【色欲/4】罠と目的
「ゲゲゲゲ、終わり、終わり、終わりだ、ゲゲゲヒャ!」
高らかに奇妙な声で笑う男を前に、何故こんなことになったのだろうとレーンは考える。 塔に入る前、冒険者カードを受け取った時、確かに受付に注意として聞いていたことではあった。この町――特に塔には様々な考えを持った者がおり、自らの欲望に忠実になる者……場合によっては塔に登る挑戦者を害する存在もいるのだと。
「……何故、何が目的で、こんな」
「目的。目的、目的?目的ねぇ」
思わず考えが声に出てしまったようだ。それを聞きつけた男が、考えるかのように頭上を仰ぐ。
アレが考えるフリだということは、展開されている魔力が、微々たるほどにも揺らいでいないことから丸わかりだが、それで少しでも時間稼ぎになっていればいいと思う。いや、もちろんそんなはずはないのだが。
「目的、目的、目的……はて、何だったかな」
ずるりと。男の目が眼窩から零れ落ちそうになるのを、男は「おっと」などと戯けた声を出しながら抑え、元に戻すのを見て、レーンは顔を顰めた。
まさか、本気で考えているのか。まさか、本気で目的を忘れているのか。
そんなはずはないと思いたい。男の顔は今にも腐って落ちそうで、それでも人の顔を保っているからそう思ってしまうのか、それとも、レーンの考えは誤っていて、展開される魔力が揺らがないのは、男の思考には関係ないのか、もしくは男の魔術の練度がそれほどまでに熟達したものであるのか。
そうしている間にも、釜からは瘴気が流れ続ける。
ジュゼは、……残念ながらも助けられなかった。
ああ、昨夜自分が大罪騎士であることを打ち明けていなければもう少し油断なく撤退してくれただろうか、もしくは自分にもっともっともっと、大罪騎士として相応しい実力があれば救うことが出来ただろうか。
「目的、目的。……おや、私は何故目的など考えているのだったかな」
ぐるん、と眼窩の中で男の目玉が踊る。
何度目かの、背筋を凍らせるような寒気。レーンはそれを無理矢理抑え込む。
三日月のような口で笑いながら、男はレーンに何度目かの同じ質問を口にした。
「ところで、君は、誰だい?」
ルエラの――あれはきっと偽物だったということなのだろうが、面倒なのでルエラと内心で呼ぶことにして――魔力を浴び、気付けばレーンはひとり、塔の中だろう、ダンジョンの中にいた。
ユーリもジュゼも、あの女性も、ルエラでさえもそこにはいない。
分断されたのか、それともレーンひとりがここに送られたのか。それすらもわからない。
「……ここは、」
どこだ、と口にしようとして、意味のないことだと気付く。
ダンジョンであるのならば、とりあえず、ギルドカードに付与された表記で現在の階層がわかるだろう、とカードに魔力を流す。
【現在階層:3021】
「ッ!?」
思わず上げそうになった声を、すんでのところで飲み下す。
3021、などという現実味のない階層数は初めて見た。
一度表記を消してから、パーソナルデータに自分の名前が間違いなく表示されるのを確認し、もう一度階層数を確認するが、数字は変わらず3021だ。
何が、起きた。
まさか適当にここに飛ばされたわけでもないだろう、と思いたい。
レーンが大罪騎士であることを知っている――公言はしていないが、ある程度そうであると推測しているかもしれない――者は多いだろうが、町の関係者がレーンを狙ったというのは、少しだけ考え辛い。
この1ヶ月間、ギルド関係者からは「期待のルーキー」として、優良な関係を築いていたつもりだったし、その他冒険者たちも、それなりに友好関係を持つ連中も多くなった。
信用している情報屋は、レーンの身が危ない時には知らせてくれると言っていたので、知らせるのが間に合わなかったということでない限り、少なくともレーンに危機が迫っていたとは考えにくい。
ならば、この状況はどこから降って湧いたのか。
ルエラの前に立ち塞がってくれた、あの女性は一体何者であったのか。
本物のルエラの知り合いであることは確かなようだ。ルエラを知っているのであれば、かの勇士や、もうひとりの仲間と称される剣士とも知り合いなのだろうか。
ルエラを偽物とひと目で見抜いた彼女であれば、何か知っているだろうか。
――いや、知るはずもないか。
知っていたのであれば、ルエラに会う前に止めることもできたはずだし、先んじてルエラに会い、目的を頓挫させることもできたはずだ。
だとしたら、……とレーンはあの女性については信用に足ると判断する。
むしろこの状況で出来ることと言えば。
「……そういえば、帰還石があるじゃないか」
何は無くとも常備しておけ、とユーリに口酸っぱく注意されていたことを思い出し、レーンはその丸く磨かれた球体を、道具袋から取り出した。
「――我、青白き竜の背より来し者」
一瞬、詠唱を短縮するかと迷ったものの、レーンは念のために丁寧に詠唱することを選択しつつ、その球体を放り投げた。
「光よ集え。力を注げ」
単純に、何が起きるかわからないのと、ここで何か起きれば純粋に身が危ないという理由だ。まかり間違えて、ひとつしかない帰還石を無駄にしてしまったら目も当てられない。
「昏き場所より明き場所へ」
球体は、一度固い音を立てて地面にバウンドしてから、魔力を受け取って浮力を得て、腰ほどの高さを漂う。
「帰還。我をかの地へ」
いつものように帰還石は光を放ち、いつものようにレーンはその中へと誘われる。
そう。いつものように。
「もうッ、馬鹿!」
いつもの緑色の魔法壁を目にした瞬間、その言葉と共に、視界が揺れた。
切り揃えられた黒い髪が見える。……さっきの女性か。
背を強かに地面に打ち付けてから、レーンは何が起きたのかをようやく理解した。
――考えてみれば、迂闊にもほどがある。
ユーリは気付いて戻らなかったのか、それとも戻れなかったのか。
立ち上がろうとして、自分の後ろに倒れ伏すジュゼに気付く。
ジュゼの方が一足早く戻って来たのだろうか。そして同じようにこの女性に突き飛ばされたか、……それとも。
「逃げて!逃げなさい!」
こちらを一瞥たりともせず、女性は叩き付けるように叫ぶ。
それと同時、剣戟の音が鋭く響き、女性の足が僅かに地を擦った。
――馬鹿と言われるのも当たり前だ。
帰還石を使えば、戻って来る先はここ――塔の1階である、ロビー――しかない。
織り込み済みに決まっているのだ。織り込み済みであるのならば、ここで待ち伏せし、各個撃破、もしくは捕縛して、再び同じところか、もしくは本当の目的地へと誘導することも、当たり前のことだ。
ユーリが戻って来ていないのは、帰還石を使わず留まっているか、使う前に誘導されたか、……もしくはレーンが戻って来る前に戻って来て、誘導されたか、というところだろう。
そんな風に思考するのは、僅かな時間で十分に出来た。
ここであの女性に任せて逃げるのは無様で、大罪騎士として不名誉であるかもしれないが、そこで頭をチラ付くのは、3021の数字だ。
その数字が、相手の実力なのだとしたら、レーンの突破した200の数字など、風でも吹けば飛ぶかもしれない紙でしかない、という思考も、僅かな時間で十分に出来た。
だからこそ、起き上がり、即座にジュゼの方を確かめて、
「レーン、聞こえなかったのか?逃げろという彼女の言葉が」
その聞き覚えのある声に驚愕し、安堵し、顔を向けて、
――そうして、レーンは、その見覚えのある顔を見ながら、意識を失った。




