弓木芽衣は街角ランデブー
弓木芽衣は街角ランデブー
土曜日の昼はいつもならぼちぼちとお客さんがいてもおかしくないのだが、今日は生憎の雨のせいもあって店内はがらんとしていた。土日は家の近くのパン屋でバイト。
これは高校入学して以来のルーティーンになっている。午前中が出来たてのパンを求める客のピークを迎えて、午後の閉店間近にまとめて購入割引を目当てに客が来る。この店のパターンは大体そんな感じだ。
お客さんのいない店内では店長お気に入りの洋楽がかかり、それ以外はなんの特質すべきことは起きない。レジカウンターの所で丸椅子に腰掛けては、窓の向こうの雨の降る様子をぼんやりと見ていると、傘をさした男性がこちらにやってくる。傘をたたみ傘入れに入れると、店内に入ってくる。
「いらっしゃいませ!」
すぐに立ち上がり声を出すと、その男性の姿に私は思わずため息が出た。
「ちょっと。営業妨害って言葉知ってる?もしくはストーカー。それともその両方が目的ですか?お客さん。」
最後のお客さんに嫌味を込めて言うと、白地に青いラインの入ったポロシャツにチノパンの進藤は雨粒に濡れた足元を気にしている。
「いやー。結構濡れた。水滴溢してすまん。後で掃除しておいてくれ。」
「いや、あのね。人の話聞いてた?休日のバイト先に勝手に押しかけてくるのは非常識なんじゃないか?って話。」
「ん?さっきは営業妨害かストーカーか?って話じゃなかったか?」
なんだ、ちゃんと聞いているじゃん。ってことはわざとか。性格の悪い男。と悪態をつく。
「はぁ。まあ来たのならしょうがない。せめて売り上げに貢献してよ。そこにあるメロンパン、クロワッサン、硬くてこの店で1番人気のないライ麦パン。そこら辺を買ってくれる?今日は売れ残りそうだから。」
「いや、売れ残りそうな商品押し付ける店員ってどうなの?せめて美味しいから買って。って言われて騙される方が双方が得な気がするんだが。」
「じゃあ美味しいから買って。そしてついでに全く売れないこのうちの店のマスコットキャラ、パン子ちゃんのボールペンも買って。ちなみに4月から一本も売れてない。」
レジ横に20本近く置いてあるボールペンは店長の独断で制作したそうだが、まるで売り上げには貢献していない。そもそもこの食パンを模した少女は認知されていない以上買う人間もいないのだ。
「いやその追加情報余計に買いたくなくなるな。」
「じゃあ聞かなかったことにして。」
私がそう言うと進藤は「はいはい。了解です。」と肩を竦めては冷やかしではなく、ちゃんと顧客としてトレイとトングを持って店の中を見て回る。
言われた通りにメロンパン二つ、クロワッサン5つとライ麦パン二つをトレイに載せてレジカウンターに置く。
「あと、もうちょい買うから。」と言って二つ目のトレイを持つと、惣菜系のパンを選んでレジカウンターに持って来た。
「ねぇ、こんなに買ってどうするの?別に無理して買うことないけど?」
「いや、うちには食べ盛りの妹と父親がいてな。いっぱい買わないと喧嘩になるんだ。」
「ふーん。てか妹さんはまだしも、食べ盛りのお父さんってそれってただの食いしん坊じゃない。太るよ。」
パンの値段表と個数を確認しつつ箱に入れては金額を出していく。
「あー。まあそれは残念ながら未来形ではなく現在進行形なんだな。まあチートデイだから。何食べても大丈夫なんじゃないかな。」
苦笑いを浮かべてはボールペンの方をちらりと見やる進藤の視線を感じた私は「ボールペンはいいよ。普通の市販品買った方が実用的だし。」と言うと進藤は安堵したように胸を撫で下ろしていた。
「はい。合計で3200円です。」
「じゃあQRコード決済で。」
「ないよ。」
「え‥。」
「うちはニコニコ現金払いだけなの。流行りのキャッシュレスには乗らない。現金だけが信頼できる。が店のコーポレートアイデンティティだから。」
