結城かなみの選択
結城かなみの選択
私、結城かなみは進藤咲空のことが好きだ。それは掛け値無しに言えることで決して嘘偽りはない。
彼に対する気持ちは近くにいればいるほど思いは募り、彼の鼓動を感じていたい、彼の吐息、彼の匂い、彼の体温、全てを感じ、全てを受け入れたい。あわよくば、私の全てを曝け出して、全てを彼に預けてしまいたい。そんな気もしてしまうのだ。これは恋なのか。それとも欲望?はたまた純愛なのだろうか?この気持ちの正体は私にも分からない。一つだけ確かなことがある。
彼といると私は幸せなのだ。
私は文化祭で一定の区切りをつけることにした。この中途半端な関係を一変させる。
それは一つ間違えれば全てを壊し、全てを失うこともあり得る。それでも私は彼との関係がこのままでいることの方が危ういと、直感的にも、客観的にも思っていたのだ。
文化祭の出し物の候補に演劇が出て来た瞬間、あの瞬間に私はあの4月に感じた感情の爆発を感じた。私はこの文化祭で、演劇を成功させて、彼に告白する。
そして彼にキスするのだ。学校内でまことしやかに噂される、後夜祭でキスをしたカップルは結婚する。というジンクスに私は密かに期待していた。これを本気で信じるなんて少女漫画の読み過ぎではないかと、シニカルな人には笑われてしまいそうだけれど、それでも私は神話でも、都市伝説でも、街談巷説であろうと、私にとって都合の良いものは取り入れるタイプなのだ。
占いの結果だって良ければ信じるし、悪ければただの妄言だと気にしないようにする。
そうやって人生の中で自分の選択を肯定してきた。この学校にやって来たことだって、結果として間違いではなかった。友人が出来て、好きな人が出来て、それだけでも私の人生を大いに豊かにしてくれた。私はこの選択を正解にする。その強い覚悟を持って私は文化祭に挑むことにした。
演劇の準備は出だしの配役の難航などがあった割には、順調に稽古や大道具などの演出面でも準備が進み、文化祭本番に向けての最初の通し稽古をすることになった。
脚本兼演出の篠塚さんは出演者にそれぞれにアドバイスを送ると、「ではやってみましょう!」と声を上げた。
教室に簡易的に作り出された小劇場は、暗がりの中から始める。主人公アイリスが夢に見る理想の世界の話だ。全ての人が幸せと安寧を享受する世界。
しかしいつも夢の途中で目が覚めるのだ。
現実に引き戻されたアイリスは宮廷貴族の許婚ジェラルドとの結婚を前に、彼の粗暴さや、身分の低い者を蔑むような発言や行動に嫌悪感を抱いていた。彼と家、その狭間に立たされたアイリスは幼馴染である使用人のローズと頻繁に会話を交わすようになる。
幼い頃には感じなかったローズへの気持ちがより深い気持ちへと変化する中で、ローズもまたアイリスへの気持ちを深めていく。
女性同士の恋愛はタブーであり、認められるはずもない。それでも彼女達は二人が幸せでいられる世界を探そうと駆け落ちをしようとする。
しかし駆け落ちを約束した日に、ローズは待ち合わせ場所に来なかった。彼女は革命に端を発した暴動、そして民衆の略奪行為を止めようとして殺されたのだ。
その事実を屋敷に帰って来た父から知らされると、アイリスは一晩泣き続けた。やがて夜がやって来て外が嵐に包まれると、アイリスは着の身着のままで、外へ出る。
森を彷徨い歩き、嵐が過ぎ去った頃に開けた丘に辿り着く。眩しい朝日に目を眇めると、一筋の虹が架かる。虹の下にローズの後ろ姿を見たアイリスは走り出す。
しかし彼女の姿は朝靄に消えた。絶望と孤独の中にいるアイリスにローズの声が聞こえてくる。
その言葉に涙したアイリスは見ることの出来ないローズに語りかけて物語は終わる。
物語の中で私は弓木さんとキスをするのだが、正直言って男子生徒からは羨ましがられている。
私としては弓木さんの美しさにいつも圧倒されがちだが、キスシーンはそれなりにこなせている気がする。
もちろん本音では弓木さんではなく、執事役の進藤君ならば言うこと無し。というところだが、執事が使用人の女性に手を出す物語など、あまりにも高校生が演じるには下世話な物語だろう。
さすがにそれは私の願望が一人歩きしている。そうは言ってもキスシーンではいつも彼の顔が頭に浮かぶ。
そうすると自然とした演技が出来るのだ。その時にふと頭を擡げたのは、芽衣ちゃんは誰を思っているのだろうという事だった。彼女は以前恋人がいると言っていた。
私は必要以上に聞くことは避けていたが、芽衣ちゃんのあまりに自然で慣れているだろうキスまでの動作が私の中でモヤモヤとした感情を抱かせる。
そして今日の芽衣ちゃんの様子は明らかに今までのキスシーンと異なっていた。心なしか投げやりで、キスシーンそのものを忌避しているように感じた。最後のセリフも彼女が今までに見せてきた涙は流れなかった。
演技が終わった後、私は廊下で一人壁に背を付けてしゃがみ込む芽衣ちゃんに声をかけた。
「お疲れ様。今日も凄い演技だったね!」
そう言って彼女に自販機で購入したミネラルウォーターを差し出す。すると私の方を見て優しい作り笑顔を浮かべる。
「ありがとう。でもね‥なんか調子悪かったな。なんか毎回感情を込めるのは難しいね。」
苦笑いの下に隠した本音を私は感じ取っていた。彼女なりに何かあったのだろう。私は曲がりなりにも彼女の友達だ。悩みがあるなら打ち明けて欲しい。そう思っている。それでも私は彼女から話すのを待った。彼女のタイミングで話すことが彼女にとっても必要なことである気がしていたから。
私は文化祭準備で騒がしい他クラスの生徒達が通り過ぎる廊下で並んで窓の外を見つめていた。
秋の空は澄んで遠くの先まで見通せそうな気すらしていた。彼女はペットボトルの蓋を開けると、二口ミネラルウォーターを飲んだ。そして彼女は一呼吸おいてから重い口を開いた。
「あのね‥実は彼女と別れた。しかもかなり手酷くね。なんかさ‥人の気持ちが分からなくなってきた‥。まあそもそも私自身も自分の気持ちなんて分かってなかったのかも知れないけどね‥。」
彼女は組んだ両腕に自分の顔を埋めた。深いため息と共に彼女は透明な水の入ったペットボトルを揺らした。
「そうなんだ‥。」
私はただその事実を受け止めた。
気の利いたアドバイスなんて言える訳もない。でも彼女の友達だからこそ、私は彼女の側にいると決めていた。
孤独になったアイリスとは違う。私と彼女はこうやって隣にいて何も言わずに一緒の空を見れる。それだけでも物語は続いていくのだから。




