【傲慢/3】次善の策
その男は、自らを「受付」と名乗った。白髪の混じった茶色の髪にヒゲ、腹は出ているが顔の造りは良く、若い時分にはきっとモテたであろう愛嬌のある顔をしている。いや、今でもその手の御仁が好きな女性ならばさぞかしモテるのであろう。本名を名乗るつもりはないらしく、仕方なくクワイはその男を受付と呼ぶことにする。
クワイとホアンを案内しながら、若い時は冒険者だったと語る受付の体は、脂肪だけでなくきっと不断な筋肉も持ち合わせている。あの腹に油断してこの男を侮れば、たとえクワイとて痛い目を見るだろうと思う程度には、きっと実力を持っている。
「かの勇士は話し合いに出席を?」
「……あー、アイツは無理だな。表には出ないだろ」
苦笑する受付に聞けば、かの勇士はもう冒険者を引退したらしい。
引退したと言いつつも未だ塔には登っているようで、周囲は引退したとは思っていない。毎日ではなかろうが、暇さえあれば塔に登り、町に資源を持ち込むのだという。
それに付き従うのは僅か3名。
たったそれだけの手勢で彼らはこの町を守っているのだ。
全ての話し合いを終えて、クワイとホアンは一礼しつつ部屋を後にする。
「なんだか、あっという間に終わりましたね」
ルディーリアとの話し合いは、あっという間に膠着した。
膠着の理由はと言えば、ただ単に争点が見当たらなかったという話だ。
「まぁ、当たり前だな」
片や独立したいというルディーリア側。片やそれを認めるという王都側。
――論点はあっても争点はない。
では論点は何か。それも僅かな話題でしかなく、僅か数分話しただけでお互い合意に達してしまったというのが結論であった。
そうして僅かな、全ての話し合いを終えて、クワイとホアンは一礼しつつ部屋を後にする。
唯一驚かれたのは、ホアンがルディーリアを離れてアリアの屋敷で働くという一点だけで、そのほかについてはルディーリア側の予想通りであった。
そもそもルディーリアが独立する場合、王都としての唯一のデメリットは、ルディーリア側からの【納税】【人材貸与】という名の支援がなくなることだ。
それはアリアも王家側も確認して来いとの指令だったので、クワイからの質問はほとんどその点だけだった。
そしてそれ自体は、減りはするもののいきなりゼロになるわけではなく、今後も徐々に徐々に減らして行くが、少なくとも王都側が心配するようなことはないとの回答だった。
ホアンをはじめとして、王都側に移住を考える者もいないわけではないし、本当に困る場合には王都側にも相談するだろうとのことだ。
「……まぁ、俺程度ならルディーリアには掃いて捨てるほどにいますよ」
ホアンは自嘲気味に言うが、実際にホアンほどの人間はいないように思う。
ひとつひとつはホアンを超える――見た目で推し量れるレベルで――者はいるようだが、総合的に見ればホアンのほうが上のようにも見える。
筋力で勝れば魔力で、魔力で勝れば機転力で、機転力で勝ればそもそもの筋力でと、ホアンが結局勝って見えるのだ。……そういう、勝つか負けるかの目で見てしまうクワイの悪い癖ではあるのだが、そこまで間違っているわけではないと自負している。
人を見る目は鍛えて来たつもりだ。
確かにホアンより勝るように見える者も見たが、指を折って数えられる程度の数でしかない。
例えば、塔の前にいた白い獣の耳を持つ少女。恰好を見るに聖職者であったようだが、その腰に佩いた短術刀の握りが、手の形に変形していた。よほど使い込んだものなのであろうが、数か月程度でそこまで変形はすまい。
例えば、強烈な魔力を有する男がいた。どう考えても常人とは思えないほどの魔力、……必要に駆られてか、不必要に垂れ流しているだけなのかわからないが、人の姿でそれだけの魔力を垂れ流している相手が、弱者であるはずはないだろう。
他にも強者に見える者はいたが、少なくともあの2人は別格だ。
まぁ名前も知らない冒険者のことなどどうでもいい。
ホアンはあの二人ほどではないが、それでも一流と呼ぶに相応しい。ホアンを圧倒し得る連中は、それを超えるというだけの話だ。
溜息を吐きながら、クワイは壁をもう一度抜けた。
ここを敵陣とは思っていないが、これでようやく1つを除くすべての任務が終わった。このままアリアの元まで辿り着いて報告する、それですべての任務は完了だ。
ホアンが「疲れましたか」と苦笑するので、思わずそれに苦笑で返す。
「いいや、緊張していただけだ」
「なるほど、そうでしたか」
ルディーリアに赴くことで何かがあるとは思ってはいない。
何故なら、恐らくは、クワイに危険が及ぶことはないだろうからだ。
それでも、その考えが絶対というわけではない。
その考えの根底にあるのは、レミィが何も知らなかったこと。そしてレミィに関わった――正確には、レミィと対談した――全ての人間が死亡したことにある。
ならば、同じことが起きると仮定するならば。
ルディーリアに何かが起きるのは、これからということだからだ。
アリアには、クワイ以外の誰かがそれを防ぐと聞いている。
誰がそれを行うのかは、教えてもらっていない。ただもし知り合いの姿を見たら、それを余さず報告しろと言われているだけだ。そして、誰と対談したのか、でき得る限り正確に全員覚え、報告しろと言われただけだ。名前を聞けるのであれば名前も、背格好も。覚えられない分は人数だけでも構わないと。
色々と理由は思い付くが、それはアリアの領分であってクワイの領分ではない。
考える必要はない。考察する意味もない。
――まぁそれでも考えてしまいそうにはなるが、アリアがそこまで言うのであれば、使命として遂行するだけの話だ。
そして、クワイの使命はホアンが連れている女性にも及ぶ。
「それにしても、良かったのですかこんな破格な値段で」
「損をするわけでもないのに、お人良しだな」
「うっさいホアン!」
彼女を極力無傷でアリアの前に。任務ではないがアリアとホアンに頼まれた雑務――とは間違っても口にはしないが――だ。
ホアンの恋人である彼女――名前はローズ・クワイトライン――は、アリアから渡された金貨1枚と書類で冒険者として同行を頼んだ。金貨はこの件に対するクワイへの報酬として渡されたものだが、まぁ別に構わないだろうとクワイは思っている。この短い旅で知ったホアンの人柄には、少なくとも情を感じる程度に親しみを覚えたし、その彼女を守ってやるくらいはしてやろうというものだ。
王都への、往路のみの警護……というのが建前の理由で、実は彼女自身が警護の対象であるとは教えていない。
もちろんホアンの案でもあるが、実力のある冒険者である彼女のプライドを守り、かつ安全に、彼女に本当の理由を悟らせずに連れ出す最良の、……もしくは次善の策だとクワイは思っている。
本当に最良なのは、クワイの使命であるとして警護させてもらうのが最善であると思うのだが、それでは彼女のプライドを傷付けるだろうとか何とかホアンに言われて、まぁそちらを優先させるか、と折れた形だ。
それにしても、喧嘩のフリをしてイチャつくのはやめて欲しいものだ。……などと口にしたら両方からバッシングを食らいそうなので黙っておくが、どう見てもこれはイチャついているだろうと、現状独り身であるクワイは思う。
かつての【傲慢】と自分との距離は周りにこう見えていたのかもしれないな、などと思いながら、クワイはもう一度、ふたりに見えないように苦笑した。
いらぬ誤解を与えるよりも、少し見えないように工夫するだけでことが円滑に進むのであれば、次善の策だと思っていいだろう。




