仲良しパワー
「そう」
デアはそっけなく答え、それきり黙り込んだ。
父と母の在りし日の様子を知った。
だがデアにとって、そんなことはどうでも良かった。何しろ一番気にかかったのは、ばあやの記述だ。
ばあやはどんな気持ちでアデリアを育て、見守っていたのだろう。
お腹の子の父親の名前を聞いた時、ばあやは何を思ったろう。
そういえば、ばあやのおてて絵本に赤子の父親は登場しない……それがばあやの気持ちなのだろうか。
「この日記が証拠というわけか」
不信感を隠さないアランへ、返却された日記を見せつけるように揺らしてソルは得意げに笑う。
「そうだ」
「しかしこの日記とデアの接点は “果ての森” という部分だけだ。それだけで姉と決めつけるのは誤断ではないか」
「忘れていないか。黒星の祝福の記述を。デアは正真正銘黒星だぞ?」
「俺は二十四年生きているが黒星の祝福はこの目で見たことがない。虚偽の可能性もある」
「他にも確かめる方法はある。日記に書いてあったろ、赤子の右肩にほくろが二つ並んでいるって」
「ほくろが二つ肩に並んでいる者はこの世にごまんといる。大体、女性の体を検査するなど無礼千万――」
そこへ横やりを入れたのはウィルトスだ。
「アランの言うとおりだ。俺の肩にも小さなほくろが二つ並んでっからな。しかも右」
「ウィルトス、お前は誰の味方だ?」
「お前のことは聞いてない」
ソルとアランの鋭い視線に晒されて、ウィルトスは両手を上げた。
「へいへい、悪かったよ」
冷や汗をかいて聞いていたのはデアだ。
ウィルトスに与えた右腕に、ほくろが残っていることは知っていた。
肉体を分け与える時、それは与えられた側が元来備えていた形状として備わる。
しかし、与える側が持っている傷やほくろなどの特徴は引き継がれるのだ。幸い、記憶を改ざんしてあるウィルトスは元の腕を覚えていないから助かった。
アランとソルの舌戦は続いていた。
「調べなくていいことだ」
「調べるんだ。調べなくちゃならないんだよ」
「では、調べがついたとして。デアをどうするつもりだ」
アランの鋭い問いに、デアはハッとした。
その理由こそが、わざわざ王国まで呼びつけた理由ではないかと予感した。
王女と証明して何になる? 畏怖の対象である魔女が身内だと民が知れば、ソルの足元が揺らぎかねないだろうに。
リスクを背負ってまで王女と証明して何をさせたいのか、デアは耳をそば立てた。
「アランも承知しているだろう、諸々の……アレだ」
考えや思ったことをはっきり口にするソルが言葉を濁すのは珍しいことである。デアは驚くも、諸々のアレに巻き込まれるのかと思うと今すぐにでも帰りたい心持になる。
「こちらの問題にデアを巻き込むのは間違えている。俺は賛成しない」
「アランが賛成しなくても俺は考えを改める気はない」
ソルの瞳が、アランとデアに向く。
いつになく真剣な瞳だったが、それも一瞬。ぱっと顔色を変えた。
「ま、俺も頑張るけどさ、姉上にも頑張ってもらいたいなって」
自分のあずかり知らぬところで勝手にレールが敷かれ、進んでいこうとしている。アレとは一体何だ。話が見えてこないから苛立たしい。
「アレとは何だ。何を頑張れというのだ」
魔女口調で眉を寄せるデアに、ソルは形のいい眉を落とした。
「ごめん。話が見えてこないからイラつくのも無理はないよな……もうここまで来たら話すけど。結論から先に言うと、結婚相手と世継ぎを作るのを頑張ってほしいんだ」
「世継ぎ? 作る……?」
「確率は高いほうがいいだろう? 俺さ、兄弟いないし。直系から世継ぎを決めなくちゃならないのに、父上も一人っ子で親族もいない。下手するとこの国終わっちゃうんだよね。王がいなくなったら帝国の侵略を受けて取り込まれ、民は苦しい生活を強いられることになる。だから――」
話し続けるソルの声はデアにとって背景音楽となっていた。
思い出すのは、ばあやが好んで読んでいたロマンス小説。
一国一城の王とメイドが恋に落ちて満天の星が輝く砂漠のテントで一糸纏わぬ姿でくんずほぐれつして、結果懐妊したメイドは身分が釣り合わないという理由で雲隠れしちゃって、消息を絶ったメイドを見つけたと思ったら赤ん坊を育てていて、自分の子だと知った王は世継ぎが出来たと喜ぶ、あのことだと思い至ったのだ。
(世継ぎの作り方とはこのことかっ!)
