市場
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ふた月後、王国の首都に入った。
魔女の歩調に合わせて倍の時間がかかったが、アランは苦に思わなかったし、むしろ楽しい道中であった。
滞りなく辿り着くことができてほっとしたアランは「城に行く前に」と、市場に寄った。王都がどんな場所か紹介したかったし、魔女の息抜きになると思ったからだ。
途端に賑やかな音が魔女の耳を圧倒する。足音や声の数は、いまだかつて出会ったことのない多さだ。
誘導のため、アランの肘を握っている手に力が入った。
半歩後ろを歩く魔女はきょろきょろと、落ち着かない様子である。
「大丈夫か」
「……あ? あぁ、たくさん音があって、少々落ち着かない」
アランの声さえもたくさんの音の一部となっていた。相変わらず凛としているが、心はプチパニック状態であった。
「俺が付いている、心配ない」
「そう言われるとどんなことも平気になってしまいそうだ」
不安げな魔女に、アランは笑いかける。だが、この笑みが届くことはない。
その時だ。遠くでアランを呼ぶ声がした。
瞬く間に黄色い声が複数人駆け寄ってきかと思うと、魔女を押しのけてアランを囲んでしまった。
あまりの勢いと力に、魔女は驚くばかりだ。掴んでいた腕が外れてしまい、誘導者を失って知らない土地に一人で立っている状況だ。
どんっ。無慈悲な張り手が魔女の肩を突き飛ばした。反動でよろけ、長い裾を踏んで転んでしまった。
魔女に手を貸す者はいない。頭上で若い女たち声が高らかに響いていた。
「アラン様、お久しぶりですね」
「今日はお忍びでいらっしゃいますの?」
「嗚呼、今日も麗しいですわ」
などとかしましい。
魔女は立ちあがり、ローブを手で払う。そして辺りを見渡した。見えはしないが、いい香りがする。肉が焼ける匂い、魚介が焼ける匂い、砂糖が焦げる匂い……気が向くまま歩き出した。
「大事な方をご案内しているところだ、すまないが道を開けてほしい」
あら残念だわと退散していく女たちが”愛しいアラン様にくっついていた盲目の女を力づくで退けて心を満たした”ことなど微塵も気づかないアランは、半歩後ろにいる魔女に、話しかける。
「すまなかった、行こうか」
だが、返事がない。
肘を見ると、掴まっていたはずのローブが消えているではないか。一瞬で口から出そうになった心臓を飲み込んで、辺りを見渡した。
人でごった返す市場で小さな魔女を見つけるのは至難の業だ。
首都は治安がいいとは言っても、たびたび人攫いが起こる。一気に不安になるアランは走り出した。
一刻も早く見つけ出したいが、市場の真ん中で魔女と叫ぶのは憚られた。人々は魔女を恐れているからだ。
(名前さえ知っていたら)
こんなに歯がゆく思うことはない。アランは市場をくまなく探して歩いた。
しばらく探しても魔女は見つからなかった。
市場の中心にある噴水広場までやって来たアランは、水飲み場の清水をすくって喉を潤す。二杯、三杯と立て続けに飲んだ。
噴水の淵に腰を掛け、ワイシャツの袖で汗をぬぐう。見渡してもそれらしき人はいない。
焦燥に駆られ、グッと両手を握る。
どこかへ消えてしまったらと思うと、不安でたまらない。その理由は、王に引き合わせないとならないから。と森を出るまでのアランなら思っただろう。しかし、長らく魔女と旅をしてきたアランの心に、変化が訪れていたのだ。
魔女はずいぶん打ち解けてくれた。愛らしく笑い、森での暮らしを教えてくれた。アランが普段の暮らしを話して聞かせると、興味深そうに耳を傾けていた。
そんな風に旅を続けてきた魔女が、目の前からいなくなったというだけで不安な心持にさせたのだ。こんな心持は、王とかくれんぼをした時以来である。
「お願いだ、姿を見せてくれ」
うなだれて願った時だった。足元に影が落ちた。
「食べるか。旅人よ」
可愛らしい声だ。弾かれるように顔を上げたアランの前に、両手いっぱいに食べ物を抱える魔女がいた。
「虹色の綿あめが見つけられなかったが、まぁ全部美味いからヨシだ」
おまえも食え。と串焼き肉が突き出される。
アランはどっと安心した。串焼き肉を受け取って、一口。たれがよく染みて美味い。それは安堵の味であった。
「虹色の綿あめはまた今度教えよう」
アランが言うと、魔女はニッと笑った。
「私を連れていると騎士様の評判が落ちてしまうぞ?」
魔女は可愛らしく小首をかしげた。おどけている様子は、まるで気にしていませんと言った様子である。
魔女は気づいていたのだ。市場の人々が恐ろしげに魔女を見ていたことを。魔女を指した子供の視界を塞ぐ母親もいた。凛とした佇まいに真っ黒のローブを纏った盲目の若い女を、人々は感覚的に畏怖の心持で見ていたのだ。
アランはきっぱり返した。
「他人の評価など気にする価値もない。万人に好かれる必要もない」
ほぅ、と魔女は唸り。ニコッと笑った。
「激しく同感だ。歩く以外の共通点もあったか」
「光栄だ」
立ち上がったアランは、魔女の手を肘に添えてやる。森を出た時からこうして歩いてきたのだ。
「王宮へ案内しよう。もう少し歩くが、構わないか」
「平気だ。お供もある」
食べ物が入った袋を掲げて、魔女は笑った。




