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偶然じゃない

 試合は両者ロースコアのまま譲らず、9回を迎える。この回の表を石清水が抑えると、裏には1死満塁と絶好の機会を作る。打席に立つのは1番の李。敵ファンも、ブルーバーズファンも、サヨナラを信じて疑わなかった。だがしかし、スポーツとは得てしてそう上手くいかないものである。カウント2-2から李の放った痛烈な打球はワンバウンドしてそのまま投手のグラブへ。ボールはピッチャーからキャッチャー、そしてキャッチャーからファーストへ。いくら俊足の李と言えども打球の勢いが強すぎた。あえなくダブルプレーでサヨナラは水の泡と消え、代わりに球場内にはため息があふれかえる。監督の金子に至っては呆れるを通り越して天を仰いでいた。結局9回を終えて1対1のまま。試合は延長戦に突入していた。


「頼むぞ、黒鵜座。この嫌な流れを変えてくれ」


 いざ登板しようとブルペンを出ようとしたときに仲次コーチからそんな言葉が飛んでくる。こういう時、悪い流れを食らうのはいつだって投手だ。だからといってそれが打たれていい理由にはならないが。


「まぁ、仕方ないですね。こういう打線が援護してくれない状況は良くも悪くも慣れてますから」


 黒鵜座はいつもの張り付いたかのような笑顔を見せてブルペンを出る。こういう相手に流れが行きかけている上に負けが付くかもしれない場面で投げるのは正直嫌ではあるが、そこは仕事だ。割り切ることくらい簡単に出来る。さぁ、今日もやってやるとしましょうか。ベンチからマウンドへ向かう途中では拍手が迎えてくれた。夜だと言うのにこんなに大きな拍手を送ってくれるファンに対して頭が下がる思いだ。


『選手交代のお知らせをします。先ほど代打いたしました関脇(せきわけ)に代わりまして、黒鵜座。背番号99、黒鵜座一が上がります。また、代走いたしました武留がライト。ライトの鳥野(とりの)がレフトへ、レフトの志村(しむら)に代わりまして扇谷。背番号63、扇谷守がキャッチャーに入ります』


 相手の東京タイタンズは5番の(ふじ)からという、そこそこの好打順から入る。このチームは突出した部分こそ無いものの、バランスの良さから生まれる安定感がウリのチームだ。もう一度言おう。突出した点が無い。それはつまり、どういうチームか解説しづらいチームだということである。資金力はあるために各球団の有力選手と大型契約を結ぶことがそこそこあるため、決して弱くはない。ただ来るのが旬を過ぎたおっさんが多いためにあまり活躍するケースが無いのだ。ただそれでも先述した藤など、最近は若手育成に舵を切った事で少しづつ強くなり始めているチームではあるから油断は出来ない。


 登場曲が流れる中、淡々とマウンド上で体をならす黒鵜座の肩を叩いたのはやはり彼の女房役である扇谷だった。この人も守備での安心感は凄い。当たり前のように気配りをしてくれるし、投手の投げやすいようにリードをしてくれる。投手を魚と例えるなら、扇谷はかなり大きめの水槽だ。ある程度好きなように泳がせてくれる。


「とにかく先頭だ。藤さえ切ることが出来れば後はそこまで脅威じゃない。あの球も少しづつ混ぜて実践向きにしていこう」


「ういっす。要するにいつも通りの感じでいけばいいってわけですね」


「お前はまた……まぁいい、そんな大口叩いといて打たれましたなんて言い訳はナシだからな」


「あっはっは。そうですね」


「そこはせめて否定しろよ。まぁいつも通りで安心したわ。よし、そんじゃまぁ、俺たちの好きなようにやろうぜ」


 そう背中を叩いて定位置へと帰っていく扇谷を見ながら、黒鵜座は軽く背中を伸ばす。そうして5球ほど投げたところで投球練習を終えた。


『5番、レフト。藤』


 右のバッターボックスに五番打者の藤が入る。オープンスタンスでバットを体の方へとゆらゆらと傾けるバッティングフォームが特徴的だ。一番ダメなのは真ん中高め、相手の得意コースは頭の中にしっかり入っている。ここ5試合でホームラン2本と調子がいい。とにかく甘い所にはいかないようにを心掛けないといけない。


「(自信に満ち溢れてるって感じだな)」


 こういう相手は勢いに任せて打ってくるから警戒が必要だ。キャッチャーからのサインは「一度首を横に振れ」らしい。言う通りに従って首を一度横に振った。こういう些細な動きも駆け引きの一つだ。そして1球目、ボールを放り込む。真ん中低めのストレートかと思われたそのボールは打者の手元で急速に減速し、ワンバウンドした。打者のバットは空を切って打者が体勢を崩す。


「(な、今のはこの前試合で見せていたボール!? 偶然じゃなかったのか!?)」


「(なんて、思ってるんだろうな。偶然じゃないんだな、これが)」


 睨みつけるように黒鵜座に視線を送る藤。それすらも見下すかのように黒鵜座は冷たい笑みを浮かべた。次の球を投げようとするが、一旦ここで藤がタイムを取った。スイングを確かめながら一度深呼吸する。


「(大丈夫だ……あれくらいの球、一度見たら打てる。少なくともそういう練習をやってきたはずだ)」


 審判により声高に試合再開の合図がされ、藤が黒鵜座へと向き直る。ふざけやがって、その余裕たっぷりの面、今すぐにでも崩してやると改めて意気込む。2球目、今度こそ狙い通りに先ほど投げてきた球が来た。明らかなチャンスボール。気持ちボールより低めにバットを滑らせる。


「(くたばれクソ野郎が!!)」


 だがしかし、バットがボールに触れる事は無かった。アウトコースへ逃げるような変化。先ほどと同じような回転だったが、まだ黒鵜座のボールは変化の余地を残していた。


「(クッソ、まだ落ちんのかよ!!)」


 これで投手が圧倒的有利のカウントとなった。次はボール球で振らせに来るか、それとも三球勝負で来るか。どちらにせよ、次のボールに対応できれば恐らく今日の打席は回ってこないだろう。とにかく、際どい球でも何とか前に飛ばさなくてはいけないと藤は覚悟した。そして3球目。


「(……落ちる!)」


「ストライーク! バッターアウト!!」


「はぁ!?」


 ここに来てインローへの真っ直ぐ。落ちると思われたその球は綺麗な軌道を描いてキャッチャーミットへと突き刺さった。完璧に仕留め方。ここまで完膚なきまでに叩きのめされたのは藤にとって初めての経験である。……とりあえず、今の経験を忘れないようにしておこう。藤は心にそう誓った。先頭打者を三振に打ち取った黒鵜座はその後ペースを上げ、三者凡退でこの回を終えた。



「扇谷さん、さっきのボール読まれてましたよ」


 10回裏のベンチで試合を見つめながら、黒鵜座はこぼすように扇谷に話しかける。それに対して扇谷は驚くことも戸惑う事もしない。ただレガースを外しながら平然と「そうか」と返すだけだった。


「そうかって……ひょっとしてこうなる事読んでたんですか?」


「さぁな。ま、結果打たれなかったからこっちの勝ちだろ。それにいい練習になったでしょ?」


「扇谷さんも人の事言えないくらいには性格悪いですね」


「キャッチャーにとっちゃ褒め言葉だよ。……あ、打った」


「よっしゃサヨナラ―! ひいては僕に勝ちがついたー!!」


 ボトルを持って走り出す黒鵜座を見ながら、扇谷はやれやれとため息をついた。





 

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