喜びの後11
事務室に入った幸樹の元妻、早苗は自己紹介した。
舞は幸樹や和歌子に暴漢から助けられた日以来、先生には奥さんが居ないとばかり思っていたので、彼方早苗を親戚の人だと思った。
「彼方早苗さんは親戚の方ですね、先生なら診察室に居ます」
舞は、診察室を教えた。
「幸樹に会いにきたけど、診察室にいなかったので、ここへ来たのよ」
「そうですか。先生のお姉さんですか?」
「私がお姉さんだって?」
早苗があざ笑うように言った。
「はい、幸樹と呼び捨てにされていましたから」
舞が困惑したように言った。
「呼び捨ては当然でしょう、幸樹は私の夫ですのよ」
舞は、目の前が真っ暗になった。
衝撃だった、舞は、この約十年間、結婚できなくても(お兄さんは私のもの)と思っていた。
しかし、妻なる者が堂々と名乗ったのだ。
舞は泣きたくなった。
だが、この女性の前では絶対に泣きたくないと思い、冷静に言った。
「気がつかずにすみません」
「私が誰かわかった!」
舞を睨み付けるように言った。
しかし、舞が何も言わなかったので、舞を憎しみの籠った目で睨みつけながら、
「私に無断で医院で働いているのね。許せないわ、貴女も貴女よ、私に断りもなく、平気で幸樹の好意を受けるなんて、もう、明日から来ないでちょうだい」
早苗の言動を見ていた和歌子は、早苗を非難しないばかりか、応援するよに頷いていた。
「黙っていないで、返事をしなさい」
早苗が勝ち誇ったように言った。
「先生の許可を頂いてからにします」
舞が恐々言うと、早苗がとどめを刺すように言った。
「今日と言わずに、今から帰りなさい」
早苗は、言うだけ言うと診察室へ行った。
やがて、応接室から、早苗の甲高い声が聞こえてきた。
(先生、いえ、お兄さんに奥さんが居るのは当然。でも、認めたら悲し過ぎるから、考えないようにし、心の中だけでお兄さんを愛し、私だけのものと独占していたのに)
一番大切にしてきたものを失った舞の脳裏に、鷺草の海が現れた。
鷺草の海へ行きたければ、和泉砂川駅で和歌山に行き電車に乗ればよい。
だが、舞は生きて幸樹の傍にいることを決意した。