第111話:おじさんたちとおはなしなのです。
マメーたちは代官の家に招待された。ルイスは先に家の裏手にグリフィンのオースチンを繋がせてもらい、戻ってくる。
その間に居間に通され、ジョンの妻、つまりマメーの母が茶を淹れて供したが、師匠とマメーの前にカップを置くとき、その手は小さくかたかたと震えていた。
「ありがとー?」
マメーが声をかけると、びくり、と女性は身を震わせた。
「えっと……ありがとー、おばさん」
マメーはサポロニアンに旅立つ前、父のことをもう父ではないと『おじさん』と呼んだ。だから彼女も『おばさん』なのだ。
女性の表情に怒りが浮かぶ。だが、ここでそれを露わにすべきではないと分かっているのだろう。すっと表情を消した。
「どういたしまして。エミリ……お嬢ちゃん」
「マメーだよ」
マメーはそう言ったが、それに返事はせずに女性は離れていった。
「ええと……そちらの方は」
ジョンは面識のないブリギットの方を見て、名を尋ねる。ブリギットはウニーの肩に手を置いて答えた。
「あたしはブリギット、魔女よ。この子はあたしの弟子。たまたま一緒にいたからここにきただけで、特に用がある訳ではないの。気にしなくていいわ」
ウニーの名前も言わず、グラニッピナの妹弟子であるとの関係も言わずにぼかしたような言い方をした。だからウニーも軽く頭を下げるだけにして、二人は少し椅子を引いて後ろに下がった。
ジョンと子供らの視線が彼女たちを追う。ブリギットはそうそう見ることのできない美人なのだ。
師匠が咳払いを一つ。
「昨日の夜に帰ってきたのでね。今日はその挨拶にきたってわけさね」
「ただいまっ」
マメーは挨拶と言われたので、ちょっと緊張して声を出した。
しかし、代官一家はびくり、と身を震わせただけだった。誰も「おかえり」とは言ってくれない。
さっきから無視されているようで、マメーはちょっとしょんもりした。
「ピー」
黄色いのがちっちゃく鳴きながら、手でぺちぺちとマメーの首筋を叩いた。
「ふひゃ」
マメーはくすぐったくて変な声を上げた。視線が集まり、マメーはぷるぷると首を横に振った。
ジョンは師匠に視線を戻すと、首を竦めるようにして頭を下げる。
「あ、ああ。それはご丁寧にどうも」
師匠はほい、と手のひらを上にして卓の上に手を出す。
「え……と」
「ほれ、出かけるときに預けてあったものを返しな」
師匠の師匠がエベッツィー村と交わした古い契約により、森の魔女が長期に森から離れる場合、村長に薬を預けていくというものがあったのだ。
師匠はサポロニアンの王城に行く時に、帰りが見込めないからという理由でジョンに薬を預けた。それを返すように言ったのだ。
「は、はい。……おい、瓶を取ってこい。金庫に入っている」
ジョンが長男を部屋に走らせた。ジョンはそれを受け取ると師匠に渡す。
預けた時にはいっぱいだった瓶の中身が半分くらいになっていた。ふん、と師匠は鼻を鳴らす。
「風邪が流行りましてな。ありがたく使わせていただきました」
「そうかい」
ジョンの言葉に師匠は気のない返事をすると、懐に瓶をしまった。実際には〈虚空庫〉に放り込んだのであるが。
「……森の魔女の薬をそんな短期間に使う必要があるだなんて。疫病でも発生したのかしら?」
思わずブリギットが口を挟んだ。
実際にはそこまで長期に森をあけていた訳ではないし、魔女の中でも製薬の最高峰とされるグラニッピナの薬である。風邪など一粒飲めば数刻のうちに完治するようなものだ。そんなに減るはずがない。
「そう言われましても……。せっかく素晴らしい薬があるというので。村の皆が使わせて欲しいと」
「本当かしらね?」
ブリギットはこの代官は嘘をついていると考える。
彼女は空や海という特異な属性の持ち主なので、大きな規模の魔法を使うことに長けているが人を相手取るような魔術は苦手であるし、そもそもそれらの属性に精神に作用するようなものはない。
だが万象の魔女たるグラニッピナであれば、その手の魔術も当然扱える。〈嘘感知〉であるとか〈読心〉といったものだ。そういう魔術でも使ったらどうかと姉弟子に目配せをするが、彼女はゆっくりと首を横に振る。
「今は風邪引いてるのはいないんだね?」
「ええ」
「なら良いさね」
師匠だってジョンが嘘をついてるのなど百も承知である。
おそらくは村民に配ってもいない。例えば魔女の薬として行商人に売るか売ったかと分かっている。だが、それを追求して罪に問うたとて、師匠に得るものはないのである。
「森を尋ねてきた者はいるかい?」
「いえ、いませんでした」
森の庵への来客はそう多くない。まあ、そんなもんだろうと師匠は頷く。師匠は〈虚空庫〉から黄色い紙に包まれた箱を取り出して卓に置いた。
「これは?」
「王都の土産さね、菓子が入ってるから食べな」
「それは、ご丁寧に……」
マメーはびっくりした。
「いつ買ったの!? ずっとお城にいたのに!」
「別にあたしが買いに行った訳じゃあないさ。侍女に頼んで買ってきて貰ったのさね」
へー、とマメーは思った。師匠が呪いを解いたルナ王女にはハンナとクーヤの二人の侍女がいた。どっちに頼んだのかな。お菓子だしクーヤさん買いに行ったのかなと。
もちろん、実際には買いに行ったのは侍女たちから頼まれた別の使用人であるが。
そういえばルナちゃんどうしてるかなー、マメーがそう思ったとき、ばん! と卓を叩く音がした。
「ずるい! ずるいわ!」
ドロテアだった。








