喜びの後8
しかし、老女に言った声は、鷺草の海と電車の中で聞いた声に間違いがなかった。
舞の所に戻った幸樹が、舞を見ると、まだ、泣いていた。
「一人にしてごめんね。でも、もう、離れないから、ゆっくり食べてください」
幸樹は舞に自分の正体が分かったと覚悟していた。
舞は幸樹と意外な再会に、驚きと嬉しさのあまり、泣いていたのだ。
そして、自分が捻挫した時、優しく治療し、背負ってくれたことを思い出したのだ。
「淋しさで泣いているのではありません。先生が怪我している人を治療している声を聞いて、私が先生や和歌子さん助けられたことを思い出したんです」
「そうでしたか」
舞は幸樹に勘繰られないよう、何気なく尋ねた。
「先生にお聞きしますが、先生の声は、どれが本当の声ですか?」
幸樹は、舞が自分の正体を知らないことに一安心した。
「そうか、舞さんの前では一度もマスクを外していなかったんだね。今の声が僕の本当の声だよ」
舞は、心の動揺を隠すために、泣きながら、サンドイッチを食べる、その様が幸樹には子供のように、愛くるしく見えると同時に、鷺草の少女を思い出した。
(あの少女が生きていたら、今、舞さんと同じ年ごろ、舞さんがあの少女なら、どんなに嬉しいだろう)
幸樹は鷺草の海を思い浮かべていた。
「先生、何を考えているんですか?」
「いえ、何でもない」
「嘘でしょう、怪我をして人の心配をしているんでしょう」
確かに、心に大きな傷を持っていた少女のことを思っていたので、
「少し、心配になってね」
舞は、自分が鷺草の少女だと、気付かれないように、幸樹の気を他に向けた。
しかし、心の中では、囈言のように何度も同じ事を言っていた。
(先生がお兄さん、いえ、お兄さんが先生)
もう、絶対に逢えないと諦めていたのに逢えた、いや、毎日のように逢っていった。
そして、和歌子が心配するほど、女性として愛されていることを感じていた。
舞は、お兄さんに愛されていたと思うと、天にも昇るほど幸せだった。
だが、同時に和歌子の言葉を思い出した。
「先生の手助けが出来る人でないと奥さんになる資格はないのよ、足手纏いになる女性は邪魔なだけよ」
その言葉が、舞の心に冷たく突き刺さった。
(私は、お兄さん、いえ、先生のお世話を何一つできない足手纏いの女)
そう思うと、舞に地獄の苦しみが襲ってきた。