第106話:二人の魔女
ざくざくとオークの落ち葉を踏みしめ、杖でつく音を響かせながら、二人の魔女が森の中を歩く。
森の奥深く、中心部に向けてである。
本来なら獣なども出るであろうところだが、二人以外に物音を立てるような生き物の気配はしない。生き物が少ないためか落ち葉が分解されず、夏でも分厚く地面に残っているのである。
時折り、風がざわざわと梢を揺らした。
「ねえ、お婆ちゃん。さっき言ってた話なんだけど」
後ろをゆく魔女、ブリギットが、前をゆく小さな背中に声をかけた。
「……なにさね」
「村との約束よ。師匠と隣村のものなんでしょう?」
「まあ、師匠がここに庵を構えた時の契約だろうね」
グラニッピナとブリギット、二人にとっての師匠である。この森に居を構えた魔女であり、決して才ある魔女ではなく、死ぬまで達人の階梯に至ることはなかった。しかし偉大な魔女であることは間違いない。こうして達人階級に至った魔女を二人も育て上げたのだから。
そして彼女たちの師匠の契約ということは、つまり、優に百年を超えるほど昔の約束である。
「その契約はお婆ちゃんが守る必要が?」
「お婆ちゃんはやめな。まあね」
契約は、要は森の魔女がエベッツィー村を護るということになるものだ。
人間同士の戦になどは介入しないが、例えば村を出るときに薬を預けるというのはそういうことである。
「森への出入りを拒むのはこっちの都合だからね。その分の便宜くらいは図ってやるのさ」
「彼らを森から護ってもいるのに?」
ひひひ、と師匠は笑った。
「そういう側面もありゃするがね。ほれ、着いたよ」
特に代わり映えのない景色の中で師匠は足を止めた。ブリギットも特に何も言わず、それに従う。
師匠は空間に杖を伸ばした。杖の先端が空間に吸い込まれ、景色が水面のように揺れて変化する。結界である。
姿隠しの結界が、彼女の手により解除されたのだった。
「世界樹……」
ブリギットは感嘆してそう呟いた。これを見るのは随分久しぶりである。
結界を解くと、そこには森がなかった。ただ一本の木がそこに生えていたのだ。
しかし、それはただの木ではあり得なかった。余りにも巨大なる木。樹高は優に100m、幹回りは家が数軒は収まるほどに太い。およそこの大陸で、最も巨大な木がそこにあった。
「エルフたちの神木さ、これに近づけないためってのも契約の側面だからねぇ」
師匠は森に住まう異種族の名を口にした。
エルフたちの信仰する木である。彼らの住まう大陸に行けば、幾本かの世界樹が生えていよう。
しかしここにはエルフはおらず、ただ彼らの神が一柱おわすのみであった。
エベッツィー村との契約には、村の者をここに近づけないという意味もあるのだ。
「そうね」
二人は神木に向かい足を進める。
そしてその幹の前、巨木には似つかわぬ小さな社の掃除をし、石の器に酒を注いで祈りを捧げた。
「マメーは捨て子さね」
師匠は呟くように言った。
「ええ、聞いてるわ」
「とはいえ、その親が誰かはわかっている。エベッツィー村の代官のジョン、その娘だ」
「マメーちゃん、午後に村に行くって言って気落ちしていたものね」
ふふ、とブリギットは笑みを浮かべた。
気落ちしているのは可哀想ではあるが、マメーは喜怒哀楽がわかりやすくて、どうしても可愛らしいと思ってしまうのだ。
師匠は世界樹の方に視線をやったまま話す。
「以前、神殿に行って調べたのさ。ついでに昨日までいた王都でもちょいと調べた」
「あら、わざわざ。何を?」
神殿と魔女は明確に敵対しているわけではないが、決して仲が良くはない。そもそも本質的に魔法や奇跡、神秘といったことに対するスタンスが違うからだ。
「ジョンにも、その妻にも。十代遡っても魔女や魔術師はいなかった」
「……あら」
魔法の才能は遺伝することも多い。血に宿る力というものは確かにあり、平民よりも王侯貴族の方が魔法の才を有するものが多いというのは統計的に間違いないことだ。
グラニッピナもブリギットも近親者に魔法の才を持つ者はいた。
「もちろん、祖先に魔術師がいなくたって魔術師が生まれた例はあるさね。だがねえ……」
「偶発的に五つ星の才能を持つ子が生まれるとは思えないってことね」
師匠は踵を返す。ブリギットも後に続いた。
「そりゃあ、あの代官の家族にゃあたしだって業腹さね。幼い子を森に捨てるってのはまあ、どんな理由があっても屑の所業さ」
「それなら……」
「だが、あたしにゃね、それが何か意味のあることだったんじゃないかとも思っているのさ」
「……偶然にしては出来すぎてるってことかしら」
ブリギットは問い、彼女の姉弟子はにやりと笑みを浮かべたのだった。
「魔法とは関係ない家から五つ星の才を有する子が生まれること、それがたまたま森に捨てられること、それがたまたま魔女に拾われること。あり得ると思うかね?」
「まあ、そうよね……」
「しかも植物系だ」
マメーの才は植物系の五つ星である。
師匠は振り返り、上を見上げた。世界樹はざわざわと梢を揺らすのみで何も答えはしない。
「世界樹が関わっていると?」
「分からん。だが、そう思う方が、全て偶然というよりはありそうなことじゃないかね?」
師匠は杖をかざして結界を元に戻す。するとそこにはオークの森が見えるばかりになる。
二人の魔女は来た道を戻っていくのであった。








