【怠惰/1】怠惰の騎士
――眠い。
眠い。怠い。動きたくない。それが朝起きて、一番最初に思うことだ。
本当に毎日一日中、一年中寝ていられたら、と本気で思う。
息をするのも面倒臭い。生きているのも面倒臭い。
あぁ、生理現象がなければ本当にそうするのに。
面倒臭くなければ、きっと溜息でも吐くのが普通なのだろうが、それすら面倒臭い。
面倒臭いことに、欠伸が胸と腹と喉を動かすのを感じるが、それをわざわざ噛み殺すのも面倒臭く、勝手に出る欠伸は放っておくことにする。そうして自然のままに大きな口を開けて欠伸をしながら、最小限の動きで口だけは辛うじて手で押さえるのは、面倒臭いが癖みたいなものか。
あぁ、面倒臭い。
そんなことを考えながら、魔力を展開。魔力の展開は面倒だけど、わざわざ歩くのも面倒臭い。
屋敷のそれぞれの階にあるトイレと、その周辺の様子を【全方位感覚】を駆使して探る。
1階はダメ。誰かが入っている気配がある。さすがに誰が入っているかなんて覗く趣味はないし面倒臭いからいいのだけど、面倒をかけないで欲しい、……と思うのはさすがに自分勝手が過ぎるか。ちょっと嫌味を言うくらいで許して、……やっぱりいいや、嫌味を言うのも面倒臭い。
2階から上は誰も入っていないけど、2階と4階は近くに人がいる気配がある。
「……瞬間移動」
なので、3階のトイレへ移動して、そこで用を足すのが一番面倒臭くなくていいだろうと思うのは、当たり前のことなのだ。
魔法で水を流すのも面倒臭いが、やらないと後で使用人――特に侍女長――に文句を言われるのも面倒臭いので渋々水を流す。そもそも侍女長とは言え、屋敷の長である自分の方が立場は上なのだが、それを指摘するのも面倒臭ければ、侍女長の態度が変わるのも面倒臭いし、それで侍女長がしてくれるアレコレがなくなるのも――まぁ侍女長の性格上それはないと思うが――面倒臭い。そしてそもそもその程度のことを考えるのが何より面倒臭いので、流してしまう方が楽に決まっている。
王に騎士爵を賜ってから、もうどのくらい経つだろうか。
考えるのも面倒臭いほどの長い時が経ったのだけはわかる。
思い返すも、あの時あの契約を面倒臭がらずに断っていれば、今頃普通の人間と同じように年を取り、こんな爵位に就くこともなく、平凡に凡庸に一生を終えたのだろう。
まぁもう今更言っても面倒臭いだけだからいいのだが。
人呼んで【大樹の祝福】。
面倒臭がって森をショートカットしようとした先で面倒ごとに巻き込まれ、面倒だから面倒な方を戦闘不能にしてみたら、残った方にお礼がしたいと言われ、面倒だから承諾してみたらコレだ。
つくづく人生って、面倒臭い。
ベッドに凭れかかる格好で倒れこんでいると、入口の方から「レミィ様!?」と、慌てたような侍女長の声がした。
説明が面倒臭そう、と考えながらとりあえず微動だにせず寝たフリを続けると、侍女長の気配が近付いて来るのを感じ、本格的に面倒臭そうな気配だ。
「レミィ様がベッドから半分出て来ているなんて、何事ですか!?」
あ、そっちなんだ、などと自分の思い違いを修正するのも面倒臭い。
要するに、普段侍女長の前ではベッドから降りない自分が、ベッドから半分といえ外に出て来たのが珍しく、何事かあったのかと心配しているようだ。
だとするならば、最適解としてはこう答えるべきだろう。
「……もぉまんたい」
「レミィ様がお声を!?これは一大事です!」
あ、逆効果だった、と悔やむことすら面倒臭い。
お願いだから放って置いて欲しい。……別に一大事でも何でもないから。
――何度も会話した記憶はあるし、そもそも自分がベッドから出ているところなんか何度も見ているだろうに……などと考えていると、侍女長が少し吹き出したように息を漏らすのが聞こえた。
