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絶対零度のクローザー

いよいよ真面目な野球回です。

 ごぉん、ごぉん、ごぉん。三度、低い鐘の音が聞こえた。それが聞こえるやいなや、すごすごと球場を去っていくアウェーのファンの姿が見られるようになる。残っているファンもファンで、顔を青くしている。これはある選手の登場曲だ。曲、というにはシンプルすぎるが。一方でブルーバーズファンのテンションは最高潮にまで達していた。球場にいる誰もが、みなあの男を待っている。


『選手交代をお知らせします。ピッチャー、(きた)に代わりまして黒鵜座(くろうざ)。背番号99、黒鵜座一(くろうざはじめ)が上がります。また、角井(すみい)に代わって扇谷(おうぎや)。線番号63、扇屋守(おうぎやまもる)がキャッチャーに入ります』


 そのアナウンスで、球場中が揺れた。


「「「くーろうざ!!くーろうざ!!」」」


 場内は黒鵜座の大合唱だ。しかし当の本人はそんな事に眉一つ動かさず、ゆっくりとマウンドへ歩みを進めていく。そして同じくキャッチャーとして出てきた扇谷とグラブ越しで話し始めた。


「調子は」


「まぁぼちぼちってところです。ストレートもそこそこで、決め球もバッチリ投げられます」


「お前の言う『ぼちぼち』は信用できんからな。何か始めたらしいが、それのせいで調子悪いとかはナシだぞ」


「ははは。大丈夫大丈夫、分かってますって」


「ならいい」


 扇谷がポジションへと帰っていく。黒鵜座は上に広がる天井を見上げながら、左の胸に手を当てた。……さぁ、ここから試合を締めるのが俺の仕事だ。しっかり頼むぞ、俺の右腕。マウンドを踏みしめ、確かめるようにボールを投げる。


(何が調子はぼちぼちだ)


 扇谷は今年36を迎えるベテランキャッチャーだ。その経験上、1球ボールを受ければ今日の投手の調子が何となく分かる。まぁ投球練習とはそういうものを確かめるためのものでもあるのだが、扇谷の場合は観察眼に優れていた。たった数球で使えるボール、そしてその制球や球威、ひいては今日はどんなリードをするのがいいのかを見極める事ができるのだ。


(中々にクールじゃねぇか……!)


 さて、黒鵜座が投球練習に入っている間に彼の軽い経歴、そして昨シーズンの成績を振り返ってみるとしよう。黒鵜座一。身長184㎝、体重92㎏(開幕前時点)、出生は愛知県名古屋市。岐阜県の私立高校に進学し、高校を卒業後4位指名で名古屋ブルーバーズに入団した。ドラフト当時は縁故採用だの地元優遇だのインターネットで好き勝手言われていた彼だが、3年後にリリーフとして初の開幕一軍を果たすと、それから一軍に帯同し続け実力でファンを黙らせて見せた。それから4年、つまり7年目となった昨シーズンも開幕一軍を果たすとセットアッパーとして好調を維持し続けた。そしてシーズン途中からはクローザーとして抜擢され、29セーブを上げる大車輪の活躍を見せる。その信頼は今シーズンになっても揺るがず、オープン戦ではヒットを一本しか許さない好調ぶりを見せつけた。そんな黒鵜座が、今シーズン初のマウンドに上がろうとしている。


(よし、肩はできたし、そろそろやっちゃいますかね)


 右の打席に打者が入って、審判がプレイの再開を告げる。確か彼は今年が1年目の、ピッカピカのルーキーだったと黒鵜座は記憶していた。一年目から開幕スタメンを果たすのは充分優秀な証だが、ここは現実を見せてやらないといけない。キャッチャーの扇谷から出されたサインに黒鵜座が頷く。元より、断れるほど球種があるわけでもない。黒鵜座のフォームは癖が無く、悪く言えば特徴のない標準的なフォームだ。


(OK、その球ですね)


 初球、真ん中高めへのストレート。厳しいコースではなかったが、打者は手を出すのをためらったか、それとも出せなかったのか。軽く首をかしげていたのを、扇谷は見逃さなかった。今度はアウトコースいっぱいのストレート。これにも手を出さず、一気にバッテリーが追い込む形となった。


(勝負は一瞬。迷ったら終わりよ)


 テンポよく3球目を黒鵜座が投げ込む。今度は高め、見逃せばボールになる釣り玉。しかし打者のバットが思わず出てしまった。ボールはバットをすり抜け、キャッチャーミットに収まる。悔しそうに見てくる打者の事など意にも介せず、平然と黒鵜座は次の打者への準備をする。


 次のところで代打がコールされた。打者は中堅、オープン戦から売り出し中の内野手だ。その初球、ストレートを狙っていたのだろうが、思ったところでボールが来ない。打者のタイミングを惑わす魔球にして黒鵜座の得意球、チェンジアップだ。完全に引っかけた打球がショートへと転がり、これを難なく捌いてあっという間にツーアウトとなった。


 「あと一人」コールが球場を支配する。試合はもはや青一色だ。


(よしよし、丁度肩も温まってきたな)


 打順は1番打者へと戻ってくる。ここまではほんの小手調べだ。ツーアウトから打たれるということも普通に起こりうるから、とにかく丁寧にを心掛ける。


 ここで、何故黒鵜座の球が打たれないのか解説しよう。彼の直球は平均速度145㎞/h、最速が148km/hだ。プロ野球界の平均球速が144km/hというから、プロの中ではいたって平均的、それほど大したものではない。しかし昨シーズンの彼のストレートの空振り率は20%程度。これは歴代の中でもトップクラスに並ぶほどの記録だ。


 ではなぜそこまでに空振りがとれるのか。少し話がそれるが、最近の野球のデータの一つとして重要視されるものに回転数、というものがある。これは投げたボールが一分間にどれだけ回転するのかを示すものだ。ストレートのこの数値が多いとどうなるか。打者の視点から()()()()()()見えるのだ。ストレートの回転数はプロ野球では2200回転、大リーグでは2500回転ほどが平均的と言われている。それに対して、黒鵜座の数値はどうなっているか。


「ストライ―ク!」


 その回転数、およそ2800回転。これは海を渡って世界一の胴上げ投手に輝いた某日本人大リーガー、そしてオールスターで全球直球で三振を取った事で有名な某投手の記録した2700回転を上回る数値である。つまり、彼の直球は文字通りホップアップして見えるという事になる。先ほど彼は石清水禄郎選手のボールの軌道を「キモい」と表現したが、彼の軌道の方がよっぽど気持ちが悪い。


「ストライクツー!」


 また、空振りを取った。一球ごとに大きな歓声が上がる。それに対して黒鵜座は喜ぶことも、動揺する事もない。マウンドに上がった時の黒鵜座はとにかく静かだ。ただ静かに、淡々と、それが息をするのと同じであるかのように当たり前に投げる。


(クッソ!何とかバットに当てねぇとそもそもヒットにならねぇ!)


 打者がバットを短く持って対応しようとする。が、そんなもので対応できるならそもそも彼が一流と呼ばれることなど無いだろう。サインに対して首を縦に振って標準的な構えから投げようとする。彼の投球はホームだろうとアウェーのだろうと関係なく敵チームのファンを凍り付かせるような支配的なものとなる。だからファンは―――


(こ、の野郎……!!)


「ストライク、バッターアウト!ゲームセット!!」


 だからファンは、彼の事を「絶対零度のクローザー」と呼んだ。

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