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【怠惰/7】遠くに見える長い線

 見上げるほどに高い塔、……などという言葉ですら、安っぽく感じてしまうほどの塔が彼方にあった。

 噂に聞いていたとは言え、さすがに誇張も入っているだろうと面倒に思っていたのだが、その噂や呼称が真実であることは、ルディーリアの外壁が見えるより前に本当であったのだと知ることになった。


 曰く、天よりの鎖(チェイン・タワー)


 ルディーリアの街並み――聞けば、塔には劣るが高い外壁があるのだという――が未だ地平線より下にあるのに、一本の線が不自然なほど真っ直ぐに天へと伸びているのが見える。その線は雲すらも突き抜け、さらに上へ。

 さすがに王都からは見えなかったこともあり、これほどのものが実在しようとは思っていなかった。


()()れているのですか?」


 ちらりと視線を送り、もう一度塔に戻すことでその質問に返す。侍女長はそれだけで、それが肯定を示すのだと理解してくれたようだ。

 侍女長もあの塔を見るのは初めてだったはずだと思うが、実は色々雑事を頼んだ時に見たことくらいはあるのかもしれない。私の屋敷から、王都より反対側であるこちら側に用があったのなら、の話だが。

「……そういえば、(ひい)祖母(おばあ)様も、あの塔で修行を積んだと言っていました」

 彼女の曾祖母というと、……と少しだけ、その人物像を思い浮かべる。


……あの紫の髪と目を覚えている。


 名前は何だったろうか。侍女長と同じく名前をあまり呼んだことがないのですっかり忘れてしまったが、それでも1、2度――少なくとも彼女を看取ったあの時には呼んだので、最低でも一度――程度は呼んだはずだが、思い出せないのが面倒になって、結局諦める。

 一度は私の侍女となるのを嫌がり、母親の反対を押し切ってあの塔へと挑みに行ったものの、そこで片手と耳を失ったことで冒険者の道を諦め、結局彼女は、前の侍女長であった彼女の母親の代わりに私の侍女となり、いつしか侍女長となって、そうして長年務めてくれた。そういえば人間にしては長生きをして、侍女長を退いた後もしばらくは私の話し相手として屋敷に残ってくれていた。だから少しだけ記憶が強く残っているのだろう。

 恐らくは今までで最も私に近く、鬱陶しいほどに世話焼きで、その癖料理は上手く、……一度思い出せばあの紫と共に記憶が次々と蘇る。

「その頃の最上記録が確か1000ほどだったようなのですが、曾祖母様はその半分どころか3分の1も行けなかったと悔しがっておりました」

 私がそんな顔をしているからだろうか、侍女長はそんな風に故人を語り出した。ほとんどが私の知っている話ではあったけど、時々知らない話もあった。

 けれど、その知らない話でさえも、あの紫を思い浮かべてみれば、なるほど彼女ならばそうなのだろうと納得するほどに、懐かしく錯覚するほどに()()()話だった。



「――なッ何、うわぁッ!?」


 唐突に、御者が悲鳴を上げた。

 咄嗟に御者台へと繋がるカーテンを開くと、まず馬に何かが飛び掛かるのが見えた。生命反応を魔力のみで探る。


 いや、アレを何か、などと呼んでいいものだろうか。


 一瞬で思考を巡らせつつ、侍女長と御者を巻き込む形で、一気に魔力を展開し、馬車ごと包み込む。


柔らかい壁(ソフトウォール)!」


 馬も、とも思ったが、すでに生命反応は途切れていた。

 窓を割って御者を馬車に引きずり込み、床に叩き付けてから私自身も(うずくま)ると、その瞬間、轟音を立てて馬車が横転した。


……いや、横転という程度の生易しい衝撃ではなかった。


 荒事に慣れているはずの侍女長ですらも一瞬反応が遅れたか、衝撃が来てから伏せようと行動を始めたので、浮いてしまった体は衝撃で2度、3度と壁に身体を殴打された。

 呻き声は上げているので、御者も侍女長も無事ではあるようだが、……頭を打っているかもしれないので、「動くな」とだけ命令を出し、魔法の内側の生命反応から調べることにする。


「……レミィ様、腕が」


 言われて自分の腕を見てから、ようやくそれに気付く。

 私自身もどこかで殴打してしまったのだろうか。その際に捻ってしまったようでもあり、……面倒なので現状を一言で言うならば、二目と見られたものではないものになっていた。

……それが左腕だったのだけは幸いだが、それでも痛手ではある。

「大治癒」(ラージヒール)

 治癒魔法をかけてみるが、……さすがにこのレベルで破壊された腕を直すには、左腕がないのは致命的だった。

 幸いと言うべきか、馬車内部の生命反応は私たち3人だけだ。時間をかけてもいいのだが、その間柔らかい壁(ソフトウォール)を維持しきれるか、と聞かれたら、無理かもしれないと弱気な返答しかできない。恐らくはどんなに急いでも数時間はかかってしまうだろうと判断し、すぐに中断した。

 左腕を失ったのは本当に致命的問題だ。左腕にあった(クレ)(スト)(タト)(ゥー)は、少ない魔力量でも魔法を扱えるようになるものだったのだが、すでにその効力は破壊されているようだ。もう一度彫り直すことはできるが、少なくともここにいる3人には無理だ。

 それを失っているということは、魔術使用のために必要な魔力量は、普段の数倍まで跳ね上がるということだ。

 不幸中の幸いなのは、右腕に彫られた速詠――詠唱を一瞬で完結させることのできる効果――の(クレ)(スト)は健在だということくらいか。

 だとすれば、御者や侍女長を先に治療すべきだろうか。


 いや、冷たいようではあるが、御者は最後だ。


 御者は戦闘を苦手としていたはずだ。最悪私が倒れてしまった時、意識を失っていた方が助かる場合もあるだろうし、そもそも御者の治療へ回す魔力が今は惜しい。

 ならば侍女長はどうだろうか。

 いや、まずは誰を治療するかと言う話よりも、左腕の痛みを自覚してしまわないうちに、状況を少しでも把握すべきか、と判断し、魔力による生命感知を、外へ一気に広げ、すぐに迂闊だったと判断した。素早く状況を把握し、素早く魔力を回収する。


 生命感知は初級魔術だ。

 魔力を周囲に広げることで、生物やモンスターなどがそこにいるかどうかを知ることができるが、それらを感知するたび魔力を消耗する。

 つまり、今のように大量のモンスターに囲まれている状況では、いたずらに魔力を消耗するだけで、メリットなどほとんどないということだ。


 思わず舌打ちをしたくなるくらい、面倒臭い状況だ。


 これで、少なくとも大治癒(ラージヒール)などに魔力を割いている場合ではない状況となってしまった。


……残された、全員が助かる手段はひとつだけだ。


「――向こうを向いていて」

「……はい、仰せのままに」



 さすがに、やるのは初めてのことだ。

 侍女長に悟られないよう、ゆっくりと腰の刀を抜く。

 私自身が声を上げてしまわないように、歯を強く食い縛る。


 成功のために必要な条件は、ふたつ。


 ひとつは集中だ。

 少しづつではあるが、左腕の痛みを感じるようになってきた。集中を欠いて魔術を失敗させてしまった場合、それだけで最悪な事態になりかねない。


 ひとつは、素早く行うことだ。

 侍女長はきっと怒るだろう。だから後ろを向いてもらった。

 助かるためなので、……事後承諾してもらうしかない。



 短剣を、ゆっくりと振りかぶる。

 あとはこの短剣を素早く振り下ろし、素早く集中してことに臨むだけだ。



――心臓が、知らず高鳴っていた。

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