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君に決めた!!

君に決めた!!


 校舎一階の昇降口にある自販機で彼女は缶の緑茶を、自分はペットボトルのミネラルウォーターを購入して、校舎を出た。


 いつもの下り坂を彼女のペースに合わせて降りていく。


「で?話って何?また厄介事?」


 嫌そうな顔をして緑茶に口をつけると、横目にこちらに視線を向けてくる。


「んーん。まあね。」


「ほら、やっぱり。進藤ってあんた疫病神なの?」


「いやはや。それは酷いなあ。でも今回は悪いことばっかりじゃないよ?」


「へー。そうなんだ。お金が発生するとか?」


「いや、それはないかな。」


「なーんだ。それならパス。」


 あっけなく断られたとも考えられるが、この数ヶ月で弓木の特性はなんとなく理解出来ている。意外にも人情家的な優しさを持ってる彼女は、誠意を尽くせば応えてくれる。そう言う感覚があったが故に自分は諦めない。


「まあ。聞くだけ聞いてよ。文化祭なんだけどさ‥」と切り出したところで、眉を顰めてこちらを睨んでくる。


「あのさ。私の立場知ってる?私はクラスの除け者なの。そんなやつが文化祭で何やらせようとしてるか知らないけど、まともに仕事出来ると思う?またギクシャクするに決まってるじゃん。」


「いや、まあそうかもだけど。」


 と反論しようとすると、「いや、除け者は否定しなさいよ。本人目の前にしてそれ肯定したら、いじめじゃん。うわー。学級委員にいじめられたって先生に言おー。」


 小学生のような口調に完全にペースを握られた自分は負の感情を握りしめて、押し潰してから腹の底に閉じ込める。でなければ女性に対してでも容赦なく手が出そうだ。


「はぁ。じゃあいいよ。弓木は適当に雑務担当で、なんでも人手足りないところ入ってもらう感じで。」


「それは嫌!衣装担当のところ入れられたら絶対最悪じゃん!」


「じゃあどうするんだよ。仕事無しには出来ないからな。それにどうせ暇なんだろ?」


 その言葉に頬を膨らませて怒りをあらわにしている。


「そんなことないし!家の手伝いとか弟の世話とか、大変だし!」


「ふーん。じゃあなんでこの前は一緒に来てくれたんだ?かなり遅くまで回ってたろ?」


 そう聞くと都合の悪いことには口を曲げて黙秘を主張するとばかりに飲み終えた空き缶を押し付けてくる。


「なあ、頼むよ。実は篠塚さんたっての希望なんだ。どうしても弓木に主演やってほしいって‥」


「主演!?」


 驚いて目を見開いた彼女は自分の肩を持ってガンガン揺らす。暑さも相まって頭も視界も揺れる。


「あんた何考えてんのよ!馬鹿なの?アホなの?そんなことしたら私の立場はどうなるのよ!目立ちたがり屋の高慢ちきって言われるのよ!どうやってその責任取るのよ!」


「わ、分かった。分かったから。どうか落ち着いてくれ。」


弓木の肩を押さえて揺らすのを止める。目がくらくらするのを感じて額を押さえる。


「もう!ほんと無責任!そもそも篠塚さんだってそんな無茶振りするなんてわざととしか思えない。絶対私のこと嫌ってる‥。」


 肩を落としてため息をつく様子は興奮して話にならない先程よりはましだ。しかし自分で自分の気分を落とすなんていつか誰かのことをマッチポンプと言っていたが、そのまま彼女にブーメランになっている。


 そうは思ったが、余計な反感を買うのは必須なので口には出さずに、とりあえず交渉を続ける。


「いや、それはないって。作品読んでもらえれば分かるけど、スラリとした長身に、周囲を惹きつける眉目秀麗な容姿。とあるんだ。少なくとも弓木が1番クラスの女子の中で身長が高いし、尚且つ美人だろ?篠塚さんの脚本のイメージにぴったりなんだよ。」


 そうすると眉を上げては彼女は「今の言葉!もう一回言ってみて。」と促してくる。


「いや身長が高くて、尚且つ美人。だろ?」


「んーん。そう。美人。美の概念ってさ。時代によって変遷があったと思わない?」


「というと?」


「まずね、篠塚さんの脚本の設定では18世紀のフランス革命で揺れ動くフランスでしょ?その時代の美の価値観と、今の価値観では大きく異なるってことよ。それ故に今の価値観で美人だとか、そうじゃないとか考えてキャスティングするのは間違いだと思うの。当時の美の価値基準でキャスティングするのが一番。それが作品にとってよりリアリティーを増すと思わない?」


 その見解には一理ある。さすが頭が切れるだけはある。詭弁も一流だ。


 しかし所詮は詭弁だろう。確かに美の概念に変遷があろうとも、それは現代に生きる観客には伝わらない。


 それに今の美の概念に基づいて舞台が進まないと観客が感情移入しづらいという問題もある。そしてこれは創作劇。リアリティーよりもフィクションとしての完成度が、観客の満足度が作品として優先される。


 自分はその事を切々と説明すると、物凄い不満そうな顔でこちらを見る。


「ねぇ。進藤も商業論者なの?」


「いや、やるからにはみんなに楽しんでもらいたいだろ?」


「ふーん。まあ良いけど。とりあえず主演は無理!じゃあね!」


 無理やり話を切られた自分は走り去っていく彼女の背中を見ることしか出来なかった。


 日付は戻り二学期始まりの始業式の日。午前中で終わるこの日は最後にホームルームをやって終わる。


 しかしそのホームルームでは配役決めという難題が待ち構えていた。学校からの諸連絡を伝え終えた担任鞍馬は文化祭実行委員の二人にバトンを渡す。


 夏休みを挟んで久しぶりとは言え、夏休み期間中に大道具や脚本の手直しをしてクラスメイトからある程度の信頼感を得た篠塚さんは心なしか自信を持って教壇に上がっていた。


「それでは改めて希望を募ります。」


 その言葉に手を挙げる生徒が複数名現れた。その光景に目を輝かせていたが、その数分後にはまた沈黙と陰鬱な空気が漂っていた。配役は脇役の女中や街人、露天商人が決定し、追加キャストの執事、セバスチャンはなぜか篠塚さんが「セバスチャンは進藤君!」という鶴の一声で強制決定された。


