岐路5
しかし、ふと、気がついた。
奥さんの声だけなら辛抱できると。
(そうよ、目を治さず辛抱すればいいのよ)
舞は手術をしないと決心して言った。
「せっかくの好意を無にすると思って、嘘を言いました。本当の訳は、私の瞳には大切な人がいます。だから、取り替えたくないのです」
幸樹の心はいいようのない淋しさに襲われた。
「大切な人」
幸樹の目に、鷺草の少女と電車の中から幸樹を見つめる舞の顔が写った。
「角膜を代えると、大切な人の顔が消えます。勿論、知ってます。消えないことを、でも、私は」
と、泣き出した。
「僕にも、命より大切な人が二人いるから、その気持ち分かります。もう、二度と困らすようなことは言いませんから、泣かさないでください」
「好意を無にし、勝手な事をいう私を許してください」
幸樹と舞は、相手が大切な人と言っている者が自分であることを知らない。
「いいですよ、どうか気にしないでください」
その時、幸樹は、ふと、大切な人とは、自分のことかもしれないと思った。
幸樹は、期待で、震える声を押し沈めながら尋ねた。
「今、大切な人は人はどうしています?」
「分からないです」
「貴女の瞳に、大切な人は何時頃から居るんですか」
大切な人の姿を見たのは何時かと尋ね、二年前と答えたら、大切なひとが自分であることがわかると幸樹は考えたのだ。
だが、答えは期待したものではなかった。
「ずっと昔です」
年月は忘れる筈がない。
しかし、正確、そして詳しく話したら、鷺草舞だと気付かれる恐れがあるため、漠然とした答えを言った。
「昔ですか」
「はい」
幸樹は、舞の大切な人が自分でないことを知り、聞くのではなかったと、後悔した。
幸樹と舞が医院に戻ると和歌子が尋ねた。
「どうでした?」
和歌子は、舞の目が治ることを期待していたのだ。
「結果は良くなかったよ」
「そうなの、残念ね」