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夜更けの囀り

夜更けの囀り


「ただいま。」


 進藤が玄関の扉を開けると、仁王立ちで腰に手を当てた少女が待ち構えていた。


「おかーさーん!お兄ちゃんが酒池肉林!!!」


 リビングに向かって叫んだその言葉に私は絶句した。進藤の後ろに控えていた私の顔を真っ直ぐに見て、確かに酒池肉林と言った。少女はまだ小学生ぐらいの年頃でその言葉の衝撃と見た目のギャップ、そしてなりよりそんな爛れた関係に見られたことに対するショックも大きかった。


「おいおい、帰ってきた兄に対する第一声がそれか?そんなお前の思考は誨淫導欲(かいいんようどく)だ。それに酒池肉林は贅沢の限りを尽くした盛大な宴会。という意味だ。言葉は正確に使いなさい。」


「うわー頭でっかち。おとーさーん!お兄ちゃんが女の人連れてきたー!!」


 その言葉に何事かと恰幅の良い男性と、スラリとして眉目秀麗な女性がやってくる。おそらくこの二人が進藤の両親、そして顔を膨らませてこちらを睨んでいる少女は妹なのだろう。


「な、なんと‥咲空‥お父さんはまだ心の準備が‥」


 明らかに何かを勘違いした男性は心臓のあたりを押さえて膝をつく。


「ちょっと、孝太郎さん、ふざけるのはやめてください。話は聞いてます。弓木芽衣さん?ですよね。今回は大変でしたね。騒ぎが落ち着くまではどうぞ、自分の家だと思って居てください。幸い部屋の空きはあります。着替えなどは私の物で良ければお貸しします。」


 はっきりとした口調に強い目力に怯んでしまいそうになる。


「母さん?全然歓迎してる口調じゃないんだけど。」


「あら?そうだった?つい姑モード入ってしまったわ。こう見えても、嫁には厳しい方だから。」


 目を細めて口角を上げて笑顔を作る彼女はどう見ても本心からの笑顔ではない。


「あの。私やっぱり帰ります‥」


 威圧感にやられた私は扉に手をかけると、進藤が腕を掴む。


「大丈夫。ほら。」


 そう言われた私は彼らの方に目をやる。するとパーン!とクラッカーの音が鳴る。


「弓木さん!お帰りなさい!!」


 さっきまでの言動が嘘のように優しい顔を浮かべた進藤のお母さん、歓迎!の二文字を掲げるお父さん、やはり膨れっ面の妹さん。これが彼の家族なのだ。


 私は驚きのあまりに目を丸くしていた。すると進藤のお母さんが言葉をかけてくれる。


「お帰りなさい。疲れたでしょ?ご飯食べて、お風呂入って、早く寝るのが一番よ。今はそれがあなたに必要なものだから。」


 優しい女性の手だ。


 頭の上に置かれたその手は進藤の手とは違う温かさを持つ。こんな優しい世界があったのか。私には勿体ないくらいの優しさ。


 また泣き出してしまいそうな私は必死に涙を堪えてお礼を述べる。

 

 そうしてしばしの間、進藤の家にお世話なることになった。


 家族の団欒を、幸せを味わった私は、こんなことがあって良いのかと、私の中の罪の意識が燻る。


 和室の部屋に布団を敷いて貰い、私は横になっている。新しい畳の匂いは、私の人生の中で初めての経験だった。天井に染みひとつないこの部屋はあまりに慣れない部屋で、私は疲れた体で、ぼんやりと天井を見続けていた。


 すると襖が少し開いて声がする。


「ねぇ。弓木さん?少し話してもいい?」


 私は起き上がると、その声の主の顔を覗いた。彼女は枕を持ってはいじらしくこちらを見ていた。


「夢ちゃんか。どうぞ。私も眠れなかったから、お話ししてくれると嬉しい。」


 そう声を返すと、夢ちゃんは部屋に入ってくる。

 布団に女の子座りすると、彼女は口を真一文字にして黙り込む。私は年長者なりに気を使おうと私から話しかける。


「夢ちゃんは何歳なの?」


 その言葉に上目遣いに「9歳、小学3年生だよ。弓木さんはお兄ちゃんと同い年?」と会話が成立したことに安堵する。


「そう。同じ学校のクラスメイト。今日は突然来てごめんね。本当に助かった。ありがとう。」


 頭を軽く下げると、彼女は「別にいいよ。」と呟いた。


「ねぇ。弓木さんはさ、お兄ちゃんとどうゆう関係なの?」


 その言葉は私は言葉に詰まる。それは私が一番知りたい。と答えたいところだが、今は「友達‥かな。」と答えるのが精一杯だった。


 すると彼女は「んーん。」と唸るように眉を寄せる。


「いや、別に弓木さんがそれでいいのなら、いいけど、なんかお兄ちゃん変だったから。お兄ちゃんはさ、ああ見えて良いやつなの。妹の私が言うのも変だけど、真面目で‥あ‥」


