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柊透也の後悔

柊透也の後悔


 人を思うが故に行う罪は、どれほどの罪深さなのだろう。人を思い、気遣い、そして守ろうとする心は裁きを受けるのだろうか。罪悪感と正義がせめぎ合い、ここ1ヶ月の自分はかなりのストレスフルな環境にあった。


 押し付けられるようにクラス演劇での役者をやることになり、部活動も満足に行けない事態となった。その中で、あの日、あの大雨の日のことは自分の中で誰にも言えない秘密となっていた。


 大雨の中、唯一と言える電柱に取り付けられた街灯の先に薄らと浮かぶ塊のような物に気づいた。自分は当初それが人間であると認識出来ないほど視界は悪かった。


 近づいて見ると、平均よりも小さな体躯の少女だった。上下セパレートの黒いカッパを着た彼女は頭部から血を流し、その衝撃から気を失っていた。


 この時自分は彼女を襲った犯人が、おそらく東美優であるという真実は自分の中で良心の呵責に苛まれる選択を迫られた。この真実を闇に葬り去るにはどうすればいいか。自分は怖気を震うような考えが頭によぎった。


 目の前いる彼女を大雨で増水した河川に放り込む。幸い体重も軽そうな彼女を担ぎ上げて河川へと投げることは可能だ。この大雨の中、出歩いた彼女が行方不明になり、後に遺体が見つかったとしてもなんら不思議なことはない。


 不幸な事故として何もなかったことに出来る。


 それで彼女を守ることが出来る。


 全ては思いを寄せる彼女の為。


 自分の中の暗い闇がどんどん溢れては、コンクリートに打ち付ける大雨の音に掻き消されていく。


 目の前が狭窄して意識がぼんやりする。


 その時、一筋の稲光が走った。


 空気を裂くような轟音と衝撃に自分は意識を取り戻す。苦しそうに顔を歪める彼女を見て、ようやく手を止めた。


 自分はスマートフォンを取り出すと、非通知で救急に電話した。倒れた少女がいること、住所だけを伝えると、すぐに電話を切ってその場を離れた。


 自分は人を殺そうとした。


 その事実は自分の心を蝕む。


「なあ、柊?」


 肩を叩かれた自分は内心不意を突かれた。平生を装っては後ろを振り返ると、同じクラスの進藤がそこにいた。


「何かな?練習はしばらく休憩って話だったように聞こえたけど、何か変更でもあった?」


「いや‥前にも言ったけどさ‥何か困ったことがあるなら相談して欲しい。ただそれが言いたくて‥。いや‥それと‥」


 そう言いかけて進藤は口を噤んだ。何かを言いたげだが、その言葉が発せられる前に彼は自制した。


 おそらくその言葉は相手の個人的な部分に触れることなのだろう。常識人の真面目な彼はその言葉の持つ意味を知っていが故に躊躇した。困り顔の下がった眉の彼を見て、自分から話を振る。


「なあ。実は話したいことがあるんだ。けどここだと人も多い。屋上へ行く階段分かるか?あそこの踊り場は人が来ない。そこで話さないか?」


 そう言うと彼は「分かった。」と頷いた。自分と進藤は無言のまま階段を登る。一段一段が鉛を背負わされたかのように足取りが重く感じる。


 それはまるで断頭台へと向かう死刑囚のように、自らの罪の重さを背負わせられているようだった。


 踊り場に着くと、自分は自分の犯した罪を話した。


 彼はその事実を黙って聞いていた。自分は全てを話し終えると進藤の言葉を待った。


 下の階で聞こえる生徒達の賑やかな声とは対照的な進藤の険しい顔は、自分の犯した罪の重さを自覚させる。それでも深く息を吐いた後に彼はこう言った。


「柊の悩みを聞かせてくれてありがとう。柊が正直言ってくれたから自分も正直に言うけど、本当は知ってた。東美優がどんな人間か、彼女がどんなことをしてきたか。そして柊がそれに加担したのか。それも知ってたんだ。けど、黙ってた。」


「柊から話してくれるまで待とうと思っていたし、そもそも被害者の弓木も、轟も東のことを罪に問うことを望んでないんだ。その事は二人にも確認済み。だから柊も罪の意識に悩む事はない。それだけは言いたいかな。」


 罪人を前に進藤は微笑んだ。それを見て自分は酷く困惑した。なぜ?なぜだ?彼、彼女らは犯した罪を許すのか。自分には理解出来なかった。東が、自分が、したことは許されることではない。法によって裁かれるべきことだ。


 それを許すという行為を自分は理解出来なかった。


「なあ、なんでだ?東や自分のせいで傷ついて、酷い目にあったのに‥どうして許せるんだ?」


 その問いの進藤は頭を掻く。そうして「これは受け売りなんだけど。」と前置きした上で言った。


「人の罪を許せるのは人でしかない。犯した罪よりもその人のことを深く深く考えて、その人の為になるから。そう思ったから許せるんじゃないかな。」


 真剣な眼差しの奥で、透明な瞳が光る。深い闇の底に照らされた光は酷く眩しい。そう言った進藤はしたり顔で付け加える。


 「まあ、本当のところは本人達に聞いてみないと分からないね。まあ聞いたら案外許してないかもしれないから、聞かない方が得策だと思うけど。」


 思わぬオチに自分は思わず口元を綻ばせた。


「そうだね。女性の方が案外根に持つ人が多そうだ。」


 その言葉に彼は周囲を警戒しては声を顰めて言う。


「おい。そんな事を女子の前で言ったらとんでもない事になるぞ。本当に怖いんだから。」


 背後に潜む女性の生き霊に身震いするようにして彼は続けた。


「そうだ、これは自分からのお願いなんだけどさ、東さんのこと、一人にしないでやってくれないか?彼女は一人でいるとまた同じ事を繰り返してしまうだろうから。きっと今の柊なら一緒に乗り越えていけるだろうからさ。それに‥」


「それに?」


「いやまあ、これは勘というか、客観的分析なんだけどさ。柊は東さんのこと好きなんだろ?」


 唐突なその言葉に自分は笑わずにはいられなかった。まさか進藤から色恋の話が出てくるとは思わなかった。その反応に彼は驚いたように目を見開いては首を捻っていたが、自分は彼の正直さに免じて心の内を晒す。


「そうだね。彼女は‥大切な人かな‥。けど、彼女はそうは思ってないだろうからね。今は片思いだけど、彼女が一人にならないように自分は力を尽くすよ。時間はかかると思うけど、いつか彼女が幸せを感じられるように。」


 その言葉に進藤は手を差し出してくる。自分は進藤の手を取り握手を交わした。


「演劇‥絶対成功させて、みんなで良かったと思える文化祭にしよう。」


 自分は思いのこもったその手に力を込める。


「ああ。素晴らしい演劇にしよう。」


 固い決意は自分の中の深淵に一筋の光を差し込んだ。

 

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