===恋の終わり===
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ばあやの素性が分かった晩、魔女は黒星について考えを巡らせていた。
黒にまつわるばあやの語録を思い出してみると、武道の教えの際に言ったことが真っ先に思い出された。
『陰と陽。白と黒。光と影。言うなら男と女も。これらは必ず対になって出現します。どちらもなくてはならず、互いを補い合うものなのです』と。
武道とこの話に何の共通点があるのかわからなかったが、覚えていたという事は、大事なことなのだろう。
これを星に例えるなら、白星が出現している今、黒星も必ず出現しているはずだ。
加えて、ばあやのおてて絵本も忘れてはならない。
生まれた黒星は、育ての母に連れられて祝福から逃げた。地の果てまで。
口の中で反芻したその時だ。パチッと目の奥に閃光が走った。
頭の中の霧が晴れて、点と点が繋がったのだ。
物語は、地の果てまで逃げていた。
そしてこの森は、果ての森。
まずは“果て”が繋がった。
さらに、この森が地の果てであるという説を確信に導く話があった。森の淵まで薬草を買い付けに来る商人が毎回言うのだ。“地の果てまで来るのは大変だ”と。
特にこの森は“果ての森”と呼ばれていた。
人の侵入が許されない“入らずの森”は世界に数カ所あって、ここもその一つだそうだが、物心ついた時からここで暮らしているから果て感は感じていなかったのだが。
今ようやく理解した。
この果ての森は、地の果てにあるのだ。
花売りの娘と王子の密やかな恋、
ふたりの間にできた赤子、
黒星に連れて行かれないように、
地の果てまで逃げた――
一つ一つが吸い付くように繋がって、浮かび上がった事実。
あの赤子は――私。
白星が現れた。
……黒星の前に。
しかし物語では、黒星は災いの星とされている。
(私が災いを引き起こす予兆だろうか。それとも、ばあやの話のように、黒と白はお互いを補うものだから、彼を補うべしという風の知らせだろうか)
どちらにしろ、腹違いの王に災いを引き起こしてやろうなどという気持ちはこれっぽっちもない。
むしろ、王に忠誠を誓うアランのためにも、王の役に立ちたいという気持ちが強かった。
王と黒の魔法使いの争いには中立の立場をとってきたが、腹をくくらねばならない時が来たようだ。
『決めた。いろいろ。』
フゥとヤァに心配されながら、徹夜で編み物に勤しむのだった。
⁂
彼らが出立する日。
別れの朝も、いつもと同じ朝だった。
朝一番、ケークマフィンが焼きあがった。
キッチンに顔を出すのは、朝練帰りのウィルトスである。
『おはよう。今日もうまそうに焼けてるな』
『おはようウィルトス。今日はハニーナッツのマフィンにしたよ。評判よかったから』
はちみつに漬けた数種類のナッツを生地に混ぜ込んだケークマフィンだ。
『デア特製マフィンの焼ける匂いに腹が抗えない。あー腹減った』
腹をさすって、ぱちんとウインクをするが、なぜウインクされているのか、よくわからなかった。
『テーブルの支度しなくちゃね』
適当に笑ってやり過ごしながら、テーブルの支度をする。最後にケークマフィンの大皿を持ってキッチンから出てくると、王子とアランが席に着くところだった。
『おはよソル。おはよアラン』
大あくびのソルと、寝癖の付いたアラン。これもいつも通りである。
最後の日も、アランは後片付けを手伝ってくれた。
ばあやのことは意を決して聞けたけれど、自分のこととなると、どうしていいものか、タイミングが見つけられない。ちらりとアランを見ては、食器を洗う手元に視線を落とす。
しばらく迷っているうちに、洗い物が最後の一つになってしまった。これを逃したら、二人きりになる時間はもう訪れない。こんなことなら昨日の夕飯の支度の時とか、後片付けの時に伝えればよかったとか後悔して、昨日の自分でさえ伝えそびれている事実を棚に上げて、昨日の自分を呪ったりしていた。
が、無情にも最後の皿を洗い終えてしまった。
(こうなったら玉砕覚悟でいけ!)