そこで言葉が止まる彼女は笑みを溢す。


「真面目で?」


「いや、そう言えばお兄ちゃんの良いところ真面目なところしかないやって思って。そう考えると残念なお兄ちゃんだったわ。」


 その辛辣な評価に、私もつい笑いが堪えられない。


「そうなのね。まあ真面目なのは素敵だと思うよ。」


「んーん。真面目過ぎてつまらないけどね。弓木さんはさ、どんな人がタイプなの?」


 唐突に聞かれた恋愛話に私は狼狽した。回り道など知らない最短コースで突き進む彼女の言葉に私は「まあ、そうだなぁ、優しい人‥かなぁ。」と当たり障りのない答えを言う。すると目を細めては疑いの目で睨んでくる。


「ふーん。正直言って弓木さんめっちゃモテるでしょ?その人が優しい人とか言ってたら、めっちゃ勘違い男寄ってくるよ?普通にイケメンで、お金持ちで、清潔感ある男。ぐらいは言っておかないとバランス取れないと思う。」


「そ、そうだね。まあ出来ればそのくらい素敵な人がいいよね。」

 と同調すると、「だよね!」と顔を近づけてくる。進藤と同じ綺麗な瞳を持つ彼女の目力は強い。


「夢はね、将来はめっちゃハイスペック男子捕まえて、玉の輿生活するの!でも、働かないってわけじゃないよ?旦那の会社で成り上がって敏腕経営者になるから!」


「そうなのね。」


 愛想笑いを浮かべていると、夢ちゃんは再び顔を近づけてくる。


「ねぇ。弓木さんには夢ある?」


 その言葉に「どうだろう?」と私は苦笑いをするしかなかった。夢を見ることなんて出来なかった。将来の展望よりも今日を生きることで精一杯で、私はいつしか夢を持てずにいた。


「あのね。夢はね、未来が楽しみなの。明日は何が起こるか分からないけど、明日はきっと楽しいこと、嬉しいことが待ってる。大変なことが起きても、また明日が来る。夢はね、弓木さんにも楽しいこと、嬉しいことが起きると思うよ。だって、弓木さんは素敵な人だから。類は友を呼ぶ。って言うでしょ?お兄ちゃんが選んだ友達なら間違いなく素敵な人だもん。だからね、夢からもお裾分けする。」


 手を握られた私は幼いその手にあったのは手のひらに収まるほどの小さい熊の人形だった。


「これは?」


「幸運のクマなの。亡くなったお父さんがプレゼントしてくれた。くまったら頼りになる。っていうダジャレらしいけど、夢は凄く助けられたし、御利益は本物だと思うから。」


 白い毛並みに円な瞳は優しく微笑んでいるように見える。


「いいの?大事なものでしょ?」


「いいよ。夢よりも弓木さんの方が必要でしょ?困った人を助けるのがそのクマさんの役割だから。」


「ねぇ。弓木さん?今日は一緒に寝てもいい?」


 私はその言葉に耳を疑った。正直言って快く思われてないと思っていた彼女からお誘いに私は「もちろん。」と受け入れた。二人で一人分の布団に入ると、昔を思い出す。


 雷を怖がる弟と一緒になって布団に寝た記憶は今でも鮮明に覚えている。今ではあんな可愛い姿を見せることはなくなったが、私の中では巧はずっと変わらず大切な、唯一の弟だ。



「あのね。夢はお姉ちゃんが欲しかったの。弓木さんのことお姉ちゃんって思ってもいい?」


 私は幼い少女の純粋な気持ちに嬉しかった。明日弟に会ったら謝ろう。私のせいで傷ついたこと、そして妹が出来たこと。きっと巧は優しく微笑んでくれる。


「良かった。これで二人目のお姉ちゃんが出来た。」


 え?聞き捨てならない夢ちゃんの言葉に、私は布団の中で目を瞑る彼女を見つめる。


 しかし彼女はスヤスヤと寝息を立てていた。


 これはどうゆうことかと私は頭を悩ませた。


 もう一人の姉はどこのどなたなのだろうか。付き合ってすぐに浮気された気分だ。けれどそのモヤモヤのおかげで、余計なことは考えずに済んだ。そして、目を覚ませば、明日はやって来ていた。

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