轟舞は働き者!
轟舞は働き者!
暑い。この世の終わりの如く暑い。終末世界だ。日本列島を覆う太平洋高気圧は日本を占領するかのように鎮座しては、連日猛暑日を叩き出している。地球温暖化が叫ばれて久しいが、最近はSDGs(持続可能な開発目標)に温暖化対策が組み込まれて、その役割を担っている。しかしそれ以前にMDGs(ミレニアム開発目標)というものがあったのをご存知だろうか?え?そんなのあったの?知らなかった。という方もいらっしゃるだろう。ご参考までに国連HPのURLを貼り付けておくので気になる方は見て頂きたい。国連という組織が一応、アリバイ作りのように国際社会を良くしようと試みている一端が分かる。
無論冗談だ。
そんな面倒なことをするほど私は親切ではない。知りたければ自分で検索エンジンで検索しろ。と切って捨てるのが私だ。
そもそもあれ?なんだかいつもと違う語り口だな。これは物語の語り手が変わったぞ。とお気づきの方もいらっしゃるかもしれない。だいぶ長い間、眉目秀麗ながらも口の悪いあのひょろなが女(私も大概口が悪いが。)弓木芽衣が担っていたその役割を私、轟舞が承ったわけだが、それを疑問に思う読者の方もいらっしゃるだろう。
轟舞は物語の途中に急に現れた木端役者で、その上不覊奔放なやつだと思われているに違いない。しかしその木端役者が実は物語の中で重要な役割を担っていたことは知られていない。
企業においてバックオフィスの重要性が認識されつつある中、物語においても裏方役が実は重要な役割を担っていた。ということは往々にしてあることだ。例えば、映画「007シリーズ」におけるQの役割。彼、彼ら、彼女らの開発したガジェット達は色んな意味で物語を盛り上げスクリーンを華やかにする。要は私の役割はそんなところだろう。
まさかとは思うが、途中で華々しく退場。なんてことにはならないことを切に願う。
まあしかし、私は他の登場人物とは異なる超越者であり、有り体に言うと神。という言葉が似つかわしいと思う。それを聞いた読者はなんと尊大なやつだ。単なる登場人物が神を名乗るなんて。とお思いになるだろうが、それほどに私は特異であることは今後明らかになっていくだろう。
話を戻そう。
このどうしようもない酷暑、日本各地で熱中症による死人が出る暑さの中、どうして好き好んでこの劣悪な環境で、しかも県立公園に付随する25mプール、そこのプールサイドにある休憩所にビニールシートを敷いてはペンキで白塗りにされた木製の日除けが作り出した日陰の下で、自前のノートPCを開くという奇行をしているのか?と問われれば、それはもうこの男のせいと言わざるを得ない。
進藤咲空。
小学生の頃からの幼馴染であり、私の数えるほどの友人と言っていいだろう。いちいち進藤は、と言うのは面倒なので、彼、またはあいつ、と呼称することとするが、彼は一言で言うなればお人よし、ということだろう。このお人よしという言葉の中には人に騙されやすい。
と言う意味あいもあるらしいが、ここにおける彼に対する評価は利他的であり、心根が良いやつ。という風に捉えて頂きたい。
私はそんな彼を友人として信頼しているし、何かあれば助けてやりたい。そんな風に思っている。読者の中には成人男性をスタンガンでいたぶり拷問する私の姿が目に焼きついてしまっている方もいらっしゃるかもしれない。
しかし私だって一端に人助けをしたいと思う気持ちや友愛精神を持ち合わせた存在である。人は一面では語れず、常に裏表、その両面が存在している。そう言う意味で彼を助けてやりたいと思い、行動していることは生来の性質が、サディスティックであって本来と異なる行動であっても矛盾しないのである。
ちなみにどうして私と彼が友人関係。という間柄になったのかを説明しておくのが読者にとって、私と彼の関係性に対する理解が進むと思うので、説明しておく。
小学生1年生の頃、私は給食という食育に託けた拷問を受けていた。当時の担任教師はその傲慢な態度で、いかに食材が農家、酪農家、畜産家、漁師などの尽力があり存在するのか、そして給食センターの職員、栄養士の苦労が存在しているかを熱弁し、その上に作られた給食はいかに素晴らしく尊いものなのだと。故にその全てを食べることが全ての関係者に対してする御礼なのだと。
そう教師は言った。
今からすれば教育者でもなんでもない、ただの脳筋幼児虐待者だと、教育委員会に訴え出ればすんなりとその考えを引っ込ませたに違いないが、そんな知識も教養も知らない私は遂に始まった給食の時間に、出された給食のメニューを目の前にして凍りついた。
そして悟った。これを全て食べ切ることは不可能だと。まだ小さな私にとっては給食のメニューの量は多すぎたのだ。これは後に身につけることになるのだが、あらかじめ配膳するクラスメイトに量を調節するように頼む。
という政治的な戦略を知らない私は馬鹿正直に、お皿に盛られたご飯、サラダ、主菜の魚のフライ、けんちん汁、牛乳という敵を前に呆然とした。クラスメイトが嬉々として食べるなか、己の胃の限界を知っているが故に子供ながらに絶望を味わった。
昼食の時間が終わっても食べ終わらない私は、教師の全てを食べ終わるまでは許さない。という方針によって一人教室に残って給食を前に失意に包まれていた。そこにやって来た少年こそ、彼であった。彼はまだ幼女であった私の本性を知ってか知らずか、「大丈夫?」と声をかけてきたのだ。本来なら勝ち気な性質の私は「大丈夫。」と答えたに違いないが、その時ばかりはぽつりと涙が溢れたのだ。
それを見た彼は、残飯とも呼べる私が残した給食を黙々と食べ始めては、全てを平らげたのだ。それを見た私は当初余程に腹が減った卑しい人間なのか。
と偏屈な考えを抱いたが、その後の彼の行動でそうではないと悟った。全てを片付けられてしまった食器類を学校の給食室に一緒に持って行ってくれると、彼はこう言った。
「今日のことは内緒な。先生は一人で食べないと怒るだろうし。でも食べれない時は言ってな。自分が頑張って食べるから。」
そう彼は言ったのだ。幼女の私はその優しさに酷く心を打たれた。
何事にも負ける事を嫌っていた私が唯一負けたことを後悔していない記憶だ。それからはなんとなく彼とは話すようになり、人間関係の構築が上手くない私に代わって他のクラスメイトとの仲介役を担ってくれた。
しかし唯一と言ってもいいだろうが、彼と仲良くなったことで、佐藤亘という妙竹林とも交友を深めることになったことは気に食わない。佐藤亘のことは親しみも込めてあの馬鹿と呼ぶが、あの馬鹿は昔からアニメや特撮にハマり、幼女に対して戦隊モノのおもちゃやごっこ遊びを強要してきたのだ。
私は渋々それに付き合っていたのだが、それが妙に私の感性を刺激して、後のオタクへの道を開いた。と言っても過言ではない。故にあの馬鹿は私を悪の道に連れ込んだ張本人であり、全ての悪行はあの馬鹿と、それを連れてきた彼の悪行と言っても間違いはないのだ。
とりあえずは彼と、ついでにあの馬鹿との馴れ初めを聞いてもらったのだが、今重要なのは、その罪ではない。
現在進行形で行われている罪とは、真夏の太陽の下、ひょろなが女の為に犯人探しという名の苦行を友人に対して強いていることだ。しかも自分は同じクラスの女子生徒と水着で戯れるという品性の欠片もない行動を取っていることも、深い罪だろう。
創造主現る!!




