【色欲/1】天よりの鎖
大きな壁の亀裂を探し当て、「これか」と呟く男がいた。
場所は塔――天よりの鎖と冠されたダンジョン。
その実質最初となる階層を2階と数え、情報屋を探し当てるまで――探し当てた時に到達していたのは10階だったか――はいちいち面倒な階層だった。
情報通り油を注したカンテラを翳すと、壁の中で魔方陣が魔力を放つのが見えた。少なからず金を払っただけのことはあるというものだ。確か2階でも同じようなギミックがあったのを覚えている。
先輩方の、後輩へ対する洗礼というものを多分に含むものであるらしく、下層と呼ばれる階層には、いくつもそのようなフロアがある。そのせいで、ここまでイヤというほどくだらないギミックに付き合わされた。
「……まったく。まぁ魔力辿ったらすぐわかるしいいんだけどさ」
思わず連れがいるように呟いてしまってから横を向き、そういえば連れは今回置いて来たのだった、とようやく思い出し、男は何度目かの苦笑をした。
そもそも魔力を辿れない人材だっているだろうに、単なる嫌がらせ以外の何でもない。現に例の勇士の仲間のひとりは、魔力を探知する能力が一切なく、かの勇士と出会うまではソロで挑戦していたそうだ。そのため2階すら突破できずに足踏みを余儀なくされていたらしい。
まぁ嫌がらせフロア……もとい洗礼フロアは、基本的にはプライベートフロア――魔術的要素で別の冒険者と出会わないようになっているフロア――で構成されているらしく、パーティを組んでいない限り出会うことは……何度かの例外はあったそうだが、まぁ、滅多にないらしい。
「嫌がらせにこんなに手間をかけるとは、阿呆以外の何だろうね」
はぁ、と男は呆れたように頭を振りながら溜息を吐く。
推測ではあるが、この嫌がらせを実行するのにはかなり面倒な手順が必要だ。同じ階層に誰もいないタイミングを見計らい、そして仕掛けを施したのだ。おそらく、施工が成功するまで何回も。
……阿呆としか言いようがない。
ならば逆に仕掛けを解除するのも同じ手順で行けるのではないかと思わなくもないが、わざわざそのタイミングを見計らったり仕掛けを施したりするのは面倒だし、他の冒険者たちもそう思うからこそ解除されていないのだろうと思う。少なくとも、男がそれをやってやろうとは微塵も思わない。
ともあれ一週間、現在20階。割とあっさりとしたものだったが、まぁ元々40階程度までは1ヶ月足らずで踏破してしまうものらしいので、大罪騎士である男にかかればこんなものだろう。命令は「塔に登れ」、ということなので、まぁ怠けていると思われない程度に頑張ることにしよう、と男は思っている。
下層と呼ばれるのは100階までらしいので、そこを過ぎればギミックもないだろう。
幸いかどうかはわからないが、すでに情報屋から100階までにある、全てのギミックの情報を買い取っているので、ここから先はひどく簡単であると言えるだろう。
そんなことを言っている間に、次の階層への石碑を発見した。
ここまでと同じように、踏破記録を取るため、石碑に冒険者カードを翳そうとして思い出す。ここは20階。このままカードを翳すと、入り口へ唐突に戻されるトラップが石碑に施されていたはずだと、ついさっき聞いたばかりだ。あれほど注意されていたのに、迂闊にも触れてしまうところだった。
――まぁ、知っていても忘れるような認識阻害のギミックもかけられているということらしいが。
1階――通称ロビー――へ戻ると、すでに見慣れてしまったロビーの石碑を目にし、思わず溜息を吐いた。安堵の溜息と言うわけではなく、単純に疲労によるものだ。
「大丈夫ですか、レーン様」
「……大丈夫。あの認識阻害は変な気分だったけど」
男――【ラスト・ナイト】レーン・ウォルターズ――は、声をかけてきた、やけに小柄な少女の頭に手を置いて通り過ぎる。わざわざ出迎えに来てくれるとは、酔狂な働き者だ。あの怠惰の騎士に、爪の垢でも煎じて飲ませたらいいだろうか、と考えてから、いやあの少女はそれでも怠けるだろうと苦笑する。
少女は、この町にやって来た初日に、レーンが契約した奴隷だ。名前はユーリ・ホエルツリー。母親似だが少しツリ目で、幼い頃にその母親にもらったというバンダナを薄紫の髪に巻いている。まぁ、レーンはその母親を知っているからこそ契約奴隷として雇ったのだが、契約奴隷ではなく、冒険者として雇っても良かったし、何なら買い取って開放しても良かったのに、と内心思っている。
「それにしても、本当に良かったの?」
「……ええ。こっちこそ本当に良かったのですか」
聞いたこととは違う角度からユーリの確認が入り、レーンは苦笑せざるを得ない。
レーンは、パーティリーダーとしてこの町の冒険者ギルドに登録している。
ルディーリアでは、他の町と少しパーティのシステムが異なり、少々特殊だ。
他の町でもパーティを組むことはできるが、ルディーリアでは塔に登るために、独自のパーティを本来のパーティとは別に登録し、組むことができる。
そのためには、金を払ってパーティリーダーとして登録するか、どこかのパーティに所属する必要がある。パーティリーダーはさらに金を払ってパーティの人数を4人まで増やすことができる。
一応レーンもそのパーティリーダーとしての登録を行い、人数は2人どまりではあるが1枠増やしてあるので、本来であればユーリもパーティメンバーとして塔に登ることができるのだ。
今回はレーンひとりで余裕だろうと考え、ひとりで登ったのだが、置いて行かれたユーリにしてみれば、役に立とうと思っていたところへの肩透かしを食らった気分だった。ユーリが言うところの「良かったのですか」とは、そういうことだ。
まぁ、一緒に塔に登ることが必ずしも役に立つというわけでもない。
今回はレーンの邪魔だと判断されたのだろうと、ユーリは少し落胆しつつも理解しており、ならば楽をしているわけには行くまいと、町での情報収集を進んでやり、それを通信機を介してレーンに伝える役割をこなしていたのだ。
実のところ、レーンの考えはまさにそれをやって欲しかったのだから、ユーリは今回も非常に役に立ってくれたと言えるだろう。
「今回の階は、一緒にいると認識阻害で頭が回らなさそうだったからね」
「あぁ、そういうことですか」
「お陰で何度かユーリに話しかけてしまったよ」
「改めて通信機に話しかけて下されば良かったですのに」
ユーリは、母親に似て非常に察しが良く、気が利き、また文武ともに優秀だ。
あの日【アヴァリス・ナイト】アリアから、【ラース・ナイト】ダーシェを介して、塔を登れなどと言われた時には、一体何の意味があるのか、もしかしてそれはギャグで言っているのか、やれやれと面倒に思ったものであるが、たまたまこの町へやってきたその日にユーリの母親と再会し、そしてユーリを雇うことができたことは、運が良かったのだろうとレーンは考えている。
「今日はどうしますか」
「そうだね、それほどお腹は減ってないから、甘いものでも食べたいかな」
「では、3番街のアマミツ屋にでも行きますか」
そして母親に似て、美味しい食事処を色々と知っており、レーンの求めに応じて様々な店へ連れて行ってくれる。
ユーリの口にした店は、店の名前からして甘い蜜でも吸っていそうだが、まぁそんなこともないだろう、と苦笑とともに思い直した。




