みせてもらおうか
「石化を解除してくれないか。俺の家臣で大切な友人なんだ」
「断る」
事態収束に向けてすぐに始まったソルの懇願もデアは一蹴した。
あまりにも毅然と断るものだから、ソルは言葉が引っ込んでしまう。
さて、どうやってアランを元に戻してもらおうか。
小さくため息をついた時だった。
「ちょっと来い」
ソルの腕を掴んだのはウィルトスだった。そのまま部屋の隅まで引きずっていくと、頭を搔いてばつが悪そうに言った。
「きっと自分の記憶消したんだ。俺のせいだ、すまない」
「記憶を? なんでそんなことを」
「デアはアランの記憶を消したがってたろ。で、昨日俺、デアに言ったんだ。自分の記憶消しちまえばいいって」
「……」
無言のソルに、ウィルトスは頭を下げる。
「本当にすまないっ」
筋骨隆々の大きな体を縮めているウィルトスのつむじをしばらく眺めていたソルだったが。やがて小さく笑ってウィルトスの肩を叩いた。
「顔を上げろ。そんなに自分を責めるな。ウィルトスなりにアランのことを思っての事だろう? 教えてくれてありがとうな。事情は分かった。それを踏まえて、どうやってアランを元に戻してもらうかを考えなくちゃな」
「ソル……」
呆然と顔を上げたウィルトスの瞳は潤んでいた。そして大きく頷いた。
「だな、元に戻してもらわねぇとな」
「で、だ。アランが部屋を訪ねた理由だ。なんかそれっぽい理由ないか」
ソルの問いに、ウィルトスは首を捻った。
「そうだな……デアの記憶がないんだから、こっちもでっち上げちまえばいいんじゃねぇか? 例えば、王女専属執事の就任日だった、とかな」
「執事は就任日に早速、起こしに来たってことだな」
「部屋に入るには正当な理由だな」
よし。と小声でつぶやいたソルは、つかつかとデアの前に立った。
「この男が部屋に入ったのには理由がある。昨日、俺がデアの専属執事に任命したんだ。王女には執事が必要だからな。仕事熱心な奴だから早速起こしに来たんだ。そういうわけだから石化を戻してくれないか」
腰に手を当てて力説したソルだったが。
「だが断る」
あまりにもはっきりと告げられて、頭が真っ白になってしまう。その時だ。思考が真っ白だからこそ思い浮かぶ口八丁が発動した。これがソルの真骨頂だった。あれこれ考えて悩んでみるよりも、窮地に立たされた時にこそ発揮する頭の高速回転である。知識や社会情勢に裏打ちされた口八丁が王国の困難を幾度も救ってきたと言っても過言ではない。
「デア、よく聞いてくれ。王女を名乗るってことは、国を代表する立場となるってこと、わかっているよな」
「無論だ」
「魔女の立場で認められていたこと、済まされていたことも、王女では認められないこともある」
「だろうな」
「そこでだ。王女を名乗るからには王女としてのたしなみを身に付けてみないか。森での暮らしでは経験できないことがたくさんある。世界が広がるぞ」
「よく言う。だが一応聞いてやる。具体的にはどんなことをするのだ」
「歴史、社会情勢、読み書き計算などの学問、会食やお茶会の作法、乗馬、それからダンス。舞踏会はたしなみの一つだからな。それには講師が必要だろう? そこで、この男の出番ってわけ。王宮の生き字引、一人ですべて教えられる唯一無二の男だ」
無表情で聞いていたデアが、ふと顔を上げた。
「それだけか。なら講師は要らん。自分で覚えられる」
「要らないって……どうやって学ぶつもりだ?」
「夜中ドアの前に立っている番兵にでも本を代読してもらう。それで十分覚えられる」
「作法は?」
「会食や茶会など不毛な時間だ。出席しない」
「じゃあ乗馬は」
「乗れる。ユニオルコーンだが問題ないだろう」
「ユニオルコーンって馬っぽい魔物じゃねぇか!」
「形は馬だ」
「……ダンスはどうだ、ダンスはさすがに一人じゃ覚えられないだろ」
「舞踏会など出席しない」
「また不毛とか言うんじゃないだろうな」
「いいや、言わん」
「じゃあどうして拒否するんだ」
「愚の骨頂だ」
「くっ……!」
膝から崩れ落ちたソルは、絨毯の上でこぶしを握った。
王女としての自覚は芽生えたのに、こうも頑なに人前に出ることを拒むとは。
デアなりの事情があると理解しているつもりだ。それでも、民の前に出なくてはならない場面も今後出てくるだろう。
心変わりを気長に待つしかないのか。アランなら、デアの凍った心を溶かすことができるだろうと思えど、なにせ石像になってしまっている。
講師の適任者を外部から呼べば済むのだが、その口からデアの噂が広まるのは避けたかった。デア王女お披露目の舞踏会まで、存在を秘密にしておきたい事情がソル側にもあった。
これはもう、八方塞がりである。
ソルは苦々しい顔を上げた。
その時だ。言い忘れていたことを思い出した。
しかし、言ったところで釣られるデアではないだろう。食いつきそうだと思った事すべてことごとく断られたのだから。
漠然と思う。伝え忘れていたたしなみはデアが一番嫌がりそうだと。
だが、もう、これに賭けるしかない。
「ま、まだある……王女のたしなみは」
「ほう、」
勝ち誇った笑みを浮かべるデアは、しっかり断る気満々に見えた。しかしソルは簡単にあきらめなかった。
「ピ……ピアノだ、」
今わの際のようにソルは言った。
もう、出せるカードがない。
けれどデアの表情は変わらなかった。
(やはりダメか)
視線を落とした、その時だ。
デアがぽつりとつぶやいた。
「ピアノ……」
それは元々の優しい口調で、ソルは弾かれるように顔を上げた。
「そう、ピアノだ」
期待を胸に恐る恐る言葉を返す。鼓動が耳ざわりなくらいだ。
「この者がそれを教えると?」
布越しの瞳は石化したアランに向けられていた。
今までと反応が違う。これは釣られたと思って間違いないだろう。思わぬところで引っ掛かってくれたものだ。一筋縄ではいかない不思議なデアの生態に、ソルは愉快の心持になってくる。
釣られてくれた喜びに爆発しそうな胸の内を必死に抑えて、言葉を選んだ。
「いかにも。 “たしなみのうちの一環”としてな」
「たしなみのうちの……か」
それはいま述べた全ての嗜みをこなす中の、一つであるということだ。
(嗜みを身につけるなど、正直言って本当に面倒だ。だが……)
胸の中の葛藤に耳を傾け、それきり黙り込んだ。
朝日の差し込む部屋を沈黙が支配してしばらく。デアは立ちあがった。
自分の指の腹に落とした口づけを、石像の唇にひたりと当てた。
「みせてもらおうか、唯一無二の講師とやらを」
 




