日記
そこには美しい文字が、丁寧に綴られていた。
アランは淡々と読み上げた。
〇年△月□日
国境付近の街に着任した。
軍に所属しているにも関わらず、王子だからという理由で王都から離れた地域に赴任することはなかった。だが、私の熱意に父上はとうとう折れてくれた。たっての願いを聞き入れてくださり、期限付きだがこうして任務が実現した。精一杯頑張ろう。
〇年△月△日
一人の娘に出会った。
花を売る彼女は可憐で美しい。白磁のようななめらかな肌、伽羅色のつややかな髪、蜂蜜色の潤んだ瞳。どんなに美しい花でさえ彼女を引き立てる脇役だ。
彼女を思うだけで幸せな心地がする。
〇年△月□□日
寝ても覚めても彼女を思う。これを恋というのだろうか
〇年□月〇日
赴任して三カ月経った。
何度彼女にアプローチしただろう。
初めは無視されていたが、ひと月経つ頃には一言二言、話してくれるようになった。
名はアデリア。
ここからさらに遠い、辺境の村に住んでいるという。
三つ年下であることも知った。
彼女は言う。
母親に気づかれたらもう会えない。花が売れなければ仕事をしていないことを知られてしまう。あなたと過ごす時間はないと。
花を育て、街へ花を売りに行き、家に帰って寝るだけで一日が終わってしまう日々のようだ。
だから私は、彼女の花をすべて買い上げることにした。君の時間を俺に下さいと言って。
〇年×月〇日
半年の赴任を終えた。
明日、王都に戻る。
アデリアと別れるのはとてもつらい。一緒に城へ来てほしいと伝えたかった。
だが、出来なかった。
私には許嫁がいる。王都に戻ったら婚儀を行うことになっている。今更婚儀を取りやめることなどできはしない。私の一存ではどうにもならないことだ。
今日、私はプロメテウス国の王子であること、そしてこれが最後の逢瀬だと正直に伝えた。
アデリアはいつも通り、またねと……体に気を付けてと言って帰っていった。
ああ愛しいアデリア
私を一人の男として愛してくれたアデリア
わが愛は永遠にアデリアと共に
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ここまで読んで、アランは顔を上げた。
「このまま読み進めてしまっていいのか?」
「構わない。どんどん読んでくれ」
ソルに促され、アランは再び瞳を落とした。
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△年〇月〇日
あと三ヶ月ほどで、アデリアと別れてから一年。
妻は身籠り、春には子供が生まれる。
時の経つのは早いものだ
△年〇月××日
虫の知らせというべきか。
妙な胸騒ぎがした。
夜に紛れて城を抜け出した。
アデリアが私を呼んでいるような気がしてならなかった。
数日馬を走らせて、アデリアの住む辺境の村に着いた。陽が沈む間際だった。晩秋の村は赤く染まっていた。
村の外れにぽつねんと建っている、赤い屋根の家を見つけた。
庭に花が咲き乱れている。アデリアがいつか話してくれた、彼女の家の様子によく似ていた。
戸を叩いたが応答がない。と、裏手の方からかすかにうめき声が聞こえた気がした。
声の漏れ聞こえる納屋には、小柄な女がいた。驚いて振り返る女の向こうにはアデリアが、大きなお腹を抱えて息も絶え絶え唸っていた。
私は愕然とした。アデリアが身籠っていたとは知らなかったのだ。
===== ===== =====
小柄な女は血管が浮いた皺の手で、産気づいたアデリアの腰をさすり続けていた。
ふと、顔を上げると寂しい小屋に、燃えるような夕日が差し込んでいた。時間を忘れてしまっていたとようやく気が付いた。
その時だ。小屋の戸が開いたから女は驚いた。
「誰だっ」
侵入者へ向かって開口一番、小柄な女は言った。
ガブルはこの時初めて、アデリアの母親と対面した。
気の強そうな女だが、その手はアデリアの腰の辺りをしきりにさすっている。
愛する女が大変な状況だというのに、ガブルの保身が顔をもたげた。
ぎろりと睨まれたまま。名前も身分も明かせず黙っているガブルを、アデリアの薄く開いた眼が捉えた。
「カブ……ル」
蚊の鳴くような声であった。すると、女の表情が一層険しくなった。
「娘を捨てていった奴が、今更何の用だ」
言われて当然だとカブルは思った。保身のためにアデリアを捨てたのだから。
「やめて母さん……カブルは、悪くな……い」
アデリアの声に引き戻されるように、母親はカブルに背を向けた。
「アデリア、」
母が呼びかけるも、アデリアは上の空でカブルの名を呼び続けた。
「カブル、カブル……」
その様子に母親は奥歯を噛んだ。
「傍に来い。腰の辺りをさするんだ、早く!」
弾かれるようにアデリアの傍らに腰を下ろしたガブルは、何べんも愛したアデリアの体を懸命にさすった。
「アデリア、私はここにいるよ、アデリア」
「嗚呼、カブル……カブル――」
===== ===== =====
明け方、元気な産声が納屋にこだました。
赤子は女児であった。
右の肩にほくろが二つ並んでいた。
アデリアは胸に赤子を抱き、力なく笑った。
積み藁にもたれているアデリアの足元には血だまりが出来ている。母親が必死に血を止めようとするが、止まる気配がなかった。
その時だ。
黒い光が納屋を包み込んだ。
納屋に差し込む朝日を取り込み、神々しく、震えあがるような、今まで見たことのない深い深い闇であった。
小人の影が現れた。それは連なって赤子の周りで踊った。
それを見た母親は言った。
「黒星の祝福だ」と。
王家に伝わる神話に、黒星の祝福の話がある。
母親の言う通り、黒星の祝福が出現する場面と状況が酷似していた。
黒星の祝福は災いをもたらすと言い伝えられている。だから、授かった者は城の地下深く幽閉する掟だ。
終生暗闇の中で過ごし、二度と空を見ることはない。
その時、アデリアは言った。
この子を連れて行かないでと。
この子はきっと世の中の役に立つから、と。
私は決意した。
私とアデリアの子を暗闇に閉じ込めてなるものか。
黒星が勝手に祝福を与えただけだ、この子に罪はない。
責任を持って赤子を匿うことを約束すると、間もなくアデリアは息を引き取った。
悲しんでいる暇はなかった。王家直轄地である果ての森で赤子を養うよう、アデリアの母親に命じた。
私の馬を授けると、赤子を連れてすぐさま村を出ていった。
愛しいアデリア、永遠に愛している
△年〇月□□日
アデリアを失った深い悲しみは杳として晴れない。
この手で荼毘に付したことで、その死を受け入れたはずなのに。
王妃の出産が近い。
上等な産着、ベビーベッド、乳母も用意されている
×年〇月〇日
待望の子が生まれた。
男児である。
その場で白星の祝福を受けた。
あの子の時と大体同じだった。小人が赤子の周りを舞い踊っていた。違うのは、目が明けていられないくらいまばゆい光に包まれていたということ。
民を思い、守る、良き王になるだろう
名は、ソルにしよう
あの子は息災だろうか
温かくしているだろうか
どのようなところに住んでいるのだろう
乳はどうしているだろう
私とアデリアの子だ、息災であると信じよう
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次のページに、何か書いてある。
短い文章だった。
読もうとするアランを、ソルがやんわり制止した。
「という訳だ、デア」