「コーポレートアイデンティティ‥。」
その言葉に硬直した進藤はしばらく立ち尽くしていた。恐る恐る自分のポケットから財布を取り出すと、ようやくその中身を見て強張っていた肩を下げた。
「じゃあこれで。」
ぴったり3200円を出してきた進藤からお金を受け取り、レジスターに入力してお金をしまう。
「お買い上げありがとうございましたー」
接客スマイルで見送ろうとすると進藤は「あのさ、バイト終わるのは何時になりそう?」と聞いてくる。
「今日は15時上がり。何?話でもあるの?」
「まあね。店の前のベンチで待っててもいいかな?」
彼が指指したベンチと共に私は外の天候を気にした。雨は強まっているし、店の前のベンチはおそらく吹き込んだ雨でびしょ濡れだ。一応お客さんである以上はおざなりにするのは忍びない。
「まあいいけど、外は結構雨降ってるでしょ?店のイートインコーナーで待ちなよ。本当は長時間占拠お断り。ってなってるけど。今日はお客さん少ないからいいと思う。店長来たらパン食べてるフリでもしてて。」
すると進藤は「それはありがたい。そうさせてもらうよ。」と軽く会釈すると店のイートインコーナーに向かい、1番奥の席に座った。
それからは強まる雨の中、客足はピタリと止まった。
気の抜けてしまいそうなほど退屈でいると、気になるのは進藤の様子だ。レジカウンターを抜けて忍足でイートインコーナーの方を覗くと、彼は目を瞑っては静かに寝息を立てているようだった。
近づいていくと眠る彼の顔は穏やかで優しい顔をしていた。長い睫毛やくせっ毛の髪、こう見ていると、まるでトイプードルを見ているようだ。愛玩動物として人気の彼らを擬人化したような彼はどこか人の警戒心を緩ませる。彼の鼻に触れてイタズラしてやろうかと思ったが、ふとかなみの姿を思い出して、手を伸ばすのをやめる。
忘れようとしていた記憶が蘇る。
夏休み前。
終業式を終えて帰宅しようとした私はリュックにペンケースがないことに気づいた。降り始めた坂道を、踵を返して登り1年2組の教室の前まで来た。扉の窓から中がチラリと見えた私は思わず扉を開けるのを躊躇した。
男女が二人きりで話している。どこのカップルかと、再び注視してみると、かなみと進藤の横顔が見えた。
なんだあの二人か。と安堵した一方で、かなみの言葉を、気持ちを思い出す。
「ずっと進藤君のことが好き。」
その言葉が脳裏から離れない。澄んでいたはずの心が濁っていくのが分かる。今は邪魔してはダメだ。少し待とう。そう思った私は廊下で息を潜めた。漏れ聞こえる彼、彼女の声にうるさくなる鼓動を押さえつけて耳を澄ましては中の様子を窺う。
二人が会話の中で近づくのが分かった。私はその流れで彼らが付き合うのではないか。
という思いが頭を擡げた。それはかなみの望みであり、幸せなのだ。それはどんなに素晴らしいことだろう。好きな人と両思いになる。互いを大切にし合うことが出来る関係。机一つを挟んで座っていた二人は進藤が手を伸ばすと徐々に近づいていく。
どうしてかこの時、進藤の顔が浮かんだ。
一生懸命に他の生徒に説明する姿や、笑った顔、怒った顔、澄ました顔、困った顔。
どこを切り取っても私の心が締め付けられる。なんだこの感情は。
私は何を考えているんだ。
どうしたいい?
私は何をすべきなんだ?
分からない。
分からない。
何が正解か分からない。
行き場のない感情は強くなる。
吐き出したい。
全て無くしてしまいたい。
そう思う度に強く拳を握る。そうすると心の水が突沸したように、無意識に目の前の壁に拳をぶつけていた。
「ドン!」
と鈍い音と共に右手にどうしようもない痛みが走った。
感情は複雑‥
異性として好きなのか、単なる好意なのか。その違いは?境界線はどこにあるの?といつも考えてしまいます。




