ノーリターン
ノーリターン
練習が終わるとすぐに制服に着替えを済ませては、スマートフォンを確認する。そこにはショートメッセージが一件来ている。「三叉路のところに着いたらメッセージください。」と書いてある。そのメッセージはどことなくよそよそしい感じだが、それでも自分は嬉しかった。
小学生の思い出、それは過去を美化しがちな人間の印象操作なのかもしれない。けれど確かにその記憶にある彼女は明るく優しい、そんな理想的な女性のイメージを与えてくれた存在だ。
周りの目を気にしつつ、普段帰る部活の仲間には先生に呼ばれているからと言って先に帰るように促しては、二人でいるところに鉢合わせないように気を配る。部活の仲間達が帰路についたのを見計らってメッセージを送る。「そろそろ学校を出るね。」そう送ると、彼女からは「分かった。」と返信が来る。
逸る気持ちを抑えつつ、下り坂を降りていく。重力で引っ張られる力を重心を後ろに置いて下る。午前中の練習を終えて帰路につくこの時間帯は、更に日差しが強まっていた。肌をジリジリと焼くようのこの日差しを、手で遮っては空を見上げると、遠くの空で入道雲が立ち昇っていた。
ふとこの暑さで東は大丈夫だろうかと心配になる。スマートフォンの天気予報のアプリでは最高気温は33度とあった。普通の人間ならば外でまともに活動しようとは思わないだろう。
そんな気温と日差しの中待たせては悪いと、後ろにあった重心を前へと傾けては、下り坂の勢いに任せて足を加速させて行く。纏わりつく夏の暑さも、走れば少しはマシになるかと思いきや、ジワリと吹き出す汗に東に会う前に走ったのは失敗したと後悔する。
それでもすぐに三叉路に着いた自分は横断歩道を渡って民家の側でスマートフォンを確認する。「今着いたよ。」とメッセージを送るとすぐに「うん。今向かってるから。」と返信が来る。それを確認した自分はすぐにバックに入れた制汗剤シートを取り出しては、汗を拭く。シトラスの香りがどこまで効果があるか分からないが、多少はマシになるだろう。
それから5分ほど行き交う車を眺めていると、学校とは異なる方向から東の姿が見えた。彼女は夏の日差しを気にすることなく、まるでその周りだけ冷気でも漂っているかのように涼しげな顔で歩いて来た。信号待ちで立ち止まると、顔の横にあった髪を耳にかけては白い雪のような肌がチラついて頭に残る。やがて信号が青になってこちら側にやってくると気のない声で、「待った?」と聞いてきた。
自分は「全然大丈夫。じゃあ行こっか。」と言い歩き始める。最寄り駅に向かうには商店の立ち並ぶアーケード街が一番の近道だが、敢えて人通りの少ない、遠回りの住宅街を進路に選ぶ。それに対して何も聞かない彼女はどこか横並びよりも一歩後ろで歩いている。
「どこで待ってたの?」と聞くと、彼女は学校の近くの公園で待ってたと言った。東屋があり日差しを遮る日陰があって丁度良いところだから。と言うと斜め下を見ては、肺に溜まったため息を吐いた。
しばし無言でコンクリートの地面を見つめながら歩いてはどう言葉を捻り出そうかと思案していた。しかしその心の内は小学生時代の話をしたい。けれどその気持ちが自身の口を重くする。
どうして変わってしまったの?
何も考えずに、何も気にせずに、無遠慮にその言葉を投げかければ、その言葉の棘に彼女を傷つけてしまうだろう。固く閉ざされた心は永遠に開かれることはなくなってしまう。なんとなくは彼女の変化に気づいていた。小学4年生の頃からに比べて彼女の雰囲気は6年生の卒業するタイミングでは純粋な明るさとは違う、何か暗い気持ちを抱えている。
そんな気がしていた。当時の自分は本当に未熟で人の気持ちに対する配慮や気持ちを推し量ることが不得手だった。サッカーボールとサッカーをする仲間、学校の友達。家族。担任の教師や周囲の大人達。それらが当たり前にあって当たり前に回り続ける世界を日常と呼んで疑わなかった。
その中で綻ぶものがあっても、当時の自分はその少しの違和感を、その言葉の機微を、鋭敏に感じ取れるほど聡い人間ではなかったのだ。
今考えればそれは彼女のSOSだったのかもしれないのに。
小学4年生の2月。自分の小学校では校舎裏にある飼育小屋でうさぎを飼っていた。名前はシロだった気がする。飼育小屋にはシロと木製のネームプレートに書いてあったけれど、それぞれ思い思いの名前で呼んでいる生徒がほとんどで、そのどの名前で呼んでも大抵は反応するうさぎだったので、みんな名前に固執することもなかった。
あの日、放課後に飼育委員の当番だった自分と東は日差しの陰る校舎裏の飼育小屋で清掃作業をしていた。古くなった藁をゴミ袋に入れて、コンクリートの床面を水で流す。
そして新しい藁を敷いて、ペレットフードをおそらく猫用を転用したのであろうピンクの餌入れに入れて与えれば作業は終わる。小さな飼育小屋の清掃はそんなに時間はかからない。
しかし二月はやはり冬の寒さがきつい。軍手をしながらだが、思わず息を吹きかけて手を温めては作業を行っていると、清掃作業を終えるのを待つ間、後ろでうさぎを抱き抱えていた彼女はぽつりと呟く。
「生きてても意味ない命もあるのにね。」
その言葉がうさぎに向けられた言葉なのかと思い、自分は酷く困惑したのをよく覚えている。
命の大切さを学ぶ為にこのうさぎを飼育している。そう担任は言っていたことが頭にあった自分は彼女の真意など分かるはずもないのに、「そんなことないよ。大切な命でしょ?」と諭すつもりが少し語気を強めて言ってしまった。
たぶんその時の自分は寒さの中で自分だけが作業をして彼女は楽をしている。そんな気持ちもあったのかもしれない。普段はそんな言葉使いをしない自分の思わぬ言葉に驚いたのか、目を見開いては次第に不満そうに視線を逸らした。
しばらく無言が続き、自分は藁を片付けてゴミ袋の端と端で縛り上げた。軍手を外してホースを持って水をまく。手早く終わらせようと出し口を窄めて水圧を上げると、触れた水が手先をジンジンと痛めつけてくる。コンクリートに跳ねる水は汚れと共に排水溝へと流れていく。
その様子を見ていた彼女の方がようやく口を開いた。
「ねえ、柊君はさ、お母さん好き?」
その言葉に何を聞くのかと少し苛立ちを覚えた。小学生の微妙な時期に母親が好きかと問われるのは様々な問題がある。ここで聞いた答えを言いふらして自分を茶化そうと言うことか?と勘繰った自分は「別に。」とぶっきらぼうに答える。
すると彼女は「じゃあ嫌い?」と立て続けに聞いてくる。
当時の自分にその問答にどれほどの深い意味があるのかなど分かるわけもない。深く考えることもなく、単にクラスで茶化されるくらいならと思い、「嫌いかな。」と答える。すると彼女は抱き抱えたうさぎを撫でては安堵したように微笑んだ。
「良かった。私だけじゃなかった。お母さんなんてさ、いなくなればいいのに。」
その言葉を聞いた自分は何か違うと、明らかに違和感を感じていたのだ。それでも自分はその言葉をなかったことにした。聞こえないフリをしてそのまま流してしまった。
流し続ければ、ぐるぐると回る排水もやがて水の透明な色を取り戻す。そうすれば彼女もまた元に戻ると信じていたから。




