演劇!「二つの花」
演劇!「二つの花」
騒ぎが収まったのを見て自分は総合案内に戻ると、既に交代の学級委員が来ていた。特段の引き継ぎ事項も無く、体育館へと向かう。
昨日の時点でプロジェクターや大道具等は搬入済みである。昨日のリハーサルでは体調不良を表向きの口実に休んでいた柊透也も参加し体育館を使った全員参加の通しリハを行った。
心配された柊は安定した演技で周囲を安心させ、また弓木と結城の主演二人は息もあって素晴らしい演技だった。翻って自分はと言うと、元々追加キャストなので、そこまでセリフは多くない。「アイリス様!」と「執事は常に主人の意向を叶えるのが役目です。」がセリフの中のハイライトだろう。
大して上手くもない演技に演出兼脚本の篠塚さんは笑顔でサムズアップをしてくれたのは素直に嬉しかった。順調にリハを終えると自然とクラスは1学期のわだかまりや、事件のことを忘れて文化祭の演劇を成功させようという雰囲気が溢れていた。
執事のロングテールコートの衣装に着替えては、舞台の大道具設置を手伝う。30分で準備して30分以内で撤収することが厳命されている中ではクラスの生徒全員の力が不可欠だ。
体育館の客席には早くも演劇を見に来た観客が席を埋め始めていた。どうしても観客の入りが多い午後の時間帯は吹奏楽部と演劇部、軽音部に割り当てられているが故に人が入るのか不安だったのだが、この入りようなら開始までに客席の半分は埋まりそうだと安堵していると、横に来た篠塚さんが肩をトントンと叩いてくる。
「進藤君。緊張してる?」
「んーん。まあまあかな。思ったより人も多いし。」
「そうだね。これも弓木さん効果かなぁ。」
「弓木効果?」と首を傾げると篠塚さんは「んーん。」と複雑そうに口を曲げる。
「実はね。元々美人ってことで有名だったんだけど、この前の事件で一躍弓木さんは注目の的になっててね。生徒の中でも興味半分とか、冷やかしで見に来てる人も多いかもしれない。残念だけど‥仕方ないよね。でもね、弓木さんは本当に凄いよ。彼女の集中力と、演技力は天性のものだと思う。」
「やっぱり妬いちゃうなぁ。ここまで演者としての差を見せつけられると、私はやっぱり役者としてはどこまで行っても一流にはなれないんだろうなぁ。って思っちゃう。それくらい凄いんだよ!だからね、興味半分でも、冷やかしでも、見に来た人全員感動させるくらい、凄い演劇にしたい。私は弓木さんの演技好きだから。」
満面の笑みを溢した篠塚さんは演出兼脚本家としてではなく、純粋に演劇の好きな人間としてこの演劇の成功を願っている。そう思うと絞められたネクタイはよりタイトに感じる。
「ふふ。なんか緊張するのを煽ったみたいだね。でも大丈夫!進藤君が直してくれたセリフ。私すっごく好きだよ。アイリスの気持ちと虹の表現を上手く混ぜてる。それだけでも進藤君の貢献は大きいから、演劇でとちっても大丈夫!セリフ飛んでもこっそりカンペ用意しておくからね!」
茶目っけたっぷりに口の端を上げて言う篠塚さんに自分は「ありがとう。カンペを見過ぎないように善処するよ。」と苦笑いで返した。
篠塚さんにまでいじられるとは思っていなかったが、どうやら自分はいつの間にかいじられキャラになっていたらしい。
そうこうしているうちに幕が下り、体育館の照明が落とされる。体育館の放送室から演目案内と、演劇開始までに観覧の際の注意事項が読み上げられる。演者は舞台袖に集まってはそれぞれ最後のセリフ確認をしている。
「みんなー」と篠塚さんが囁くように生徒を集める。照明や音響の生徒を除いた生徒が集まって円陣を組み、篠塚さんは最後の言葉をかける。
