魔女の憂鬱
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魔女が目覚めると、キッチンからいい匂いがしていた。この匂いは、干し肉と香味野菜のスープだ。
(懐かしい)
目を開けたら真っ暗であった。
そういえば光を失ったのだった。懐かしい匂いに誘われて、光が見えていた頃の心持になっていた。
見えなくても特に支障はない。フゥとヤァが、それから森の魔物たちが助けてくれるからだ。
「ふ?」
足元でフゥの声がした。
起きた? と言っている。
「うん。長く寝てた?」
「ふ」
(一時間くらい)
「そう……久しぶりに人と話したら疲れたみたい」
「ふ」
(相手が相手だからじゃない?)
「そうかも」
すると、キッチンからアランがやって来た。その手に湯気の上がる鍋を持って。
パンが盛られた皿を持ってアランの後ろを歩いていたヤァが言った。
「ヤ」
(毒ない、大丈夫)
ありがとうの意味を込めて、魔女は頷いた。
「いい匂いだ。御馳走を作ってくれたのか」
安楽椅子から、テーブルへ移動する。慣れた場所だから光がなくても杖は必要ない。森の移動も同じくだ。
「ああ。キッチンを借りた。俺の家で代々引き継がれているレシピなんだ、口に合うといいが」
スープがよそられる時の香りのよいこと。余すことなく吸ってしまいたくなるほどだ。
食前の祈りを済ませ、スープを一口。泣きたくなるくらいに懐かしくて、美味しかった。
切り分けられたパンは、ずっしりしていて、外はサクッ、中はもっちりしている。
あの日のソーダブレッドそのものであった。
きっちり計って作っているのだろうか。几帳面さを思うと、魔女は愉快になってくる。
「おいしいな。パンも、イースト臭くないのがいい」
「それはよかった」
それはソーダブレッドと言って、重曹で膨らませて作るんだ。時間が無いときに便利で、王と旅をしていた間よく作った。配合を変えてみたりもしたが、やはりこのレシピがいい。一番膨らむ。今日は干し肉のスープだが、ジャムと合わせてもいい。俺のおすすめはアラネルフルーツのマーマレードだ――
料理を語る柔らかい声は生き生きしている。
その表情が見えたら。そんなことを考えたら、つい口元がほころんだ。
情熱的に長い話も、苦ではない。人は好きなものを語るとき、生き生きする。そういう話はおのずと輝くのだ、夏のお日様のように。
そんな話がこの家に響くのは、あの日以来であった――