喜びの後1
幸樹は、舞が自由に仕事が出来るようにと、よほどの理由がないかぎり、舞の事務室に行かないようにしていた。
そのため、和歌子が舞を苛めていることに気付かなかった。
今日も、和歌子が来て言った。
「和泉さん、先生と結婚しようなどと考え、先生と親しくしたらこの医院から出ていってもらうからね。理由は、貴女の目が見えないから先生の足手纏いになるのよ」
舞は、先生と結婚することなど、一瞬たりとも考えたことがないため、和歌子の言う意味が分からないため黙っていた。
「分かった!」
もし、反発したら、ここで居られなくなると思った舞は答えた。
「はい、わかりました」
日々、和歌子の厳しい監視の元で、舞は一生懸命に仕事をした。
二月下旬。
昨夜、大阪府全域が何十年ぶりかの大雪に見舞われ、白銀の世界になった。
だが、夜明けと共に雪は解けはじめ、舞が医院に出掛ける頃は、道路の雪は雨水となって側溝に流れこんでいた。
舞は用心深く歩きながら、雪が溶ける速さや、背中に射す陽の暖かさ、そして、どこからともなく漂ってくる馨しい梅の薫りで、春の到来を感じていた。
舞は、和歌子の心が、雪のように溶け、陽のように暖かくなって欲しいと願いながら、出勤していた。
和歌子は元々、世話好きの優しい女性なので、苛めなどしたことがなかった。
その和歌子が舞を苛めはじめたのには訳があった。
亡き幸樹の母親から、幸樹のことをお願いしますと頼まれていた為に、根がまじめなだけに、少しでも幸樹の災いなると思うと、徹底的に排除したくなるのだ。
また和歌子は愛に弱い。
それ故に、愛が偏ると、周りに迷惑をかけていても、それも気付かなくなるのだ。
医院に着いた早々、舞は、和歌子に辛く当たられていたが、電話がかかってきたために、和歌子の苛めから逃げられた。
和歌子が去った時。
「昨夜は大雪だったのに、いい天気になりましたね」
突然、忘れられない声が舞の耳に届いた。
(あっ、お兄さんの声が)
舞は思わず、事務室の窓を開けた。
「そうですね、春が近いという感じですね」