 自主性が大事という共通認識はどこに行ったのだろう。


 そんな独り言を密かに呟いてホームルームの推移を見守る。


 それでも残るアイリスとジェラルドはどうにも希望者がおらず、暗礁に乗り上げた。


 しかしここで篠塚さんは思い切った提案をする。教卓をバン!と両手で叩き注目を集めると、真剣な眼差しでクラスメイト達を見やる。


「あの!ほっんとうに皆さんには協力頂いているのに申し訳ないんですが、私の個人的な意見を言わせてもらってもいいですか?」


 その言葉には同意を求めるというスタンスではなく、周囲を威圧する程の勢いがある。その言葉に隣にいた武田が困惑気味に「どうぞ。」と促す。


「では、はっきり言うと、残るアイリスは弓木芽衣さん!ジェラルドは柊透也君が適任だと思います!!お二人はどう思いますか!!」


 ボールを投げられた弓木は突っ伏していた体を起こして体の前で手を振りながら「無理無理!」とジェスチャーで拒否している。一方の柊はいつものように爽やかながらも苦笑いを浮かべている。


「では!私はこの二人が拒否するというのなら、アイリスとジェラルドは等身大パネルを黒子が持って、セリフは声優役の生徒があてます!それでやります!私は本気です!!」


 その威勢からは冗談という雰囲気は1ミリも感じない。


 本気なのだ。


 本気で舞台に等身大パネルを持ち込んで人間とパネルの会話劇をやろうと言うのだ。


 それはある意味斬新だがクラスの演劇として悲劇であり喜劇のような話である。


 いっそのこと全員パネルか人形劇に鞍替えした方がマシなくらいだ。


 その発言に武田は宥めるように「まあまあ。」と声をかけると目を赤くして涙を溜めた篠塚さんの顔を見て、彼女の思いの強さに狼狽えたのか、ぎこちなく前方の席に座った自分に助けを求める視線を送る。


 しばしの沈黙はより空気を重くさせている。それをこれ以上続けることは不毛だろう。そしてその場をどうにかしないといけない責任を押し付けられたのもあり、仕方なく発言をする。


「あの。ちょっとだけいいですか?」


「お、おう。進藤何かアイデアあるのか?」


 ようやく助け舟が来たと安堵したように武田はこちらに発言権を譲った。


「まあ、篠塚さんの意見は悪くないと思います。しかしキャストに関しては本人の意向を無視は出来ないです。ここは少し考えてもらう時間を‥」


 と話していると後ろの方で手を挙げる生徒がいる。


 弓木だ。


「えっと、進藤悪いけど、弓木さんが話したがってるみたいだから、聞いてもいいかな?」


 自分は後ろを振り返ってその姿を見ると、そのヘーゼルカラーの瞳からは強い覚悟を感じた。「じゃあ。」と発言をやめて席に座ると、彼女は静かに立ち上がり話し始める。


「えっと。話の途中ですいません。今篠塚さんの気持ちや、姿を見ていて、やっぱり思ったことがあったので言います。正直言うと、私は演劇にはあまり参加したくありませんでした。クラスの輪を乱すことはしたくなかったし、私が主演をやるのはやっぱり気に入らない人もいると思います。」


「それでも、篠塚さんがこうやって私にやって欲しいって言ってくれて、本音を言うと嬉しかったです。だから、もし、クラスのみんなが認めてくれるなら、私にアイリス役をやらせてもらえないでしょうか?お願いします!」


 長い髪を前に垂らして深く頭を下げている彼女を見て、自分は本当に彼女なのかと疑ってしまう程だった。


 あまりに素直で、真っ直ぐな姿勢にクラスメイト達も驚きを隠せなかった。


 彼女のパーソナリティを知っていれば、こんな事をするような人間ではないことは百も承知だ。


 その彼女がパブリックイメージを捨て去ってまでも演劇をやる。その強い覚悟に1番に賛同したのは結城だった。彼女が始めた拍手は次第に伝染し、クラスメイト全員が彼女に拍手を送った。その光景にまた一礼すると彼女は面映そうに席に着いた。


「ありがとう‥ほんとに‥ありがとう‥」


 教壇に立つ篠塚さんは、感謝の言葉を述べながら、顔をクシャクシャにして滂沱の如く流れる涙を必死に拭っては感情を抑えきれないようだった。


 進行を進められない彼女に代わって武田がホームルームを進める。


「えっと。それではアイリス役は弓木さんで決定します。残りのジェラルド役ですが‥柊はどうかな?やっぱり嫌か?」


 武田の問いに柊は周囲を少し気にする素振りを見せる。苦笑いを浮かべては困ったように頭を掻く。しかし周りの期待感を肌に感じてか、「いや‥実力不足かもしれないけど、よろしくお願いします。」軽く頭を下げて答えた。


 その答えに再び拍手が鳴り響く。その光景に自分も安堵の息が漏れる。ようやく決まった配役。これで役割は全て決定した。10月に向けた文化祭準備は一段と加速していく。全ては好転していくとそう思っていた。

 

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