涼 と 香 と ピクニック
他と比べるとややせり出した崖。
その上に広がる草地に、椅子がわりにするのに手頃な岩があった。
涼と香はそこに腰を掛け、眼下の風景を楽しんでいる。
「実際に自分でこういう場所に来ると、やっぱ感動みたいなのが違うな」
「でしょう」
背が高く、髪も長い方――香が、眼下に広がる光景を見ながらそう口にする。
それに、横に座る小柄で中性的な方――涼がどこかドヤ気味にうなずいた。
ここは、東京都多摩市にある、いろは坂ダンジョン。
ダンジョンの入り口となっている坂は、有名な青春映画でも使われていた場所だ。猫紳士とコンクリートロードで有名なあの映画である。
もっとも、頂上には紳士のいる店はなく、あの場所にあるのは郵便局なのだが。
ともあれ、そんな坂の中腹辺りに、脇へそれる道があり、そこにはベンチの並んだ公園のようなスペースがある。
町並みを見下ろせるそこにダンジョンの入り口が出来ており、二人がいるのはそのダンジョンの中だ。
このダンジョンは田舎――というよりも江戸時代くらいの峠道を思わせる雰囲気になっている。
周囲に生えているのは、松の木や、背の高い躑躅、柿の木や杉の木、ケヤキといったいかにも和風な感じの木々が生えた林だ。
ひたすら峠道を上へ上へと登り、要所要所で林の中を突っ切って反対側へ移動したりする。そういうダンジョンだ。
出現モンスターは強くはなく、凝ったギミックも特にない。ある意味で初心者向けのダンジョンだ。
このダンジョンの攻略に必要なのは、戦闘力でも知能でもなく、ひたすら坂道を上り続ける体力と根性である。
まぁ頂上はボス部屋になっていて、出現モンスターの平均ランクからすると二段階、三段階ぐらい跳ねた戦闘力を持っているので、若干詐欺のようなダンジョンでもある。
ともあれ――そんなダンジョンの中で涼たちがいるのは、中腹から道を外れて進んだ先にある崖だ。
その眼下に広がっているのは、躑躅だけでなく、桜や梅などの木々が五分咲きくらいになっている森のような場所。
実際、そこへ降りれるかどうかは分からないのだが、この崖こそが眼下を一番綺麗に見れる場所でもある。
「これで遠巻きからゴブリンたちが様子を窺ってなきゃ最高なんだけどなぁ」
「あのスモールゴブリンたちは、明らかに自分たちより強い相手には襲いかかって来ないから大丈夫」
「それは実感してはいるんだが……」
どうにも居心地が悪い――と、香は身動ぎするが、涼は気にした様子はなく、SAIからお弁当を取り出し始めている。
「ダンジョンピクニックとか言い出した時は正気を疑ったんだが、マジだったんだなぁ」
「スモールゴブリンくらいなら香でも勝てるじゃん」
「超人化の恩恵なくモンスターとやりあうのは結構怖いんだよ」
「まぁボクがいるから。香がやられるようなヘマはしないよ」
「そこは信用してるけどな」
とはいえ、ここに来るまでに、涼を避けて香に襲いかかるスモールゴブリンが居たのは事実だ。
彼らは大人の腰くらいの身長で、緑色の肌をした鬼のような見た目のモンスターだ。
個体によっては棍棒や、刃の欠けた薪割りのような刃物を持ったものなどもいる。
常に二体以上のグループで襲いかかってくるので、数の暴力という意味では厄介なモンスターだが、単体の戦闘力は高くない――というか低い。
その為、超人化の恩恵のない香であっても、素の身体能力と、鍛錬で身につけている戦闘技能だけでどうにかできる相手でもある。
これはもちろん、香が格闘技などの戦闘技能を有しているからこその話で、ふつうの平凡な一般人からすれば、スモールゴブリンでも脅威でしかない。
香はチラリと背後を一瞥してから嘆息し、気を改めて涼の取り出す弁当へと意識を向ける。
「弁当の内容はなんだ?」
「とりあえずお弁当一つ目。唐揚げ弁当唐揚げマシマシ米ナシ副菜ナシ」
「いつものやつだな」
「お弁当二つ目。チキン竜田弁当。竜田マシマシ米ナシ副菜ナシ」
「限界まで竜田詰め込んできたのか」
「お弁当三つ目。チキンフライ弁当。フライマシマシ。米ナシ副菜ナシ」
「お前ここぞとばかりに……まぁいい。他には?」
「以上」
「以上ッ!?」
「そうだよ。これ以上の何を望むの?」
「米とッ、副菜ッ、だよッ!」
思い切りツッコミを入れて、香は大きく息を吐く。
「せめて米は欲しかった」
「文句ばっかりだね」
「文句言われるようなモンを用意するからだよ!
