やっちまった
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デアの部屋を訪れたのはアランだった。
朝食の時間を過ぎてもダイニングにやってこないから、心配したのだ。
ノックをしても、返事がない。
番兵によれば、デアは昨晩部屋に入ってから一度も外出していないと言うからますます不安になってしまう。
「アランです、失礼します」
声をかけて入室したが、やはり返事がない。だが、ベッドにはしっかり膨らみがあった。
安心したのも束の間。デアを起こそうとしたアランは、その手を止めた。
眠っている時も目元を覆っている布を、今朝はしていなかったのだ。
無防備な寝顔は恐ろしい程に可愛らしい。四年前、美しい瞳を細めてにこにこ笑っていたのを鮮明に思い出すことができた。
それからもう一つ、気になることがある。目元と鼻の頭が赤いのだ。まるで泣きはらしたかのように。
(いったい何があったんだ……?)
見渡してみるが、部屋の中は特に変わった様子はない。デアだけが痛々しい。
何があったのかデアから聞いた方が早そうだ。華奢な肩に触れ、声をかけた。
「デア様、朝食のお時間です」
「んー」
体をよじってまた寝ようとするから、アランはすかさず背中に手を回して抱き起こした。
「朝です、デア様」
柔らかい体を腕の中に包み込む。抱き心地の良さに加えて寝起きの温かさが相まって、このまま離したくなくなってしまう。
(毎日こうして起こしたい……)
愛おしい気持ちが駄々洩れていたその時だ。胸を景気よく突き飛ばされて驚いた。
「何者だ」
すかさず仁王立ちしたデアの声音は、静かな怒りを孕んでいた。
「ア……アランです」
アランの声を聞いても、デアは顔色一つ変えない。
そんなデアの行動は、アランに強烈な違和感を抱かせた。
以前抱きしめた時は頬を染めて俯いたりしていたから、まさか怒り出すなんて思ってもなかった。突然人が変わったかのようだ。
「盲人の寝込みを襲うとは無礼千万、万死に値する」
低く、冷たい声である。
腹の底から怒りが湧いているのがありありとわかる。
「申し訳ありません、ですが俺は――」
必死の弁解も「黙れ」と一言。ばっさり遮られてしまう。
「謝って済むなら神は要らん。私はお前を許しはしない。永遠の苦痛を味わうがいい」
刹那、デアの瞼がカッと見開かれた。
漆黒の宝石が嵌められた双眸がそこにあった。恐怖を感じるほどの黒だった。
体が内側から重たくなっていく。ざりざりして、冷たい、体が動かない。助けを呼ぼうにも喉が詰まって声が出せなかった。
体中を巡る酷い不快を感じながら、アランの体は石像と化したのだった。
⁂
番兵から報告を受け、デアの部屋に駆けつけたのはソルとウィルトスだ。
二人の目に飛び込んだのは石化したアランだった。
「石像!? どうしてこんなことになったんだ」
悠然とベッドに腰かけているデアはむんずと腕を組んだ。その目元には黒い布が巻いてある。
「弟よ。この輩は私の寝込みを襲いに来たのだ」
怒っているから魔女口調なのだろうか。いつもと違う様子のデアを不審に思い、ウィルトスに目配せをすると。ウィルトスは肩をすぼめて困り顔で返した。
「寝込みを襲う? まさか」
アランに限ってそんなこと……まぁ男だからなくもないがアランはそんな不埒な男じゃない。幼いころから共に過ごしているソルが一番よく知っている。
「って、ん?」
デアの言葉がしっくりこない気がして、首を傾げた。
「今、弟って言った? 俺のこと」
今まではソルと呼ばれていたし、かたくなに王女と認めなかったのに。突然弟呼ばわりしてくるなんて、どういう心境の変化だろう。
困惑するソルだったが、デアは至って平然としている。
「何を言っている。ソルは私の弟だ」
「認めてくれたのか、俺の姉上ってこと、王女だってこと!」
「妙なことを。私は初めから認めている。腹違いではあるがな」
「有難うデア、本当にありがとう! これで王国の危機も救われるに違いない」
喜ぶソルだったが。ふと、石像が目に入って意気消沈していく。
「手放しで喜んでもいられないな、これ」
後ずさりした状態の石像が、痛々しい。
当然の報いだと、ふんすか鼻息を荒くしているデアを尻目に、男二人は肩を寄せ合ってコソコソ話し合った。
「けどよ、なんか妙だな」
「ああ。突然俺を弟だって認めて、口調が戻った」
「それにアランを石像にしちまった」
「この輩呼ばわりだったしな」
「もしかしたらアランだって気づかなかったんじゃないか?」
と、話したあと。ウィルトスは何か思い出したように息を吸い込んだきり、固まってしまった。
「そうだな、目が見えないんだから諸々の齟齬があっても仕方ないよな。わけを話して元に戻してもらおう」
ソルの話も上の空で、ウィルトスは茫然とどこかに視線を漂わせるばかり。
「なぁウィルトス、聞いてんのか」
肩を揺すられたウィルトスの瞳が、不安げに揺れた。
「俺……やっちまったかもしんねぇ」
「は?」