腹をくくった乙女のメンタルは振り切った。皿洗いのたわしを握りしめ、勢いで告げた。
『あたし、アランと結婚したい』
⁂
大皿を拭いている手が、自然と止まっていた。アランは茫然と突っ立っている。
隣で、魔女が、頬を染めて、お日様のように笑っている。
窓から差し込む朝日がシンクの水に反射して、キラキラしていた。
魔女は肩をすくめてまた、屈託のない笑顔を見せた。
『あぁ、本気にしないで? これは私のささやかな夢。相当迷惑だろうけど、黙って聞いてくれてありがとう。これで心置きなく死ねる』
死と聞いて驚いたのはアランの方だ。
キッチンの出入り口からそっと顔を出して話を聞いていたソルとウィルトスも、思わずバランスを崩しそうになって、何とか堪えた。
『色々……聞きたいことがあるが……一番気になるのは、心置きなく死ねるという部分……が、』
いつも冷静沈着なアランがしどろもどろになっている。魔女はくすくす笑いながら言った。
『言葉のあやってやつ? あたし折り紙付きの健康優良児だし』
『そうか……安心した』
肩の力が抜けるのがわかるくらい、アランはへなへなと抜けた。途端、拭きかけの大皿が落ちて、盛大に割れてしまった。
驚いたのは魔女だ。
破片を集めながら、まだぼうっとしているアランを見上げたら、申し訳なくなってきた。
『本当にごめんね。本当に本当に忘れて。三秒後に忘れて』
皿を片付け終わっても、妙な空気は変わらない。
どんなに笑いかけてもアランは放心状態である。
妙なことになったなと、覗いているウィルトスはつぶやいた。
いたたまれない沈黙を破ったのは、魔女だった。
『この森から出られない私の、一生に一度の気持ち、伝えなくちゃいけないと思った。それだけのことなの。返事が欲しいわけじゃない。振り向いてほしいわけじゃない。ただ、私のわがまま。付き合わせてしまって、ごめんね』
この時、幼い魔女は改めて思い知ったのだ。結婚というのは互いが想い合ってこその誓いであると。一人でつっ走るとこのような収拾のつかない空気になってしまうことも。
『……わかってるよ、あなたは旅人だってこと。使命を果たすために、進む人。さっきの話は三秒後に忘れてほしいけど、応援してることは覚えていてほしい』
忘れてはいけないのが、アランは旅人であるということである。
魔女は、旅人に恋をする女の物語を読んだことがあった。
物語の最後、主人公は散々であったが……そんな主人公はさておき、立ち寄りの旅人は二度と戻らない習性であると、魔女なりに理解していた。
アランはしばらくすると、紺碧の瞳を魔女に向けた。何となくぼんやりしている様子だったが、それでも、言い切った。
『理解した。三秒後に忘れればいいのだな』
それは出会った時と同じような、少し距離感のある口調だった。
『うん!』
諸々伝わったようで、魔女は安心した。
大きく頷いた魔女に、アランは気の抜けた微笑を見せるのだった。
⁂
別れの時がきた。
魔女は小さなあみぐるみを三人に渡した。
いずれも同じもので、フゥとヤァがモチーフの少しホラーなあみぐるみである。
手のひらサイズのそれを、三人は少々引き気味に受け取った。
『ピンチになったら願って。信じれば救われるんだよ』
『なんだよそれ。神様が助けにでも来てくれるのか?』
王は小憎らしく口を叩きつつ、魔女の気持ちが嬉しかった。
『あたしの手作りだから、効果は保証する』
『手作りじゃなきゃこんな不細工な雰囲気出せねぇよな』
『何をー!』
まるで兄弟のように王と追いかけっこをして。ウィルトスのウインクの意味がやっぱりわからなくて、アランはどこか硬い笑みを残して……三人は旅立っていった。
こうして、魔女の恋は終わったのである。
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