「みんな今日まで準備や練習に付き合ってくれてありがとう。今日と明日、二回の公演を全力で、楽しんでやりましょう!いくぞ!!」
「おーー!!!」
舞台袖から響く声が体育館に轟く。
「それでは1年3組による演劇、「二つの花」演出、脚本、篠塚香織です。どうぞ最後までご覧ください。」
ブザーの音と共に幕は上がる。
主人公アイリスの理想の世界、誰しもが笑顔で、格差や差別、偏見が存在しない世界、そこで彼女は待ち合わせをする。
活気溢れる商店が並ぶ街を抜けて、街の入り口で思い人と待ち合わせるのだ。本を片手に持ち、その文面に視線をやりながら待ち人を待つ彼女は耳にかかる髪を後ろにやる。
ダークブラウンの髪に隠されていた首筋は色香を纏いより彼女の魅力が引き立つ。アイリスは彼女に挨拶をして、手を繋ぐ。柔らかく微笑み返す彼女にアイリスは心が満たされていくのを感じる。そうして街の外に出るのだ。
森を抜けて光の差す方へと歩いていく。白い光は眼前に広がり、視界を包む。そうして彼女は気づくのだ、隣にいた彼女がいなくなっていることを。
その時点でシーンは一旦暗転し、アイリスの現実世界へと舞台は移る。ここで自分はここで初めてのセリフ、「アイリス様!」が出る。寝坊したアイリスを起こしに来るシーンだ。
アイリスは寝惚け眼を擦り、食事のシーンへと移る。食事のシーンではアイリスの父やアイリスが婚約の話、許婚のジェラルドのことで口論となる。家の発展と、良家へと嫁ぐことが娘の幸せだと思っている父親、自由に生きたいアイリスは互いにすれ違い、アイリスは抗議の意味を示すように、食事の席を立つ。
屋敷の裏手で、足をぶらぶらとさせて黄昏れていると、使用人のローズが話しかけてくる。父の不満を話している途中で、ローズは思い出したように一冊の本を持ち出す。
ローズは文字が読めない。
しかし物語が好きなのだ。
それ故に時間がある時はローズに物語を読み聞かせてもらっていた。彼女はアイリスが読み聞かせる物語をいつも嬉しそうに聞いていた。
時折り出てくる難しい言葉の意味を教えたり、登場人物の行動について語り合ったりした。特に「美女と野獣」の物語は二人とも好きな物語だった。
「いつか来る運命の相手が野獣であっても、どんな相手であっても、私なら必ず分かるわ。だって愛ってそう言うものでしょ?」
期待に胸を膨らませるような純粋なローズの言葉にアイリスは目を伏せる。
夢で遭う思い人はとてもローズに似ていた。彼女の姿が夢で遭う彼女と重なる度に胸が苦しくなった。愛する人は身分も性別も許される相手ではない。
全てを捨てる覚悟を持てなかったアイリスは許婚であるジェラルドとの婚姻の手続きを進めていく。しかし会う度にジェラルド階級意識の強さや横柄な態度にアイリスは辟易していた。
ジェラルドとの結婚を考えては憂鬱な気分になる。アイリスはその度にローズと話した。他愛のない話から好きな物語の話、回数を重ねるほどに彼女への思いが高まり、キスを交わした。キスされたことに驚いたローズは顔を向ける。しかしそれでもアイリスの手を離すことはなかった。
舞台は暗転する。
このシーンを舞台袖で見ていた自分は観客席から声が漏れたのが分かった。キスをする振りではなく、間違いなく唇を交わした二人の演技に観客は引き込まれていた。二人の美女の熱の入った演技は、冷やかしや興味半分の観客を唸らせた。
物語は二人の幸せがピークを迎える。二人で森や湖を散策したり、アイリスの部屋で物語を読む二人には幸せに溢れていた。互いを思い合う二人。