まさか三つとも鶏の詰め込み弁当とは思わなかったしな!」
思わず頭を抱えた香は、大きく息を吐いてから左耳のピアスに触れた。
「あれ? そのピアスってSAI?」
「そうだよ。探索者資格だけなら超人適正なくてもとれるからな。最近、資格取ってSAIをもらった」
「おおー!」
パチパチと気のない拍手をする涼。
表情はあまり驚いた様子はないが、雰囲気からして結構驚いている上に、素直に祝福しているようだ。
「お前の行動パターンを想定して、用意しておいて良かったぜ」
そうして香はピアスから、大きな風呂敷に包まれた何かを取り出す。
「それは?」
首をかしげる涼の前で、香は風呂敷を広げる。
すると、アルミホイルに包まれた何かがいっぱい姿を見せた。
「おにぎり?」
「おう。まさか本気で鶏肉しかもって来ないとは思わなかったが、可能性は考慮してた」
涼が一つ手を伸ばそうとすると、アルミホイルに包まれたままのおにぎりが一つ、風呂敷から零れて斜面を転がっていく。
それをスモールゴブリンたちの中の一体が手に取り、首をかしげる。
「ぎゃ?」
香はその様子に小さく笑うと、自分も一つ手に取ってアルミホイルを剝いてから、中のおにぎりにかぶりついて見せた。
「ぎゃぎゃ!」
理解した!――とばかりに、スモールゴブリンはアルミホイルを剝いておにぎりにかぶりつくと目を輝かせる。
「ぎゃぎゃ」
「ぎゃ?」
「ぎゃぎゃぎゃ!?」
続けておにぎりをちぎると、グループの仲間に分け与えていく。
それを嬉しそうに頬張る姿は、なかなか微笑ましい。
「……案外かわいいな、アイツら」
「それはボクも思ったけど……あれ、大丈夫?」
「何がだ?」
「ヒグマのソーセージ」
「……あー……」
ソーセージの味を覚え、人里によく降りてくるようになったヒグマの名前を口にする涼。その指摘に香が思わずうめく。
人間の食事の味を覚えてしまえば、何らかの手段ではぐれ化してダンジョンの外まで出てくる可能性がある。
そうでなくても、人間の食料を奪う為に、あのグループが他のグループよりも知恵を使い、グループそのものがネームド化する可能性もあるのだ。
苦々しい顔をしながら、けれども意を決した様子で香は告げる。
「……すまん涼。食事前にひと仕事頼むわ」
「かわいそうだけど、その方がいいよね」
涼はうなずくと、瞬く間にスモールゴブリンたちを倒す。
ついでにアルミホイルも回収して、持参しているゴミ袋へと放り込む。
ややして、ゴブリンたちが黒いモヤへと変化してダンジョンに吸収されるのを確認した涼は、小さく息を吐いて香の元へと戻った。
「僅かでも愛着が湧くとこういうのシンドいよなー」
「香って対人戦はドライなのに、モンスター戦はウェットだよね」
「対人戦でドライに徹する反動かもな」
「そういうモノなの?」
「自分で言っておいてなんだが、正直わからん。
まぁ動物とかは好きなので、多少それがあるかもだけど」
なんであれ、少しばかりビターな形での昼食の始まりになってしまったが――
「相変わらずお前の唐揚げはうまいな」
「でしょ? ふふん」
表情筋は仕事をサボっているが、明らかにドヤってから、涼はおにぎりを口にする。
「おにぎりは、香のお母さんの?」
「おう。今日のコト話したら念のため持って行けって」
「正直、うちの両親の作るおにぎりより食べ慣れた味で安心する」
「それはそれでどうなんだろうな?」
――なんであれ、ダンジョンならではの絶景を見ながら舌鼓を打つランチを、二人は美味しく楽しく味わうのだった。
【Idle Talk】
今のところ、人間または人間の食事の味を覚えたと思われるモンスターは観測されていない。
ただ涼たちと同様の懸念を抱いている探索者たちは少なくない。