テントの中の描写が頭を駆け巡った。
読んだ当時、物語が現実離れしすぎていて対岸の火事状態であったのだが。その火の粉が自分の身に降りかかってきた心持になったのだ。さらっと読んだはずの文章が途端に現実味を帯びて、極めて肉迫して感じられた。
さすが “情熱の夜”と副題に銘打っているだけのことはある。妄想だけでデアの頭の中は沸騰しそうだ。
ばあやの好きだったロマンス小説に結婚は存在しなかった。大抵の場合、浮気相手とくんずほぐれつした後に赤ちゃんができて、二人は幸せを噛み締めて話が終わっていた。
一方、おとぎ話には結婚が存在していた。白馬の王子様が不幸な女の子と出会い、一瞬で恋に落ちて、紆余曲折を経たのち、結婚して話が終わっていた。
デアの世界観は、それらの書物によって形成されていた。
すなわち、『結婚』と『世継ぎ(赤ん坊)』に “関連がある” と知らなかったのだ。
デアは妄想の肉迫を押し込めるように、おとぎ話の清らかな男女を必死に思い浮かべようとした。
(結婚とは好きな人と一緒に暮らして健やかな時も病める時も支え合えるしどんな困難だって乗り越えられて手をつないで散歩すれば仲良いエネルギーが貯まっていっぱいになると愛の結晶に変換されてそれをコウノトリが運んできて受け取ると赤子を授かるのでは――)
頭がふわふわしてくる。目が回りそうだった。
必死におとぎ話へ思考を持っていこうとしても、ロマンス小説も負けていない。
そしてとうとう、ロマンス小説とおとぎ話が融合し、新しい知識が生まれようとしていた。
『愛の結晶(授かりもの)=手をつないで貯めた仲良しパワー』
『世継ぎ=王とメイドが砂漠でくんずほぐれつ』
の方程式が今、音を立てて崩れ去る。
方程式に必死にしがみつくデアは破片と一緒に奈落へ落ちていった。
その時だ。高い金属音が耳の奥でこだました。
刹那、混沌とした思考が止まった。
心配して呼びかけるソルの声も、デアには届かない。
真っ暗闇の瞼に、ぼんやりと形が浮かんだ。その輪郭は次第にはっきりしてくる。
夜の砂漠。
テントの中には天蓋に覆われたベッド。
真っ白のシーツに横たわっているのは上半身を晒した男。
艶めかしく髪をかき上げ挑発的な視線を寄こしたのは……アランだった。
(アラン!)
記憶を取り戻したアランの優しさに触れるだけで辛くて窒息してしまいそうなのに。これ以上の刺激が加わったらきっと死んでしまうに違いない。
ベッドに横たわるアランをかき消したくて、デアは勢いよく立ち上がった。
「あ、あたしはっ!」
しかし瞼のアランは消えなかった。
逆三角形の上半身を気だるげに起こして、こちらに手を差し伸べる。
『おいで』
優しい囁きに全身に鳥肌が立った。
涼やかな御尊顔、ひき締まった体。すべてが神々しくて麗しい。
魔法にかけられたかのようにベッドへ手を伸ばす。
いつの間にか自分の手は魔植物の蔦に変わっていた。アランの体に巻き付いて艶めかしく蠢いている。
『こら。悪い子だ』
魔植物を撫ぜて、微笑みを絶やさない――
デアは口を開いたまま直立不動で固まっている。
「……デア、大丈夫か」
アランが声をかけても同じだった。何か嫌な予感がして立ち上がったその時だ。デアの体が後ろに傾いていくではないか。
「デアっ!」
アランは咄嗟に抱きとめるのだった。




