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思い違い

思い違い


 テーブルに並んだ料理を前に自分と彼女は手を合わせては「いただきます。」と声を揃えて食事を始めた。彼女の作った味噌汁は白味噌で優しい風味と出汁の香りが鼻に抜けるようでとても美味しい。


 ハンバーグも案外上手く出来たようで、ご飯と一緒に食べては彼女も目を細めて感心しているようだった。二人は夏休みの課題や、体育祭での出来事やクラスでの日常などありきたりなことを話していた。特に部活での仲間との話は笑顔で聴いてくれていたように思う。全てを食べ終えると、彼女は片付けは私がやるから良ければ私の部屋でくつろいでいてよ。と勧めてきた。


 自分はそのままリビングで話している方が良かったのだけれど、彼女はここだとくつろげないでしょ?と散らかった周りの様子に視線をやって暗に示した。


 本当は彼女の方が嫌だったのだろう。それを悟った自分は彼女に連れられて2階の彼女の部屋へと向かった。階段を登り、2階の廊下に立つと夕暮れの日差しが採光窓から差し込み、埃と湿気が入り混じった不快な暑さが漂う。


「ここだから。今エアコンつけるから座って待ってて。」


 そう言って入れられた部屋は他の部屋とは違う整頓された部屋だった。エアコンをつけた彼女はそのまま扉を閉めると自分はこの部屋に一人取り残された。


 白いカーペットに、黒い丸テーブル、ベッドの上には大きめのクッションと、女性に人気のキャラクターのぬいぐるみがある。窓の近くには勉強机があり、上棚にはアーティストの写真集や学校のプリント類がファイルに入れられて置かれていた。


 とりあえず壁に背を預けて丸テーブルの近くに座ってはスマートフォンを見た。既に母には夕飯はいらないと伝えてあったが、その返信が来ていた。それ以外にも友人からの他愛のないメッセージなどがあったが開かずにそのままにした。


 静かな室内でエアコンの稼働音が響く中、部屋の入り口の隅の方にある白いチェストが目に入った。家の中は乱雑に衣類が放置されていたが、この部屋には散らかった衣類は見当たらない。おそらく自分の服はきちんとチェストに入れて保管しているのだろうと予想を立てるうちに、この部屋と家の中の清潔さの違いに疑問が浮かぶ。


 ここまで綺麗にされた部屋とそれ以外の場所。同じ家の中でも全くもって異なる扱いだ。つまりはここは彼女の場所だが、それ以外は彼女の預かり知らぬ場所ということなのだろうか。入院したという母親について詳しく聞くことは避けてきたが、なんとなくこの家の異質さを目の当たりにすると納得もいく。


 徐々にエアコンから吐き出される冷気に室内が冷やされてくると、頭も冴えて余計なことまで考えてしまう。


 この部屋で一人、彼女は何を考えて過ごしていたのだろう。長い夏休みの中、彼女は何を思ってわざわざ学校に来ていたのか。孤独と不安。彼女の中にある闇の正体はどこにあるのか。どうにも彼女の気持ちが知りたいが、適切な言葉が上手く出てきそうにもない。考えているうちにまた彼女との間にある厚い壁を越えれずに立ち止まってしまう。


 考えが纏まらない自分は頭を掻いてモヤモヤを忘れようとするが、どうやってもそのモヤモヤは晴れそうにない。


 そうやっているうちに、30分は経っただろうか。目を閉じて心を落ち着かせようとしていると不意に扉が開く。


「ごめん。お待たせ。」


 そう言って入って来た彼女は白いキャミソールを身に纏い、制服姿の時とはまるで違う雰囲気を醸し出していた。大きく出た肩に、下から覗く透き通るような白い肌の足は、素足だった。その美しさに自分は息を呑んだ。そして恥ずかしさのあまりに目を逸らした。

 それを見ても彼女は気にする素振りも見せずに、ベッドに腰掛けた。


「エアコンつけたら、だいぶ涼しくなったね。でもまだ暑いか。」

 そう言ってキャミソールの胸元を持ってパタパタと仰ぐ仕草にどうしても意識が向いてしまう。意識的かわざとかは分からないが、床に座る自分とベッドに座る彼女とでは視線としては下から上へと向く。故にこの角度はどうしても彼女の足も気になってしまう。あまり気にするのは失礼だと顔を見るようにして話そうとすると、彼女の方から


「そっちはエアコンの風当たらないからこっち来なよ。」


 と手招きされる。


 「そうだね。」と自分は心拍数が上がるのを必死に誤魔化しては隣に座る。


「ねぇ。柊君はさ、昔言ったこと覚えてる?」

「昔って小学生の頃ってこと?」

「そう。小学4年生の冬、飼育小屋で話したこと。」

 

 そう言って彼女はさりげなく自分の膝の上にあった手の上に彼女の手を重ねた。柔らかく温かいその感触に心臓がドクンと跳ね上がったのが分かった。


「たぶんだけど、覚えてる。お母さんが嫌いか。って話だよね?」

 

 何事もなかったかのように答える自分はもう片方の手で太ももをぎゅっと握った。


「そう。あの時とさ、柊君は気持ち変わった?」

 

 そう聞く彼女の手は自分の手を握る。あたかも普段通り話す言葉に、隠した思いを込めるような彼女の行動に自分は彼女の望む答えを差し出す。それが本心でなくても。


「変わらないかな。親は‥あんまり好きじゃない。」

 

