともできず、開脚といった動きもできない。
男性の乗馬用服のようなものを着せてはどうかとランセイルも提案したが、王や王妃は悩んでいるところである。つまり、ズボンで腰からお尻のラインが見えてしまうのははしたないとされる文化なのだ。
とはいえ、それが必要となるのはまだまだ先であろう。
「ピャ、ピャ」
「いちに、いちに」
なんといっても、そもそも運動などしていなかった少女である。
小麦色のゴラピーがてちてち庭園のトピアリーの間を縫って歩いていくのを、歩いて追いかけて行ったりするだけでもすぐに息が切れる有様だ。
「ピャ、ピャ」
「いち…に……、いち……に………」
ルナ王女は手近にあった石像の台座に手をつき、息を整えている。
ゴラピーは彼女がついてきていないのに気づくと、振り返って足を止める。やれやれと呆れたような様子にも見えた。なんといっても、彼女は〈筋力増加〉の魔術を使っていてもこれなのである。
もちろん、魔術を覚え始めたばかりで不慣れであるために、魔術の出力が低いこともある。だが、それ以前にルナ王女の筋力が貧弱なのであった。
「はぁ……ゴラピーちゃん……ぜー……ちょっと、ちょっと待ってて……」
「ピャー」
というわけで、最近の魔術の訓練は実質、庭園の散歩に近い。今後ダンスの練習なども行うことになっているし、まずは体力作りとランセイルも思っている。
「もう一周したら、今日は終わりにしましょう」
普段は休憩や座学を挟んでもう一つくらい運動をするが、今日はこの後のことも考えて早めに終わった。着替えやらの身支度にも時間がかかるのである。
そうして太陽が中天に掛かる少し前、ルナ王女とランセイルはサポロニアンのお城の敷地内にある礼拝堂に向かったのだった。
サポロニアンの王都の街中にも神殿の立派な聖堂があり、たくさんの司祭がいて信者たちが参拝するのはそちらだ。ただ、王家は儀式をここで行うことが多かった。小さいが古くから存在し、王家の霊廟にも繋がる格式ある礼拝堂である。今回はここに司祭を招く形をとっていた。
礼拝堂の中にいるのは国王のドーネット9世陛下と、その妻である王妃殿下、ルナ王女、そして魔術師であるランセイルの四人だけである。護衛も、侍女も、ルナ王女の兄弟である王子や姫もここには入れなかった。
「ピャ」
だがゴラピーは連れていた。彼女の魔力に関わる存在であるし、実のところ〈鑑定〉の儀式を受ければ秘すことはできないと分かっているためでもある。つまり、ルナ王女を鑑定すれば、『使い魔:ゴラピー』と明らかになってしまうからだ。
ゴラピーは鳥籠に入れられた状態で、ランセイルが預かっていた。
「お父様、お母様、ご機嫌よう」
「うむ」
「ご機嫌よう、ルナ」
「どうかね、ルナよ。緊張しているかね?」
「そうですね、少々」
「魔法の練習はどうなのかしら?」
「えーっと……」
三人が和やかに話をしていると、すぐに太陽が中天に差し掛かった。正午である。礼拝堂の入り口は真南を向いていて、薔薇窓から入る陽光が床のモザイクを鮮やかに照らす。
それを計っていたかのように、扉が開け放たれた。外に待機していた近衛兵が司祭の到着を告げる。……はずだった。
「イングレッシオ枢機卿、御到着!」
国王と王妃は唖然とした。
枢機卿とは神殿という人間世界全体に広がる組織において、ただ一人の教皇に次ぐ立場の役職である。サポロニアンにおいては王都の聖堂から出ることのない人物として知られていた。それが王城まで出向いてくるということは異例中の異例であり、それも王女相手であるとはいえ、たかが〈鑑定〉の儀式にくるようなことは考えられなかった。
「国王陛下、王妃殿下。ご尊顔、拝謁賜り恐悦にございます。……お久しぶりです」
柔らかなテノールが四人の耳を打った。男は言葉を続ける。
「そしてルナ王女殿下は初めまして。イングレッシオと申します」
ルナ王女も唖然とした。
それはそのイングレッシオ枢機卿という男を見て驚いたからである。
白だった。白に輝いていた。
雪のような白髪。だが男の背筋は真っ直ぐ伸び、顔や手には皺一つなく老人のものではあり得ない。その顔も恐ろしく整っているが、肌は人の皮膚ではなく白磁のよう。
身に纏う法衣は白地に金糸で刺繍が施されたもので、胸から下げている聖印は黄金に輝く。
ただ、色を感じさせるものは彼の瞳と唇のみで、紅の視線がルナ王女に注がれていた。
そう、イングレッシオは色素欠乏である。その肌も髪も色を持たず、ただ瞳や唇から血の色が透けて見えるのであった。
「……あ。は、初めまして。サポロニアン王国はドーネットの娘、ルナと申します」
呆然としていた王女は、我に返ると淑女の礼をとった。








