幸せになって。
「デアは神と黒い魔法使いを倒し、自分の目をアランに、手足をウィルトスに与えた。このことは二人には秘密にしたいというから、記憶を改ざんすることを許し、口外しないことを約束した。なにせ、世界を救った偉大なる黒星の願いだ、聞かないはずはないだろう? デアとの記憶すべてを無かったことにして、黒星との戦いに勝利したと……記憶を書き換えた。黒星は民にとって恐れの対象だからな。奴の角もあることだし、打ち倒したことにすれば民も安心するだろうと、デアと話し合って決めたんだ」
呆然と聞いていたウィルトスは、未だデアの魔法が解けないせいで、「信じがたい」と首を傾けている。
「信じるか信じないかはお前次第だ」
ソルはそう言って笑う。
しかしアランは朧げながら思い出していた。薄れる記憶の中で編みぐるみに願ったことを。
「黒星が、世界を救った……デアが……光を、俺に……」
アランはぼんやりとした思考でデアを見る。するとデアは柔らかく笑った。アランが知っているデアの笑顔だった。
「俺が願いさえしなかったら、」
思わず口をついて出た。でなければデアの光は失われずに済んだのだ。
デアには、アランが今どんな顔をしているのか声音で察しがついた。後悔に苛まれているのだろう。だから教えたくなくて、ソルに秘密の保持を約束させたのに。秘密を暴露してソルはなにをしたいのか、ため息をつきたくなってくる。
体が不自由なことがアランの気持ちを拒む原因であることは確かだが、この体になったことに一片の後悔もない。
「後悔してない。だから目を返したいって言ったり、後悔したり、謝られたりするとあたし、悲しくなっちゃうからね、アラン」
「デア……」
アランの指先がデアの頬に伸びていく途中で、デアは立ちあがった。
「幸せになって」
魔植物が、握っていたドッグタグをアランに差し出した。
「森に帰る。道覚えたし、一人で帰れるから」
あまりにも簡単に別れを告げたデアを、アランは茫然と見上げるばかり。
冷静沈着で的確な指示を出す近衛隊参謀長が、人生で初めて味わった、真っ白な瞬間である。記憶の混濁が尾を引いているせいもあるが、しかし真っ先にデアへ言葉を掛けたいのに、理由もなしに正面切って断られてしまい、一つも言葉が出なかったのである。
そんなアランを見かねて、ソルは言った。
「俺の家臣を困らせたまま帰られちゃ困る。それに、俺の用件はまだ済んでいないぞ。姉上」
「っ!」
デアは金縛りにあったかのように固まり。
「姉上?」
「姉上?」
アランとウィルトスは同時に首を傾げる。
晴れ渡る午後三時、花の香りが四人を優しく包んでいた。
了
第一部完結。
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