 そう言うと彼女は強く握った手を緩めた。


「そっか。そうなんだ。なら良かった。同じだね。柊君なら共感してくれると思ってた。」


 彼女は深く息を吐き出すと、ゆっくりと過去を語った。あの時は聞けなかった過去。その言葉一つ一つに耳を傾けていると、どうしようもなく空気の重さを感じる。


 彼女が小さな頃は仲の良い両親だったらしい。しかし父親の仕事が忙しくなり、そこに母親の体調不良が重なり、ちょっとした言い合いや不和が増えていった。少しのズレはやがて大きな溝になり、修復不能となった両親は離婚という選択を取った。父親は彼女を残したまま家を出ていき、母親と二人暮らしとなった。


 その後母親は体調不良と将来への悲観から精神を病み荒んだ生活をしていたらしい。まともに家事もせずに酒と薬を併用して癇癪を起こしては暴れたそうだ。彼女への暴力も頻発し、中学生の頃には警察沙汰になったこともあったらしい。彼女と母親の関係は最悪だった。


 そこに来て夏休みの始まり、7月下旬に決定的な事件が起きた。母親が写真立てを投げつけ、それが彼女の額に直撃した。無論流血騒ぎとなったこの事件を契機に母親の入院が決まった。前髪で隠された額にはまだ傷の痕が残っていた。


 自身の過去を語った彼女はどこか他人事のようだった。

 一通り語り終えた彼女は微笑を湛えてはこちらを覗いてくる。そして言うのだ。

 

「ねぇ。柊君はさ。小学生の頃、私のこと好きだった?」

 

 その言葉に自分は驚いて「えっ?」と声を漏らす。そんな事は誰にも言ってないし、当時彼女に伝えたこともない。突然過ぎるその言葉に動揺した自分は咄嗟に彼女とは反対の方を向く。なんと言おうかと考えを巡らせるが、上手い考えは浮かばなかった。数秒ほどの沈黙が何時間もの沈黙の様に感じて、自分の手に汗が滲むのが分かった。


 酸素を欲する自分は短く2回呼吸をしてから言葉を返す。


「いや、まあ‥そうだね。好きだった。」


 照れ隠しのような言い方に自分の情けなさを思い知るが、彼女はそんな様子を気にすることはなかった。事実を確認するかのように淡々としていた。


「そっか。じゃあ両思いだったんだね。私も好きだったよ‥。」

 

 その言葉は自分の思っていた反応と違っていた。どこか物悲しいその言葉の先には、喜びはなく、あるのは悲しみと寂寞の念が横たわっているだけだった。知りたがりは罪だと言うのに。知ろうとしたが為の罰。これは自分への罰なのだ。

 

「あのさ。柊君は知ってた?小学生の頃、女子はみんな柊君のこと好きだったんだよ。サッカーが得意で、カッコよくて、優しくて。みんな柊君のこと好きだった。でもね、そんな柊君がね、みんなが好きでいれなくなる状態があるの。分かる?柊君が誰かと両思いになること。誰かのものになること。それってね、みんなのものが誰かに取られちゃうってことなの。それってさ、とっても良くないことだよね。みんなが幸せでいるには誰かのものじゃなダメなのに。でもね、私はみんなの柊君じゃなくて、私の柊君が欲しかったの。それはさ、私が欲張りだから、だからみんなが我慢してるのに私は抜け駆けしたの。一緒に飼育委員やったり、放課後待ち伏せして一緒に帰ったり。でもそれはね、いけないことなの。みんなで幸せになる為には、私は悪者だったの。みんなの態度は徐々にあからさまになって、無視されたり、仲間外れは当たり前だった。それで私はようやく理解した。みんなの幸せを壊すやつには罰が与えられるんだって。そう納得しようとした。みんなが幸せであるには抜け駆けするようなやつはいちゃダメなんだって。でもね、私の家はそうはならなかった。幸せをぶち壊したお母さんも、お父さんも、自分勝手に暮らして、私ばっかり不幸になって。凄い苦しかった、辛かった。誰も助けてくれなかった。ねぇ、これって私が悪いのかな?」


 彼女の突き付ける言葉の一つ一つが、自分の心を締め付ける。彼女は不幸せだった。けれど当時の自分に何が出来たかも分からない。しかし紛れもなく事実として、彼女の不幸の一端に自分がいたという真実だけが、重くのしかかる。強く強く握られた手は痛みと共に己の罪を刻み込んでくる。


「そんなことないよ。東さんは悪くないよ。」


 言葉だけの肯定。それは空虚な言葉だと分かっている。後ろめたさからか自分の言葉は彼女の望む言葉を差し出すことしか出来ない。


「そうだよね。そうだよね。じゃあさ、今まで不幸だった分はさ、取り返していいよね?」


 その言葉は自らの行動を肯定するのに必死な幼児のようだった。それでも彼女を否定することなど出来るはずもなかった。自分は否定出来るような人間ではなかった。


「そうだね。これからはもっと幸せになっていこう。」


 彼女がどんな苦しみや痛み、闇を抱えているか分からない。けれど肯定することで彼女の痛みが和らぐなら。そう思うと自分は彼女の痛みに寄り添うことにした。無言で強く握り締めた自分の手を、もう片方の手で包み込む。


 すると彼女はこちらの顔を覗いた。大きな双眸で幼気な視線をこちらに向けてくる。彼女の息遣いに自然と鼓動が早まる。目を閉じて徐々に近づいてくる彼女の唇は薄い桃色に染まり、距離が近づくほどに彼女が纏うミュゲの香りに自分は引き寄せられる。

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