東美優の罪
残酷なシーンがありますので、あらかじめご了承ください。
東美優の罪
おんぼろアパート。
あいつに相応しいボロ屋だ。
私の憎しみや苦しみを知らずにあの女は生きている。
息をしている。
それを考えるだけで虫唾が走る。
耐えがたい屈辱と、厭悪の感情が私を支配する。
錆びついてギイギイと鳴る階段の音は、まるで終焉へと向かうレクイエムのようだ。
自然と気分は高揚している。
これから起こることは全てが私の事を裏切ったあの女の責任に帰結する。
そうだ、楽しもう。
楽しんで彼女の歪んだ顔、悲鳴、苦痛、私は快楽が奏でる音楽を楽しむのだ。音が鳴り止み、終止記号の記されるその時、裁きの主は現れる。
焼かれて灰になったこの世に未練はない。
私は迷う事なくブザーを鳴らす。
中から足音と共に声が聞こえてくる。怒りの炎はその艱難辛苦を体現するように私の左腕に宿った。
強く握りしめた出刃包丁を玄関口に出て来た人物に突き立てる。
骨と肉を突き刺す鈍い感覚は想像したよりも手応えを感じない。
苦しみに倒れた人物はあの女ではなく少年だった。声も出せずに苦痛に顔を歪めながらこちらを見る目は憎しみと、戸惑いに満ちていた。
私は玄関で倒れる少年を無視して、カバンから次の包丁を取り出す。まだ終焉には早い。
「どうしたの?え‥」
目の前の光景に言葉を失ったあの女の瞳には動揺と恐怖が浮かんでいた。私は神の裁きを下す。そう思い、視線をあの女の心臓に焦点を当てる。すると足元に何かが突っかかる。
「お姉ちゃん‥逃げて‥」
腹部に刺さったままの包丁は服の上からもジワジワと血が滲む。
それでもなお手を伸ばして私の行動を阻止しようと言うのだ。私はこの少年の行動に無償の愛を感じた。
底知れぬ愛情、姉を思いやるその心。
それに私は深く感銘を受けると同時に満腔の怒りが私を包んだ。
あ、そうだ。
こいつも殺してしまおう。
どうしてこうも私の感情を逆撫ですることばかり起こるのだろう。私が望んでも、望んでも、与えられなかったものを簡単に手に入れるあいつが憎い。だから私は裁きを下す。全ては不平等な世界を正すため。
しがみついてきた少年を蹴り飛ばすと、少年は荒い息のままこちらを睨み付けた。
強い憎しみを持ったその顔を見た時、私はどうしようもない愉悦と快楽が迸るのが分かった。
無償の愛を持つ者が憎しみに溢れてその心を支配されている。これほどの矛盾があるだろうか?高鳴る鼓動に私は金切り声を上げる。
「しねぇえええええええええ!!!!!」
両手で出刃包丁を振りかぶろうとした時、強い衝撃と共に視界がブレた。
頭部と腰を強打した私は出刃包丁を手から落とす。
「早く警察と救急車を!!」
私を馬乗りになって抑える男に見覚えがあった。
進藤咲空。
こいつも許せない男の一人だ。早く、早く、この男と少年、あの女を始末せねば。私はもがきながら押さえ付ける男の腕に噛み付くと、一瞬の隙を作った。
馬乗りの状態から解放されると、私は包丁を探す。しかし部屋のどこに飛んで行ったのか分からない包丁はすぐには見つからない。咄嗟に私はテーブルにあったボールペンを片手に女に襲いかかるが、不意をつけない形では体格差のある相手を殺すのは難しい。
揉み合いになり、私は焦っていた。
「進藤君!君は少年の手当てを!私が押さえる!」
眼鏡をかけた中年の男は玄関からそのまま私の方にやってくるのは背中で感じていた。私は女に頭突きすると、後ろに来る中年の男にボールペンの切先を向ける。
「来るな!!」
私は予想外の展開に判断を迫られた。この場の全員を殺すか、それとも逃げるか。
体格差から女を殺すことも難しいのに、他の2人の男を殺すことは困難だった。私はベランダの方に目をやる。この高さなら、飛び降りることも可能。
逃げてやり直す。
瞬時にそう決めた私はベランダに出ると、手すりを掴んだ。ベランダから部屋を横目に見ると、女の顔が視界に入る。私は一瞬のことで見間違いかと思った。けれど確かに彼女は悲しい目をしていた。
なぜ?
その疑問を問う事なく、私は飛び降りた。
私は地面ではなく空を見た。遠くにある雲は青空に孤独に浮かんでは、風に流されて散り散りになる。太陽の光はいつか届くだろうか。こんな私の、こんな酷い世界を、照らしてくれる太陽は、どこにあるのだろうか?
暗い‥寒い‥もうお終い?まだ、まだ、終わらせないで‥私にも‥光を見せて‥




