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【蜘蛛/2】別れ

 種族が違えば寿命も違う。

 種族が違えば考え方も違う。

 種族が違えば琴線も違う。

 種族が違えば何もかもが違う。



……そう、思っていた。



 土蜘蛛は、眠らない。

 正確には眠っても、意識は常にある。

 夜になれば静かになってしまう、人間を始めとした様々な種族とは違い、月芽には考える時間が単純にそれだけ多かった。

 人間の言う眠ると言うのが、どんなものなのか、月芽にはわからない。

 外に幾重にも張り巡らせた【糸】に何かが触れればそこに注意を巡らせて、緊張に似たものを常に張り巡らせ、平行した思考で夜を想う。

 眠るという意味がわからなかった。

 それでも一緒に暮らすことはできたし、共に笑い合うこともできたし、泣くことも怒ることも、レイと月芽はほとんど何も変わらないのだ、と思っていた。

 例えばいつか別れが来るのならば、せめて笑顔で別れようと、思ったのだ。

 だがレイがこの生活を望む限りは、この生活はいつまでも続くのだと思っていた。



 その時は唐突に、最低な形でやって来た。



 土台からして無理であったのだ。「今更」と呼べるようになってから、月芽は思う。

 生体すら違う土蜘蛛と人間。それも、レイの言葉が確かだとするなら、住んでいた世界すら違うというのだ。

 確かに人間たちの食べ物は、昔、あの勇士の仲間をやっていた時に覚えた。完璧ではなかったにしても、少なくとも人間の害になる食事を作ったことはないし、むしろ健康に気を遣っていたのだと胸を張って言える。

 もちろんそれはレイにもわかっていた。月芽は偏食を許さず、ちゃんと山菜をはじめとした野菜と肉をバランス良く食べさせてくれた。量だけで言えば、好きなものならむしろ月芽よりレイの方が量を食べることも多々あったほどだ。だからその食事が人間にとって毒の類であることなどない。


 それは、……ただの悲運であったのだ。


 山に生える山菜はいくらでもあるし、月芽に教わり、いくつかの動物を捕まえることはできる。特に猪突猛進で名高い猪は、上手くやれば罠にかけるのは簡単な――とは言っても、これは月芽と、月芽に教わったレイに限った話だが――動物の筆頭だ。


 材料さえ揃えば、基本的には簡単なことだ。


 やり方は、月芽が作っているのを何度も見ていた。

 調味料の入れ方。味見をしながら少しづつ入れることで入れすぎを防ぐことができる。これさえできれば、味付けを失敗することはあまりない。

 調理の方は、簡単なものでしかないが、昔母親に教わった。基本的にはお湯に材料を入れてことことと煮込む料理が得意だ。具材の下拵えさえちゃんとやれば、肉は煮込めば大抵のものが食える。野菜は生でも食べられるものしか採っていない。



 レイは知らなかった。

 中途半端な知識というものが、一番怖いものであるということを。


 月芽は知らなかった。

 食欲旺盛な子供が、どれだけのものを食べるのかということを。

 月芽が出かけている数日の間に、想定していた量……家にあるだけの食べ物だけでは、足りなくなってもおかしくはないのだということを。



 月芽が帰ると、レイは床に倒れていた。

 慌てて駆け寄り様子を確かめたが、外傷はなく、病気の類だと推測し、自分ではレイを救えないと判断して、人間の医者に診せた。


「……食中毒だね」

「――は?」


 人間が食中毒になるような食べ物など、残してはいなかったはずだ。

 食べ物が悪くなるほど長く家を空けたわけでもないし、そもそも食中毒なら、こんな眠っているような症状にはならないはずだ。


「前に同じ症状の子を見たことがあるよ」


 医者が、丁寧に説明してくれたところによれば、これはとある毒菜特有の毒性なのだという。その症状とともに告げられた毒菜の名は、月芽だって知っている。教わっていないのでさすがに症状は知らなかったが、毒菜であることは知っている。月芽が知っているということは、レイだって知っているはずだし、教えたはずだ。

