【怠惰/2】怠惰の夢 01
怠い。
……玄関を出て2秒で後悔した。
よく考えたら、エンマに拒否の意を示して終わっても良かった気がする……あぁいや、それだとエンマが困るだろうし、後々もっと面倒臭いことになりそうなので面倒臭い。エンマに貸しを作っても面倒臭いし、友情にヒビが入るのも面倒臭い。
だとすると、やっぱり私が行かなければダメなんだろう。
あぁ、お布団でゴロゴロ休みたい。
「働きたくないでござる……」
「ござる、というのが解りかねますが、ダメですレミィ様」
解ってるってば、と反論するのも面倒臭く、揺れる馬車の中で耐えるしかないのが面倒臭い。そもそも馬車が揺れるのが面倒臭い。
私何でこんな面倒臭いところで面倒臭い貴族とか、さらに面倒臭い騎士とかやってるんだろう。何でこんな面倒臭いところにいるんだろう。何でこんなに面倒臭いことになっちゃったんだろう。なんて考えるのも本当は面倒臭い。
そろそろ箸が転げても面倒臭いと思えてきそうな頃合いだ。
などと面倒臭いことの数を数えていたら、いつの間にか私の意識は夢の中へと消えていった。
きっかけは、確か私が5歳くらいの時のことだった。
当時の私は、ここまで面倒臭がりではなかったと思う。
多少の面倒ごとは嫌いではあったものの、少なくとも自分が解決できることを面倒だと思ったりはしない子供だったし、我慢は美徳であり、我儘は真逆の感情を抱かせるものだと教わって生きた。
近所の長尾くんたちと遊んでいるのが、一番古い幼少期の記憶だろうか。
とても大きな、山みたいな家――今思えば【近所】でもないが、当時は近所だと思っていた――に住んでいた長尾くんたちは、私のところにわざわざ訪ねて来ては、飯事のような遊びをしていた。
飯事と言っても、長尾くんとするそれは少し毛色が違うものであったらしいと、もう少し大きくなってから知る。
一般的に言う飯事は、どうやら遊びを通して生活マナーを学ぶというものであったらしく、長尾くんたちとやるもののように怪物が出てきたり、賽を振り合ってそれに勝った負けたなどとやるような遊びではなかったようだ。
長尾くんたちとの飯事は、そのために自分の動かす駒を作り――まぁ駒自体は適当にその場にあるものを使ったのだが――その駒の人物像――つまり性格であるとか、刀の扱いがどれだけ上手かとか――を紙へ認め、賽の目で判定し、それを成功しただの失敗しただの、性格がこうだから枷として成功するための数を減らしたり増やしたりと、今考えてみれば良くできた非現実シミュレーションであったような覚えがある。
私の駒は、私と同じような年代にした。
大人にしても良かったが、何だか私のような子供が小さい刀を振り回す方が、無性に格好良く思えたという理由で。私のたったふたつ上の兄様が、私より5つも上の子に、竹刀剣術で勝ったという話に憧れがあったのかもしれない。女の子だからという理由で、竹刀を触るどころか、道場へすら入れてもらえなかったので、剣術と言えば父様の、合気道とか抜刀術とか呼ばれるものしか見たことがない。
だから、この飯事でようやく、私は何のために父が刀を持っているのかを理解したと言っても過言ではない。
刀は、父様が持っていた脇差と小太刀を思い浮かべ、長尾くんが刀に名前を付けろと言うので、脇差には【うさしなぐに】、小太刀には【むめいもとしげ】と名前を付けた。
長尾くんと遊んでいる間に、小太刀と脇差はほとんど同じものを指し、単に用途が違うだけだというような説明を聞いたが、さすがにその辺りは、微妙な記憶しか残っていないので、正しいかどうかという自信はない。
戦う相手は武士であることがほとんどだったが、時々妖怪や神様などと戦ったりもしていて、……まぁ子供だったので、その結果に一喜一憂したりもしたものだ。
その私は、ふとしたきっかけで、あっさりと命を落とした。
そのきっかけが何だったのか、今では薄ぼんやりとしか思い出せないが、家が焼ける音と、熱い背中と、そして母の叫ぶ声が微妙に記憶にあるので、恐らくは火事だったように思っている。
私はそうして、あの良くわからない場所へと誘われた。
私が子供だったからそうしたのか、何故だったのかはわからないが、ひどく優しそうな雰囲気の、羽根が生えた少年に色々と説明された。説明だけでわからないところは、あの【神様】という存在の力で、頭に理解を植え付けられて話を進められたのだが、今思えばそうしてもらえなかったら、私が今どのような結末を迎えていたのか、身震いで死んでしまうかもしれない。
死んだのは偶然で、そして手違いであったと説明された。
そもそも死んだとは何だろうか、という問いには、「死」の概念を理解させられた。手違いなのだと言われても、私にそれを覆す術などないし、だからと言って「死んでしまった」自分を元に戻してと言っても詮無いことだろうと考え、それを受け入れることにした。
本来は輪廻の輪に戻すのが常だが、それがお前には当て嵌められないと説明された。
何故かと問う気にもならなかったし、「りんねのわ」というものが何かもわからなかったし、そういうものなのかと思っただけだ。日頃から何かに関心を持たなすぎだと母から言われてはいたが、だからと言って自分を変えるつもりはなかったし、そもそも今変えたところで死んだ後だったし。
輪廻の外側の世界で、お前が作った魂で生きよと言われた。
外側の世界とは何かと聞いたが、行けばわかると言われ、理解ももらえなかった。私が作った魂という言葉は、心当たりがひとつだけあったが、それで合っているのかと問う気にはならなかった。
かわりに、聞いた。
羽根の少年は、答えた。
「私は何処へ行くの?」
「別の世界へ」
「日本ではないの?」
「日本ではない。ラーセリアというんだ」
「何をしに行くの?」
「生きるために行くんだ」
「……母様は?」
「残念ながら、もう会うことはできない」
「母様は、何処へ行ったの?」
「何処へも行っていない。君の母様は生きている」
「そう。良かった」
「……良い子だね」
「私の言葉を、母様に伝えることはできないの?」
「本当はダメだけど特別に、一言だけなら伝えてあげてもいい」
「本当?やった!何にしようかな」
「好きなように決めなさい」
「じゃあ、じゃあ、母様に、伝えて下さい」
「何を伝えればいいんだい」
今となって考えれば、この時私はすでに、ラーセリアへと転送されかけていたのだろう。少なくともそれを察し、早く言葉を選ばなければと、焦った記憶がある。
母様に自分のことを全て伝える魔法の言葉。そんなものが一瞬で思い浮かぶはずもない。じゃあいっそ、ひとつのことだけでも伝えられればと思考を巡らせ巡らせ、現世ならば本当に知恵熱でも出てしまうのではないかと思うほどに巡らせて、ようやく、私はひとつの言葉を思い付いた。
思えばあの羽根の小年は、私を待ってくれていたのではないだろうか。子供の私が母親に伝えるたった一言を考えるための時間を。その一言を聞くためだけの時間を。
「【幸せでした、愛しています】と」
羽根の少年の顔が、にこやかな笑顔を描く。
「確かに伝えよう。君の心からの言葉として」
母様に伝えるべき言葉はそれで充分のはずだ。
もう母様には会えないけれど、私はいつだって、産んでくれた母様のことを愛しているのだから。