あぁそうか、これ侍女長の罠だ。面倒臭いから放置決定で。
「それはともかくレミィ様、面倒臭いお方がいらしてますので、準備をお願いします」
というわけにも行かないようだ。
吹き出してしまったことで失態を悟ったのか、侍女長の声は普段のそれに戻っている。
「――だれ」
問わないわけにはいかないだろう。侍女長が「面倒臭いお方」とまで言うのなら、きっとそれは自分にとって重要な人物なんだろうから。
「エンマ=レイエ様です」
「いく」
面倒臭いけど行く。そう即決する。
私ほどではないけど怠惰な性格の豹亜族を脳裏に思い浮かべると、確かにそれはそれは面倒臭い相手だろうと判断できる。
……自分にとってではなく、侍女長にとって、という話ではあるが。
「お待たせ」
「レミィ、ホントにお待たせよ」
「ごめん」
短い会話の後、エンマは自分の顔を私に近付け、鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。
私ならば絶対に面倒でしない、不必要なほどに気を使われたエンマの口臭対策は完璧で、檸檬のような、それでいて甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「……うん。いつも通り寝てたみたいね?仕方ないんだから、レミィは」
「うん」
そうして、軽く私の顔にふさふさな毛皮に包まれた、獣そのものの顔を擦り付ける。
初見の相手に、エンマのこれらの仕草は驚かれることが多い。そして誤解されることが多い。
ある程度以上仲の良い相手全員にこれをするのだが、本人曰くただの挨拶で、ほとんど無意識でやっていることらしい。見た目通りの亜族の本能なのか、それとも一風変わった癖なのかはわからないし面倒臭いので詮索するつもりはないが。
「それにしても、本当にいつ来ても寝ているのね」
「面倒臭いから」
「ほどがあるでしょう」
エンマが呆れたような顔をしているのは、長年の付き合いでわかるようになった。
長年、……そう、エンマが生まれる前からの付き合いだから、彼女がどんなことを考えているのか、顔だけでたまにわかることすらある。
「お父様から貴女のことを任されている私の身にもなってよ」
「ごめんね」
別に頼んだわけでもないのだけど、感謝していないわけでもないので反論はしない。これは面倒だからってわけでもない。
「――それで、今日は何の用なのですか?」
このままでは本題に入るまでが長くなると考えてのことだろう、侍女長がエンマの前に紅茶のカップを置きながら呟き、恭しく一礼すると私の隣に立った。
「あ、そうだった。ちゃんとするのは私も同じね」
エンマは苦笑して、「でも少しだけ」と紅茶のカップを手に取り、少しだけ紅茶に口を付けた後、はぁ、と溜息を吐きながらカップを置いた。
「【スロウス・ナイト】レミィに、召集命令がかかっています」
召集命令。
「誰から?」
「アリア・ヴァイオリル騎士長様です」
「……それ、私もって言われたの?」
言葉に詰まるように一瞬エンマが口を閉じるが、それでも言わなければならないと思ったのだろう、少しだけイヤそうな顔をしながら、エンマは口を開いた。
「はい」
「確かに言われたのね?」
「――はい」
「そう」
侍女長の判断は、やっぱり正しかったと言えるかもしれない。
エンマはとても良い友達で、とても良い理解者で、それでもやはり、「面倒臭いお方」でもあった。
もちろんエンマが悪いわけではない。
それを理解しているから、私は立場上、面倒なことをしなければならなくなった。
「わかったわ」
「――ごめん、面倒をかけて」
「エンマのせいじゃないもの」
そう。これはエンマのせいじゃない。
……少しだけ面倒ごとが増えたのは、彼女に私への伝言をした、あの女のせいなのだ。