 家にその毒菜は置いていなかったという月芽の反論は、ならば採りに行ったのだろうという医者の反論で返された。毒菜であることは教えていた、というさらなる反論には、忘れていたか、間違えてしまったのだろうと返された。家に食材は充分置いてあったと食い下がったが、想定外で腐ってしまったか、もしくは足りなかったのだろう、という反論で封じられた。


「……残念だけど、人間というのはね、全部を決めておける生き物ではないんだ」


 目から鱗が本当に落ちたわけでもなかったが、思わず勢い付けて顔を上げてしまう程度には、衝撃だった。

 月芽は、一度覚えたことを忘れたという経験が少ない。

 全くないというわけでもないのだが、少なくとも、命に関わるような事柄は、絶対に忘れないようにする自信はある。……何より命の重さは、師匠と呼んだあの男に叩き込まれ、何よりも大事に思っているからだ。


「そうか、……そうか、レイは」


 だが、人間はそうではないのだ。

 間違えるのが人間だと、あの勇士にも言われたではないか。あの剣士にも言われたではないか。


 種族が違えば何もかもが違う。

 知っていた。知っていたはずだったのに。



 レイがどうするか決めるまではここに、という約束は、月芽の手で一方的に破られた。


 自ら王都騎士団へ赴き、妖怪の一種族である土蜘蛛だと告げ、迷い込んだ人間の子を保護したので連れに来いと告げると、騎士団は一も二もなくやってきて、月芽に槍を向けながら、レイを慎重に抱き上げた。

 その様子を見て、月芽は少しだけ安堵する。

 肩の荷が下りたからではない。抱き上げ方がとても優しく、これならばレイを任せてしまってもいいだろうと思ったのだ。


 だが、それでもレイはそうではなかったようだ。


 目を覚ましてしまったレイは、抱き上げた騎士に対して、言葉にならない呻きを上げ暴れるその姿は、どう見ても騎士を拒絶し、月芽を求めていた。

 目を覚まさないまま去ってくれれば一番いいか、とは思っていたが、目を覚ましてしまっても、月芽はそれで騎士に中止を命じたりはしなかった。

 騎士は困惑し、狼狽し、心からレイを気遣う言葉をかけるが、その言葉すらもどうやら届いてはいないようだ。……否、届いていたとしても、レイはそれを拒否していたのかもしれないが、少なくとも、月芽はそれに応えるつもりはない。

 泣き喚くレイを、自ら招き入れた騎士に引き渡す。これが最善、もしくは次善の、レイのための行為のはずなのだ。


「ごめん、……ごめん、レイ」


 言葉にならない喚きを聞きながら、月芽はそんな謝罪の言葉でレイを送り出す。

 毒菜で未だ朦朧としているはずの意識を、自ら必死に叩き起こしながら伸ばされるレイの手を、月芽は押しやることすらしなかった。

 今は毒菜で思うように体を動かせない方が、暴れるレイを連れて行ってもらうのに、都合がいいとすら思っている。


 月芽は土蜘蛛で、レイは人間。


 だからと言って何もできないわけでもないが、何もかもを不自由なくさせてやるには、やはり人間のもとで暮らすのがいいに決まっているのだ。


――あぁ、そういえばいつか、あの白い兎は言っていたっけ。


 相手を思いやるのならば、別れにすべきは慟哭ではないと。

 ただ、相手に笑みを送り、安寧を願うだけでいいのだと。

 そもそも月芽は、レイのように慟哭すること自体、やり方を知らないのだが。


 呂律の回らない、言葉になっていない慟哭を撒き散らすレイに対して、……この顔は今、ちゃんと笑みを見せることが出来ているだろうか。

 万一これが永久の別れになったとして、最後にレイが思い出す自分の顔が、ちゃんと笑えていればいいなと、そんなことを思いながら、


「またね、レイ」


 喚き散らすレイに、そんな言葉を贈ろう。

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