【傲慢/1】惨状の調査
これはひどい。
怠惰の騎士と会談を終えた後、ルディーリア側の面々が殺されたという会場で、彼――傲慢の騎士クワイ・ハナッシェ――はその惨状に溜息を吐いた。
念のためという名目で、すでに調査・撤去されたという会合会場を調べて来い、というアリアの指示なのだが、どうやらこれは空振りに終わりそうだ。
ルディーリア側からは「片付けた」と聞いている、とアリアに言われていたのだが、その「片付けた」というのは設営されたテント機材と、会合に出席した人材の遺体だけのことであるらしい。
現場に【目】を飛ばしていたアリアは、クワイに調査を命令するまでの間、魔術的な干渉はなかったと断言していたし、クワイ自身が到着してから調べた限りでも、魔術的にも物理的にも、一切の痕跡を見付けることができなかった。
唯一発見できたのは、血で汚れたのであろう銀の指輪がひとつだけだが、こちらにも魔術的な要素は見当たらない。何一つ、異常はない。
――ただ辺りに広がる大量の血痕であろう、赤黒い地面以外は。
クワイはその惨状を一応調べてみて、これはひどい、と二度目の感想を抱く。
すでにレミィが帰還してから数日が経っているはずのこの時点で、……まぁ3日程前に多少雨が降ったりはしたはずだが、それでもこの噎せ返りそうなこの血の匂い。
「クワイ様、どうですか」
「……異常な量の血痕ではあるが、それ以外は特に。そっちは?」
「こちらも特には。……裏は感じませんでした」
クワイの後ろから男の声がかかる。
クワイの調べた後、その見落としがないかを頼んでみていたのだが、アリアが新しく雇用したというこのホアンという男は、なかなかに切れる男であった。
まずそもそもの原因であるこの会場に到着する前、クワイよりも早く血の匂いに気付き、そして、アリアには聞かされていなかったであろう【目】――魔法の目という魔法だ――を看破し、ルディーリア側の【目】である可能性を考慮したのか、クワイに報告して来たのだ。当然アリアのものだと説明し、納得してもらったのではあるが。
ルディーリアの間者である可能性がある、と聞かされていたのだが、正直そのつもりで接していて戸惑うことが多い。これが演技であるのだとしたら、本当に大したものだとすらクワイは思う。
さて、肝心の指輪だ。
念のため魔力の流れを調べ、それがただの銀と変わらないことを確かめつつ、念のため角度を変えて魔力を流しながら、指輪を発見した際の状況を思い浮かべる。
もしそれすらも罠か何かだとするならば最早お手上げだが、指輪を見付けた際、上の土に自然に踏み荒らされたような跡があったことと、大量の血痕のひとつであったことを思えば、被害者のひとりの持ち物であったのではないかと思う。
ホアンに見られないように念のため内ポケットへと指輪を入れ、クワイは何事もなかったかのように馬車へ乗り込んだ。
「ホアンから見て、あの現場をどう思った」
「……正直に言えば、異常ですね」
「――ほう?」
少しだけ、驚いたような声を上げるクワイ。
クワイから見て、現場に異常を感じるものはなかったはずだ。
魔術的にもそうだが、血痕以外のものは、ポケットにしまった指輪だけだ。
「異常はなかった、と言わなかったか?」
「異常はなかった、というのは確かです」
「……ふむ?」
ホアンの言わんとするところが、クワイにはわからない。
……まぁクワイは基本戦場で剣を振るうのが本業であり、調査方面には慣れていないのだが、それでも探知能力がないわけでもない。そもそもアリアがクワイを選んだのだから、その決断に間違いなどないだろう、という理論上、クワイはこの調査に適任であると思い込んでいた。
「それで、異常とは何を指して?」
ホアンは少しだけ、言葉を選ぶように視線を泳がし、ぽつりと呟いた。
「……異常が、なさすぎますよ」
ホアンの言葉を聞いて、クワイははたとその異常に気付く。
「あれだけの虐殺……かどうかはわかりませんが、俺には……失礼、私には――」
「あぁ、面倒だから俺で構わないよ」
本来の口調であろう、「俺」という一人称をわざわざ丁寧に言い直すのを、クワイは面倒だと一蹴し、先を促す。
「すみません、では失礼して。……俺には一方的な惨殺の跡に見えました。それを踏まえて……」
「なるほど、綺麗すぎる、と?」
「――はい。仰る通りです」
惨殺。なるほど言い得ているかもしれない。
――あの惨状をもう一度思い出せば、確かにあの現場は「異常」だ。
あれだけの血の痕、指輪が落ちていることから、少なくとも指輪が外れるほどに殴打され、もしくは指を切られていることを思えば、肉片のひとつすら残っていないのは確かに異常と言えるかもしれない。
人間、血が出るような重症を負って出るのは血液だけではないのだ。
襲撃の報告を受けてからアリアの【目】が飛ばされたのが3日前だったか。それまでの数日を含めたとしても、そこまで現場を綺麗に出来るはずはない。
魔術的な痕跡は見当たらなかった。
例えば【肉を石に】など、魔術で肉体を変化させることもやろうと思えばできるだろうが、もしその類の魔術を使ったのなら、間違いなく痕跡を残しているだろう。そもそも魔力濃度の乱れもなく、また魔法を使用した痕跡すらない。
物理的な痕跡も同様に見当たらなかった。
例えば土ごと肉を浚ったとか、こちらも相応にやり方はあるのだろうが、さすがにこの短期間で何の魔力もなくできることではない。また、もしそのようなやり方をしているのなら、血痕など残したりはしないだろう。……故意に残した血痕だとしても、量が多すぎる上に自然すぎる。医療用の輸血を使ったのか、などという暴論も用意はできるが、さすがに高価で希少な血液を使うなどということは考えられないし、情に厚いと評判のかの勇士がそのような暴挙を行うとも思えない。
どちらにしても、どうやったとしてもこの短期間でここまで完璧な隠匿は難しいだろう。
隠匿したのであれば、少なくとも「隠匿した形跡」が残るものなのだ。それが、2人がかりで探しても見付からなかったのだとするならば、それほどまでに隠匿技術が完璧なのか、それとも本当に隠匿していないのかのどちらかということだ。
「足跡から見て、ルディーリア側の人数は7、その他の人数は2、というところでしょうか」
「……その2のうち、争った人数は?」
「おそらく、1です」
「調査した人間は?」
「おそらく、3といったところでしょう」
「……同意見だ」
ルディーリアの冒険者と聞いていたが、その観察技術は大したものだ。
――調査に慣れていないとはいえ、それなりに訓練を受けて騎士になり、前任の傲慢に見初められ――言葉通りの意味で――、そして拙かった観察技術を徹底的に叩き込まれた。それでも人並み以上程度にしか習熟できなかったが。
ホアンはそのクワイと同等、もしかするとそれ以上の調査・観察の技術を持っている。
その2人がかりで発見できなかったのだ。
そのうえ、ルディーリア側の数も、その他の数も、調査した人間の数でさえ、ホアンと意見が一致したのだ。
隠匿した事実があったとして、そこまですべてが一致するとは思えない。
――お互いおそらく正しいのだろうと苦笑しつつ、隠匿の線も消えたと言っていいのではないだろうか。