第110話:むらにとーちゃくです!
牧草地では突然現れたグリフィン、肉食の魔獣におののいて、羊たちが群れをなして丘を駆け上がって逃げていくのが見えた。
羊たちを追うように牧草地を横切って森から村へ。エベッツィーの村が見えてきたときにブリギットが言った。
「このあたりは変わらないわね」
師匠は顎に手をやり、首を傾げる。
「そうかね? 随分とこの牧草地も広がっているし、村も人や家畜が増えてるとは思うがね」
「ふふ、それはそうよ。でも、あたしたちが師匠の弟子だった頃から、ほとんどこの風景は変わってないわ」
ブリギットは笑った。
国の外れで、街道の果てにある村なのである。そしてその先は開拓など叶わぬ魔女の森だ。もちろん師匠の言うように変化していないわけではないが、それでもそれは世界を箒で飛び回っているブリギットからすればその変化は非常にゆっくりとしたものなのであった。
「師匠、それっていったい何十年前のことで……痛い!」
ウニーが迂闊なことを尋ねかけ、ブリギットに頭をはたかれた。
「レディーに年齢を尋ねるものではなくってよ」
「レディーって歳でもあるまいよ」
村に近づいていくと、羊たちは今度はぐるりと森の方へと逃げていき、村を囲う柵のあたりにはこちらを見つめている村人たちが残った。
中央にはジョンやドロテアといった代官の一家が。その左右にも村人たちが並んでこちらを見つめている。彼らの顔はどこか不安げであった。
「おやおや、村人そろってお出迎えとはどうしたことさね?」
師匠はここにくると先触れなど出していない。よもや出迎えがあるなどとは思っていないし、ではなぜここに人が集まっているのだという話になる。
「森の魔女殿……」
代官のジョンがそう言うと、村の者たちの顔色が一様に悪くなる。
村人たちにとって森の魔女とは恐怖の存在である。別に師匠が何か悪さをしたというわけではない。だが、未知であるということそのものが恐ろしいのだ。
「エミリア……」
声は聞こえなかったが、マメーにはドロテアの口がそう動いたのがわかった。彼女や兄弟、そして母たちの視線がマメーを射抜くようで、びくりと身を震わせた。思わず師匠の背に隠れようとしたが、すぅはぁ、と深呼吸を一つして思いとどまる。
「ピキ?」
「ピ」
「ピュー」
「うん、だいじょぶ」
マメーの背中でコラピーたちがもぞもぞ動いては大丈夫か心配したり、励ますように小さく鳴いたので、マメーは大丈夫と頷いた。ウニーはマメーの幼い頃の境遇を多少は聞いている。この村の出身で森に捨てられたと言うことを。だからそっとマメーの手を握った。
ルイスがオースチンの背を撫でて咳払いを一つ。一歩前に出て、胸に手を当て名乗りをあげ、そして軽く視線を落とした。
「サポロニアン王国は銀翼騎士団副長、ルイス・ナイアントだ。家畜たちを騒がせてすまない」
突然の肉食獣の出現が家畜たちを怯えさせているのは間違いない。その謝罪であった。
代官のジョンはあわてて前に歩み出て、手を振った。
「いえいえ、もったいないお言葉です。ナイアント卿、魔女様がた。羊どもは草原を走っているだけなので、はい。問題ありません。それよりナイアント卿はどうして森から……」
「うむ、昨日は魔女殿の庵にお招きいただいたので、直接そちらに向かったのだ。連絡もできず済まない」
前回まではこの村までグリフィンで飛んでそれを預け、歩いて森の庵に赴いたのである。
ルイスはジョンを見、周囲の村人たちを見渡した。どうにも表情が暗く見える。
「問題ないのであれば良かった。だが、それではなぜ村の皆はここに集まって相談をしているのだろうか。何か別の問題でも?」
「いえ、村の中央で相談をしていたのですが、家畜が騒いだために皆でこちらにやってきたのです」
「何の相談か聞いても?」
ルイスは重ねて尋ねた。相談というには雰囲気が重いためだ。ジョンは一度頭を下げた。頭頂部がきらりと光る。
「はい。昨夜、空を横切るいくつもの光を、多くの者が見たのでございます。流れ星にも見えず、鬼火〈ウィスプ〉か、あるいはなにかの凶兆なのではないかと噂していたので」
鬼火とは死者の霊である。あるいは死者の持つランタンの放つ光とされる。ジャックやウィルなどという男が、死者の国にも行けず現世をさまよい歩いている。そしてそんな民話がはるか昔から各地に残っているのだ。
師匠は、はぁと大きなため息をついた。
「悪かったね、そりゃあたしたちだ。サポロニアンから森に戻るのに、夜遅く空を飛んでたのさ。魔法の光を灯してな」
師匠は杖で地面をコン、と叩いて杖の先端を淡く光らせてみせた。
村人の半数は理由がわかって安堵し、残りは魔女の魔術を恐れた。何人かの子供たちは凄いと感嘆しそうになっているところを親に口を押さえられていた。
ジョンは言う。
「……なるほど。理由がわかって安堵いたしました」
「今日は王都から戻ってきたという報告にきただけさ。あんたの家に邪魔しても?」
「え、ええ! もちろんですとも。……ほら、帰った帰った!」
ジョンは村人たちを解散させる。マメーたちは彼の家へと向かうのだった。








