【傲慢/2】聳え立つ壁
「ようこそお越し下さいました、……えーっと」
「【傲慢の騎士】クワイ・ハナッシェだ」
その町の名はルディーリアタウン。天から下ろした鎖などと揶揄されるダンジョン、【チェイン・タワー】を内包する町だ。
以前――とは言っても3・4年も前の話だが――来た時にはなかったはずの、町を囲むような壁があり、ホアンの案内で検閲の門兵を訪ねることになった。先に文を送っているはずだが、名前が伝わっていないのはどういうことだろうか。……いや、ただの怠慢か。
怠慢はレミィで――卿や様、あるいは侯爵などの敬称を付けるべきかとも思うが、本人が「面倒だから」と拒否しているので誰も付けていない――慣れているので特にその程度どうとも思わないが、その後ただのド忘れかのように取り繕うのはやめて欲しい。
ホアンから少しづつ説明を受けながら、壁を抜けて行く。
この壁自体独立を決めてから作り出したらしいのだが、門から入った先……というより門そのものが迷路のようになっており――と言っても実際には迷路のつもりはなく、単純に必要な部屋を増設した結果だとホアンから説明されたが、きっと建前なのだろう――道順を知らなければこの門を抜けるのにかなりの苦労を伴うだろう。
また、門自体かなりの高さがあり、中を通らずに乗り越えると考えた場合にすら苦労する。どうやら門の中は3層構造になっているようで、それが高さに一役買っているのだろう。上層に下層にと階層を渡りながら軽く知覚した程度なので、高さに関しては誤認させるような構造になっている可能性すらある。
――これを、たった3年足らずで?
天から降ろされた、などと揶揄されるあの塔ほどではないが、この壁も「聳え立つ」という表現が似合うほどに高い。以前関わったことのある巨人族ならば、多少頑張れば乗り越えられるレベルではあると思うが、さすがにあののんびり屋どもがそんなことをしなければならない道理などないだろう。
クワイの本業は戦うことだ。通常この壁を作るのにどれだけの労力と時間がが必要なのかはわからないが、……なるほど、これだけの壁を作るのに必要な労力を集めるのは、この町にとってさほど難しいことではないのかもしれない。
いや、難しいことであったとしても、独立に際して町を守るには必要だったから、それに駆られて無理を通したのだろうか。通された無理がいかほどのものであったのかわからないが、それでもこうして完成しているところを見れば、……施工した者たちや、施工を指示した、支持した者たちは、それだけのものだったのであろうと尊敬に値する。
「この壁に見蕩れているのか?」
「――ああ。ここまでのものを作るのには、さそがし年月や労力が必要だっただろうと思ってな」
ホアンが歩きながら茶化すのを聞いて、クワイはその茶化しに気付くこともなくその後に続く。茶化されているのに気付いていないのか、その通りだと流しただけなのかはわからないが、少なくとも不快には思われていないと判断し、しれっと敬語を廃したホアンは、影に隠して薄く笑う。
純粋に嬉しいのだ。この壁の施工に携わった人間のひとりとして。
あの苦労が、このような形で報われることを願っていた。
だったらもう、こんな小さな願いは忘れよう。……アリアの従者となると決めたのなら、最後の心残りだったこの壁への思いも、もはやいらない。
ホアンの案内のもと、最短ルートで壁を抜けた。
天への蜘蛛の糸のように目を惹く塔も、その下に広がる街並みも、クワイの目には美しいものに見えた。独立しようという彼らのことを、壁を抜ける間にも僅かではあるが理解しつつある。
途中、壁を補強する者らを見た。より強固に、より美しくをモットーにしているらしく、確かにただ守るよりは美しくあった方が守り甲斐もあろうとクワイは思う。
途中、ホアンと言葉を交わす者らを見た。クワイを少しだけ警戒しつつ、敵対しないことを知って、ホアンがここから去る決意をしていることを知って、色々な反応を見せる彼らに、ホアンが如何にここの住人たちに愛されているのかを、そしてそれでもホアンがアリアの従者になる決意を固めているのかを知った。どうやら、当面の問題はホアンの恋人がそれをよしとするかどうかのようだ。
途中、炊き出しの、野菜を茹でる良い香りがクワイを誘惑した。皆で食べる類の、安い材料を利用した巨大な鍋を思い出させる香りだ。アリアのような貴族には性に合わないかもしれないが、平民出身のクワイには懐かしい類の香りだ。急ぐ足でなかったのなら、ホアンに案内させて少しだけ分けてもらいに向かったかもしれない。
途中、色々な人種を見た。人間だけではなく、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、鬼、ホビット、フェアリー、ラッティアス、ティタニア、グレムリン、ハルピュイア、リュンクス等の獣人に、亜族にと、クワイが知るだけでも様々な人種を見た。クワイが知らない人種も数多くおり、さすがは世界有数のダンジョン都市だというところだろうか。
……なるほど、ここを守るという目的であれば、確かに独立は必要かもしれない。
カステュールから納税として搾取されている分を町に回せば、今見てきた炊き出しを増やすこともできるだろう。少なくとも飢えて死ぬといったことはないだろうが、あの香りに肉の香りはほとんどなかったように思う。肉がなければ力も出ない――いや、亜族や獣人、エルフのように、必ずしも肉を必要とするわけではない人種もいるだろうが――だろうから、塔を見上げて「自分だって」と臍を噛む思いをしている者にもチャンスが訪れるだろう。
カステュールから義務として定期搾取――搾取と言っては語弊があるかもしれないが――されている人材を町に回せば、冒険者たちの育成も捗るだろう。ただ闇雲に塔に突貫し、命を散らすような人材を減らすことができれば、さらにその人材を増やすことも可能だし、人口も増えようというものだ。
『我らルディーリアはカステュール王家を信じない』
なるほど、とすらクワイは思う。
カステュールは代々、ただ王を継承するだけのよくある「王家」だ。
実際の心情だけで言うのであれば、クワイだって王家を信じてなどいない。立場上王家を崇めなければいけないだけで、言葉に出せば不敬罪となるから言葉にしないだけで、本音を言えばルディーリアと同じ程度には不満はある。
アリアから聞いた限りでは、王家は独立に反対ではないそうだから、ならば搾取さえ止めてやればいいのに、と思わないでもないのだが、それでは同様に税や人材を提供している他の町から不満が出るだろう。全てを止めたらどうなるかなど、考えるまでもない。
反乱、と銘打って、血を流さぬためにと理由を付ける。
それがアリアや王家の考えなのだ。
……だから、レミィと話したすべての相手を殺すなど、無駄どころか理由もなく、さらに言うなら逆効果だ。
レミィがそんな面倒な真似をするわけがないなと苦笑しながら、クワイは少しだけ微笑んだ。
ギルドに入ると、白髪交じりの小太りの男がホアンの名を呼んで駆け寄った。
「生きてたか。……まったく、心配させやがって」
「心配してくれたのか。まぁ色々とあってな」
「命を大事にしろ。最初に教えただろ」
男は、嫌がるホアンをまるで子供であるかのようにぐしゃぐしゃと髪を撫でながら、ひどく嬉しそうに笑顔を作るのだ。




