【怠惰/4】怠惰の夢 03
「……俄かには、信じられない話だね」
色々な話――とは言っても、大半は私の話だったが――をしてから、ツキメさんは少しだけ自分の前髪を触った。
「異世界……別の世界から、ね」
まず日本から来たことを話した。それを羽根の天使が「別の世界」と言ったことも。
「ゲー……お遊戯に使っていた、駒の武器がそのふた振りで、」
お遊戯。まぁお飯事だしお遊戯か。間違ってはいないと思ったので口は挟まない。
自分が持っている脇差【うさしなぐに】、小太刀【むめいもとしげ】のことも話した。
「来る直前に、そのニホンでの体は焼けている、と」
言うべきか迷ってから、日本での自分の末路も話した。
嘘を吐いているわけではないが、信じてもらえないのは少しだけ肩身が狭いのだということを、初めて知った。
母様や父様、兄様たちも、私の言うことを信じてくれたから、こうして疑われるのは慣れていないのだ。
……いやまぁ、今思えば、正直信じてくれたと言ってもそれは表面だけで、実は話半分に聞いていたのではないかとも思うのだが。
「それで、レイはこれからどうしたい?」
レイ、というのは私の名前だ。おレイ、などと呼ばれると少し違和感がある名前だが、母様から、しっかりと挨拶や感謝を口に出来る子になって欲しいという意味で付けたと聞いている。
その私の名前も、話の流れで教えた。自分が5歳であることも。
これからどうしたいかと問われても、それに答えるほど何をしたいと考えていたわけではない。
「わからな……わかりません」
信じると言ってくれたわけではない。子供の妄言の類だと思ったのかもしれない。
信じないと言っているわけでもない。話半分に信じてくれているかもしれないが。
少なくとも、安易に「じゃあ母様を探そう」とか「本当のことを教えて」とか言われなかっただけでも、少しほっとした。
そして、ほっとしたと同時に、よくよく考えれば、自分がどうしたいのかもわかっていないのだと気付かされた。
「そう。だったらレイがどうするか決めるまで、しばらくここにいりゃいい」
そんな私の心中を察したわけでもないだろうし、今考えれば、ツキメさんの性格上、ほとんど何も考えずに出た答えなんだろうと思うのだが、当時の私はその言葉にひどく驚いたものだ。
だから、あんな馬鹿げた質問が、思わず口を吐いて出たのだろう。そうに違いない。
「ツキメさんは、心でも読めるんですか」
当の本人はその質問に、一瞬きょとんとした顔を見せた後、一分くらいの時間をケタケタと目に涙を貯めるほど笑ってから、「そんなわけないじゃん」と否定した。
どうするか決めるまでここに、という言葉は本当だった。
先のことなど何も考えずに何年も日々を過ごす私に、ツキメさんは毎日のように色々なことを教えてくれながら、「何かしたいことはないのかい」と聞き続けた。
その度に「まだわかりません」と答えていたものの、正直な話としては、このままツキメさんと共にいられるなら、それはそれでいいのではないかと思っていたくらいだ。
……あの時までは。
その時のことで、覚えていることは少ない。
「ごめん、……ごめん、レイ」
ツキメさんの声を覚えている。
何かを謝るツキメさんの声を。酷く悲しそうな、酷く掠れたような、酷く疲れたような、……まるで、永劫の別れのような声を。
何かを叫んだことを覚えている。
それが何だったのか、それがどういう意図だったのか、そうしてツキメさんに伸ばした手は何のためだったのか、そういうものは全て忘れたけれど、それでも何かを叫んでツキメさんに手を伸ばしたことだけは、朧気に覚えている。
その私を見て微笑んだツキメさんの顔を、覚えている。
ツキメさんの唇がいつもの笑みの形を取って笑ったのを、何かを呟くように動いたのを、嗚呼、その唇の動きで何と言ったのかも、全部全部全部、ちゃんと覚えている。
それが本当に永劫の別れだったのか。
それとも、いつかまたツキメさんに会えるのか。
土蜘蛛族は長生きだと聞くから、いつか会えると信じてはいるのだけれど。
「またね、レイ」
その日から、私はまたひとりになった。
ひとりで森を抜けて山を下りなければいけない。
幼い頃に通った山に似た森。母様のことも思い出したが、それと同じくらいにツキメさんのことも思い出すようになった。
昔とは違うから、思い出したくらいで泣いたりはしなかったけれども、少しだけ悲しくなって、嬉しくなって、恋しくなった。
その森を抜ける頃だったのか、それともまだまだ道は遠かったのか忘れてしまったが、声を聞いた。
酷くしわがれた声。
何かを懇願するように、弱々しい、みすぼらしい声。
思わず足をそちらに向けて歩くと、そのしわがれた声の他にも荒々しい声が聞こえた。
怖い時の父様の声にも似た怒声。
でもその声に、父様のような温かみはなく、ただ敵意を剥き出しているだけなのだとすぐに気付いた。
「貴様らエントに慈悲などかけるか!樹木風情がよ!」
あぁ面倒だな、と思った。
要するにコレは弱い者苛めではないか。
命乞いをするエントに、それを害する男たち。
しかもその理由すら、大した理由ではなさそうで、本気でなんだか面倒臭いと思った。
だから、というわけではなかったが。
気付けば、弱い者苛めをする男たちを叩きのめしていた。
二本の刃の使い方は、ツキメさんに教わっていたから、自分の強さの数値はちゃんと上げていたから、男たちより早く動いて、男たちが振る武器を見て避けて、ただ男たちが武器を握る手を蹴り上げ、二本の刃の峰で打ち、払い、武器を落としてやると、捨て台詞を残して男たちは逃げて行った。
少しだけ、面白く感じたものだ。
飯事では、この木のお化けは倒すべき敵だったはずなのに、何故助けてしまったのだろう。ツキメさんが土蜘蛛で、なのに優しかったからだろうか。
木――後にこの木のお化けが、エントという名前のモンスターであることを知る――が私にお礼のようなことを言い始めたが、面倒臭いので無視して歩く。
「あのままでは、私は、切り倒され、灰に」
エントは私の後に付いて来て、
「助けられた、恩を、あなたに、授けて」
ゆっくりゆっくり自分のペースで何事かをずっと話し続け、
そうして、頼んでもいない礼を私に、授けた。
嗚呼、何て面倒臭い。
思えばこの時、「それでいいよ」なんて面倒臭がらずに、ちゃんと断れば良かったのだ。
そうすれば、こんなに面倒臭い人生ではなかったはずだ。
少なくとも人並みに年を取って、人並みに人生を歩んで、人並みにその生涯を閉じたに違いないのだ。
「ならば、エルフの、ごとき、長寿を、礼に」
「あぁもう。それでいいよ」
たったこれだけの会話で、私の人生が数百倍に伸びるだなんて、誰が思うのか。
嗚呼、本当に、面倒臭い。
揺すられる感触に、面倒臭いと思いながらも目を開ければ、面倒臭い侍女長の苦笑が見えた。
「レミィ様。そろそろ到着します」
「……んぅ、……あれ、寝てた?」
「はい。それはもうぐっすりと」
到着してから起こしてくれればいいのに、面倒臭いことに到着前に起こしてくれたようだ。まぁ到着前に面倒臭い書類を書かなければいけないので、結局のところより面倒臭いことになるよりは、面倒臭くても先に起こしてもらう方が面倒が少なくて良いのではあるが。
ヴァイオリル伯爵領に入るのには、それだけでも面倒な手続きが必要であるのだから。