しかし許婚との結婚式が迫る中、アイリスはローズにジェラルドを好きでないこと、ローズを愛していることを伝える。するとローズは二人で駆け落ちすることを提案する。
二人は固い決意で駆け落ちを実行しようと、翌日の夜、湖の畔で待ち合わせた。
アイリスは必要な衣服とお金を持って、湖の畔でローズを待ち続けた。
水面に写る星と三日月に彼女は自分の顔を見た。そこには失望と悲しみに涙を流す姿だった。朝まで待ってもローズは姿を現さない。失意の中で屋敷に戻ると、父からローズが亡くなったことを知らされる。
絶対王政に反対する民衆が暴徒と化し、街のお店を襲ったのだ。そこに居合わせたローズは暴徒に抵抗して殺されたのだ。その事実を知ったアイリスはショックのあまりに自室に閉じ籠る。
次第に強まる雨音に、雨を表現した照明は演出でもっともこだわったところだ。アイリスの失意と荒れていく天候は観客をより感情移入させる。青白く照らされたベッドに顔を伏せてむせび泣く彼女は演技とは思えない。
彼女は雷鳴の音に顔をあげて窓の外を見る。木々が風に揺れ動き、横殴りの雨が容赦なく打ち付ける。彼女はよろよろと部屋を出た。
暗転し、舞台にはあらかじめ用意した雨の森の映像を映し出す。本来ならもっと強風の吹き荒れる映像の方が良いという意見も上がったが、丁度良い映像を撮るには些かチャンスがなかった。今年の台風は本州直撃コースはほとんどなく、ようやくあった雨の日に撮影したものだが、ここのクオリティは妥協せざるを得ないところだった。
雨の中を歩くアイリスは雨に濡れ、尾羽うち枯らしたような姿は衣装もこだわっている。木々にぶつかり衣服が破け、途中転び土汚れも目立つ。このシーンの為にわざわざ2着の衣装を用意して、一着をダメージ加工したこだわりは衣装担当には相当負担だったはずだ。出演者の衣装の作成、調達の本村達の活躍には感謝しかない。
そしてアイリスはそのまま森を抜ける。ここで再び暗転し、映像を映す。
辿り着いたのは、広がる草原、そして奥には小高い丘が見える。
映像を消して舞台中央には虚空を見つめるアイリス。
「ローズ?ローズなの?待って、待って!!」
見えるはずのないローズの姿を追っては、また姿を見失う。
アイリスは悲しみに暮れてその場で力無く崩れ落ちる。無気力にへたり込んだアイリスはその場を動かない。
すると背後からローズの声がする。そして優しく肩に触れて、こう言う。
「アイリス、愛しいアイリス。あなたは一人ではないわ。いつもそばにいる。いつでも私を思い出したい時は空を見て。天高く登るあの橋は、きっと私のところまで届いているから。いつまでも、あなたの側に、変わらず幸せがあることを祈っているわ。愛してる‥」
その言葉に確かに感じた肩の感触を噛み締める。彼女は丘の向こうに架かる虹を見た。
ここで暗転して、虹の映像を映す。七色の虹は眩しい太陽の光が大気中の水滴を通過することで姿を現す。その間にアイリスは舞台を降りて観客と同じ目線に立つ。
映像が消えると、ピンスポットでアイリスを照らす。
「ローズ、私も愛してるわ。だからあの虹に私の思いを乗せて必ず届ける。愛は見えないものだけど、確かにそこにある。そうでしょ?ローズ。」
手を伸ばしては届くことのない虹へと思いを乗せた。
物語が終わり、舞台上に出演者が並び、お辞儀すると体育館を包み込む大きな拍手が湧き上がった。
アイリスが虹に乗せて届けたのはローズへの思いだけではなく、観客への情熱も含まれていたのだ。その情熱は確かに観客の一人一人に届いて、大きな反響を生んだ。




