【色欲/2】酒の上の思い付き
「下層突破、おめでとうございます」
「ユーリのお陰でもあるんだよ。祝うなら一緒にだね」
照れたように「はい」とグラスを控えめに合わせたユーリは、そのままグラスをほんの少しだけ傾け、舌を湿らせる程度のワインを口に含んだ。
「オイオイ、俺も忘れてもらっちゃ困るんだぜ」
「もちろんだよジュゼ。君がいなかったら、あのシャドウは倒せなかっただろう」
グラスが割れてしまいそうな勢いでグラスを合わせ、豪快にジョッキを呷った黒髪のドワーフ――ジュゼッペ=ダレッシオという名前だ――は、叩き付けるという表現が相応しいほど力を入れてグラスをテーブルに置いてから、「うめぇ」、と心底幸福そうな顔をして、次のジョッキを大声で注文した。
レーンはそれを見て苦笑しながら、自分も少しだけワインで喉を湿らせる。
「それにしても、たった2週間で下層を突破するなんて」
「これでも、一国の騎士の見本となるべき身だからね」
ユーリの言葉に、喜ぶユーリやジュゼには本当に申し訳ないと思いつつ、それでもレーンは苦笑するしかない。
さっきジュゼが言った通り、レーンとユーリだけでは100層の突破はなかったかもしれない。力任せではあるものの、ジュゼの一撃は確かにあのシャドウというモンスターに深手を与えたのだ。
「……エンマは140階だったかな――」
思わず口にしたのは、酔いが回ったせいではない。取り留めもない思考を少しでも整理するためだ。別に聞かれても構わないことでもある。
「――特に目標を言い渡されたわけでもないんでしょう?」
ユーリに問われ、少し思考を巡らせてから、レーンは肩を竦めるように上げて見せる。
「このくらいでなきゃ、騎士長に顔向け出来ないよ」
確かに、アリアから受けた命令は、「塔に登れ」というだけの命令だったのは確かだ。
具体的に何階までと指定はされていないのだが、少なくとも、過去塔に登ったことのあるという、同僚の豹顔の亜族と同じくらいの階層は登っておきたいという対抗心はある。
塔に登る期間がいつまで、とは指定されていないが、もうすでに半月も経過しているところを考えるに、いつ呼び戻されてもおかしくはない。エンマが塔に登ったのは、大罪騎士に任命される前だったはずなので、少なくとも4年は昔の話のはずだ。
「エンマってのは、豹亜族のか?」
「……知ってるのかい?」
「有名人だぜ、【黄金の毛並】!俺の憧れでもある。お前こそ知ってるのか」
ジュゼには、レーンが大罪騎士であることは話していない。騎士とだけ説明している。
ドワーフは口が軽そうだと思った――というのはただの偏見だが、ジュゼに対しては間違いというわけでもないだろう――のと、何より自分の正体を知る輩は少ない方がいいだろうと思ったせいだ。
酔って口が軽いジュゼの話によれば、亜族の身体能力と嗅覚を活かし、かの勇士にも一目置かれる存在だったらしいのだが、しかし唐突に、誰にも告げずに姿を消したらしい。
一説では実しやかに死亡説まで流れていたようだが、大罪騎士となって名を馳せ、勇名がルディーリアまで流れて来たので、ようやく真相が明らかになったようだ。
「あの女傑が、そう易々と死ぬとは思ってなかったぜ、俺はよ」
ジュゼは嬉しそうにそう言ってから、新たに運ばれてきたジョッキをさらに呷ると、大袈裟に「ぷはぁ」と声を上げ、美味そうに口髭を手で拭った。
ユーリが酔って帰ってしまった後も、ジュゼが酒場で寝てしまうまで付き合ってから、レーンはひとり塔の前でそれを見上げた。
「ただ、登れと言われたけど」
レーンは、それに何の意味も求めずに、ただ塔を登った。恐らく、大罪騎士の中では最も若い――年齢の話ではなく、騎士になってからの年数だ――ことを危惧され、実力を付けろという命令だと思っていたのだが、確かにユーリの言う通り、目標を言い渡されていない、というところに思い至ったからだ。
実力を付けるというだけならば、【スロウス・ナイト】にでも助力を乞えば、あの面倒臭がりは、面倒臭がりながらも、一番面倒のない方法で、レーンの頼みを聞いてくれるか、もしくは助言でもくれるだろうし、そもそも命令は「実力を付けて来い」ではないのだ。
レーンにしてみれば、じゃあどういうことなんだ、と内心で頭を抱えるしかない。
アリアやクワイにジュゼに、それにレミィが何も考えていなさそうな素振りで接してくるのでうっかり忘れそうになるが、彼らは1を言われたら自ら50ほどを悟るような化物なのだ。塔を登れ、という命令がそのまま塔を登るだけのはずがない……とは断言できないが、それ以外の目的があっても何ら不思議でもない。
「……せめて、細かく指示してくれたらいいのに」
レーンの呟きに応える者などいない。
それでも、考えを巡らせるため、迂闊にも酔ってしまったままの頭を回転させることに尽力することにする。
まず、この町。
独立宣言と言う名の「宣戦布告」をし、調和対談と言う名の「戦争」をし、その上でこの町は独立するだろうということまでは把握している。
ただし、対談後にルディーリアの面々が襲撃を受け、レミィと会話をした全員が死亡。
その後、クワイがこの町へ赴き、恐らく誤解は解けたのであろうと、レーンは理解した。
レーンがこの命令の目的として推測できるものは、3つある。
1つは、現職の大罪騎士が塔に登ったという、アピールだ。
現状、ルディーリアと王都との関係は微妙なところだが、大罪騎士というある程度名の知れた存在が塔を登ることで、王都側はこの「独立」を認めているというアピールとなる。実際認めているのだが、あんな事件があったばかりで説得力を欠いてしまったのは事実だ。
2つ目は、実績作り。
レーンが塔を少しでも高く登ることで、大罪騎士はルディーリアの冒険者に劣らない実力を持っているという確かな実績となるだろう。そして、実力を持っていながらもルディーリアにその実力を向けることはない、という実績にも。
3つ目は、ルディーリアとの交流作りだ。
1つ目のアピールと目的は被るが、大罪騎士としてというわけでなく、レーン個人としての交流のことだ。出来ればかの勇士と交流できれば一番いいのだが。
レーンが今日突破した100層までが【下層】と呼ばれ始めたのは、かの勇士が突破してからであるらしい。その後勇士が一気に登ったため200階までを【中層】、それ以上を【上層】などと呼ぶようになったようだ。現在の最前線は1020階――かの勇士が階層突破の石碑を立てておらず独自の方法で転移しているようで、現状の最上層が何階かわからないらしいが――で、唯一の到達者はかの勇士一行だけなのだという。
かの勇士以外で言えば、現状第二位が320層付近で、今建てられつつある石碑もその辺りということらしいので、かの勇士がどれほど優秀であるのかという話だ。
まぁどの道、塔を登ることでしか達せそうにないものばかりなのは確かだ。
「……なるほど、塔を登れ、か」
何となくではあるのだが、アリアがレーンに何も告げずに「塔を登れ」と命令を出したのが理解できるような気がした。
あぁそうか。アリアの知略を、レーンが知っていてはいけないのだ。
そんな思惑にまみれた気持ちで接していてはいつかボロを出す違いないだろうし、それならばむしろ、あまり肩肘を張らずに自然にこの町と付き合うべきなのだ。
ならば、今夜の思い付きは、全て忘れることにしよう。
余計なことを考えてしまったのは、多分全て酒のせいなのだから。




