旅人
⁂
魔女はつんと澄まして言った。
「特別に何の用か聞いてやろう、旅人よ」
本当は訪ねた事情も知っているのだろうが……と思いつつ、アランは努めて冷静に返した。
「俺はアラン・アルクス。プロメテウス国の近衛騎士団副長をしている。我が王より命を受けて訪問した次第だ」
「手短に頼む」
どうでもよさそうな物言いも華麗に受け流し、アランは続ける。
「我が王があなたをお呼びだ。本国まで同行を願いたい」
「ふぅん」
魔女はクッキーをかじっている。話に全く興味がなさそうだ。
「すぐに返事をもらうつもりはない。しばらくしたらまた訪ねる。その時に返事を伺いたい」
誠心誠意告げるアランを華麗に無視して、魔女はお行儀よく椅子に座っているフゥにクッキーをあげている。
妙な沈黙の後、魔女は言った。
「また、この森に来るのか」
フゥを向いていていた顔が、ゆっくり、アランに戻る。やけに凄味のある、暗い問いだった。布越しの瞳に串刺しにされているような心地だ。
「戻る。必ず」
真剣に答えたのだが。鼻であしらわれてしまう。
「何かおかしいことを言ったか」
「いや。気を悪くしたなら謝ろう」
「そういうわけではない。だが、おかしなことを言った覚えもないのだが」
真面目に返したアランだったが。魔女はお構いもしない様子で、リースが飾られている玄関に顔を向けた。
「あのドアを出て戻ってきた者はいない。お前も、戻らない」
「なぜ言い切れる」
「この森が……空が、それを許さないからだ」
「森と空が?」
その時、突風が家を揺らした。隙間風の不穏な音は、闇に棲むゴーストの声のようだ。
「近頃は特に。女心のようだ」
魔女は、見えていないだろうに顔を窓に向けた。外はまだ吹雪いている。雲は厚く、しばらくやみそうにない。
ややあって、魔女は忌々しげに舌打ちをした。
「お前を離さないようだ。今すぐ追い出してやりたいが、死体を片付けるのは手間だからな。吹雪が止むまで滞在を許そう、旅人よ」
この魔女の元から無事に帰れるかと、先ほど不安になったばかりなのに。滞在の許可が下りてほっとしている自分が不思議だった。
その時、思い出した。
“魔女の長”の居場所を尋ねるため、世界に散らばる魔女の元へ赴いた際、彼女たちは様々に言った。
『長の目を見ると石になる』
『スープの具にされるぞ』
『生きたまま皮を剥ぎ取られて丸焼きだ』
『お前なんぞ魔物の餌さ』
『生き血を吸われるぞ。一滴残らず』
かぶりを振って、恐ろしい噂話をかき消した。
「……お茶をもらってもいいか」
「ああ」
まるで見えているかのように、茶を淹れてくれる。その手元はやはり、長い袖に隠れて見えなかった。
「滞在の許し、それから親切に痛み入る。しばらく世話になる。礼は後日必ずさせてもらう」
賢そうな語り口が、静かな部屋に消えていく。
「礼など不要。とっとと帰るのが最高の礼だ、旅人よ」
また、突風が家を揺らした。
アランは不安になって目だけで家の中を見渡した。梁に掛けられている薬草がカサカサ揺れていた。
そんな自分の行動が滑稽で。思わずくすっと笑った。
すこし緊張がほぐれたアランは元来の柔らかい口調で言った。
「アランだ。親からもらった名があるんだが」
「名などどうでもいい。お前は旅人。去りゆく者だ」
にべもなく断られても、アランは易々と引き下がらなかった。
「どれくらいここに滞在するかわからないが、共に過ごすのだから、名前くらい――」
「私の名は魔女の長。それ以外にない。人々は畏敬と畏怖を込めてそう呼ぶ」
「魔女であっても人の子。親からもらった名があるだろう」
「お前はこの私に畏敬も畏怖も持たぬようだな……ああ、なるほど」
魔女は納得したように小さく頷くと、カップを手にした。