5・新たな一歩⑵
「――ところで、新しいレーベルについてもっと詳しく聞かせてもらっていいですか? 創刊するに至った経緯とか、レーベルのコンセプトとか」
彼のこれまでの説明から察するに、もうだいぶ前からこの計画は煮詰まっていたんだと思う。
「はい。――えーっとですね、実は僕、もう一年くらい前から新レーベルについては考えてたんです。その頃はまだ漠然と、でしかなかったんですが。先生のような若手の作家さん達をどうにか救済したい、と」
「私みたいな、っていうと?」
彼の言葉の裏には、「不遇な」という形容詞(?)が隠れている気がするけれど。
「書店で働いてらっしゃる巻田先生ならご存じでしょうけど、今の〈ガーネット〉ではベテランの作家さん方が台頭してますよね? 書店での著書の扱いにも、それは顕れています」
「ええ、確かにそうですね」
それは私も感じていた。いつも平積みにされているのはベテランの先生の作品がほとんどで、私みたいな若手の作品はメディアミックスでもされない限り、棚に数冊並べばいい方だ。
「でもそれだと、せっかく頑張ってデビューされた若手の作家さん方の努力が報われませんし、モチベーションも下がってしまう。『いい作品を書きたい』という意欲は、若手もベテランも同じはずですよね」
「もちろんそうです」
〝売れたい〟 〝有名になりたい〟という気持ちもないわけじゃないけれど、まずは一作でも多くいい作品を執筆して、自分のファンに届けることが大前提だ。
「それを打開するためには、新しいレーベルを作ってそこで若手の先生方に活躍して頂くのが一番いいと思い立ったんです」
彼はそこで一旦話を区切り、コーヒーブレイクを挟んでからまた話し始めた。
「コンセプトは〈ガーネット〉とほぼ同じですが、やや恋愛ジャンルに特化したレーベルになります。もちろん、他のジャンルの作品も刊行します」
恋愛小説に特化したレーベルか。――なんか、私のために作ったレーベルっぽいけど、まさかね……。
「――あの、私以外にはどんな作家さんが活動される予定なんですか? 琴音先生は?」
〝若手〟というなら、まだ三〇歳そこそこの彼女だってそこにカテゴライズされてもおかしくないはず。
「はい。西原先生も参加されるそうです。僕がお声がけしたら、『ナミちゃんが参加するならあたしも!』って。彼女の担当者もこちらに異動するそうです」
「担当の人が異動するってことは、琴音先生はもう〈ガーネット〉からは本出して頂けなくなるってことですか?」
……いや待てよ? それを言ったら私もそうじゃないか。担当の原口さんが〈パルフェ文庫〉の編集長になるんだから。
「――ってことは私も? じゃあ、今まで〈ガーネット〉から出して頂いてた作品の版権とか、重版ってどうなるんですか?」
「そうですね……。残念ながら、巻田先生も西原先生も、今後〈ガーネット〉からの刊行はできなくなります。ですが、作品の版権は新レーベルに引き継がれることになってますので、重版ではなく〈パルフェ文庫〉から新たに刊行、という形になります」
「なるほど……、そうなんですね。分かりました」
私の作家としての原点である〈ガーネット文庫〉からもう本を出してもらえないのは淋しいけれど、私の作品が世の中から消えるわけじゃないんだと分かってホッとした。
たとえ活動の場が変わっても、私はこの先も作家でいられるんだ。私の夢は、まだ終わらないんだ!
「――というわけで、先生。レーベルは変わりますが、今後ともよろしくお願いします。編集長としてはまだ若いですし、頼りないかもしれませんが……」
原口さんが改まった態度で、謙遜しながら私にペコリと頭を下げた。
「いえいえ! こちらこそ、これからもお手を煩わせると思いますけど……。とりあえずエッセイのお仕事、頑張ってやらせて頂きます!」
私もペコリで返す。
食べかけのパフェは、もうだいぶアイスが溶けてきている。――そんな私のパフェグラスに注がれた、原口さんの熱視線に私は気づいた。
「うまそうですね、それ」
視線が合うと、ニッコリ笑われた。
食べたいならもっと早く言えばいいのに。というか、チーズケーキを平らげたのにまだ食べるんかい! ……というツッコミはどうにか堪えた。
「…………え? 私のスプーンでよかったら一口食べますか? だいぶ溶けちゃってますけど」
私が使っていたパフェ用のスプーンを差し出そうとすると、彼はわざわざコーヒーについていた未使用のスプーン(そういえばブラックで飲んでたっけ)を伸ばしてきてアイスをすくい、口元に運んだ。
――ああ、間接キスしそこねた! ……じゃなくて! 何考えてるの、私!
「うん。やっぱりうまいっす」
満足そうな顔で微笑む彼を見て、私はホッコリ和んだ。
今日この数十分で、私はますます原口さんのことを好きになった。
今まで知らなかった彼の一面を知り、今まで見たことのなかった彼の表情を見られたことで、彼への想いが強くなったんだと思う。
彼と琴音先生との関係はまだ気になっているけれど、私は私なりに頑張ろう。そうすれば、きっと――。
****
「――ごちそうさま。そろそろ出ましょ」
伝票を手に席を立ち、会計を済ませようと私がお財布を取り出すと――。
「あ、先生。ここは僕が」
原口さんもお財布を出して、支払いを申し出た。作家である私にお金を出させるのは忍びないらしい。
「いいのいいの! ここは私が払います。誘ったの私ですから、ね?」
割り勘、という手もあったけど、それは私がイヤなのだ。――好きな人に気を遣わせるのが。
「……分かりました。先生、ごちそうさまです」
原口さんは私の気持ちを汲んでくれたらしく、素直にお財布を引っ込めた。
「――マンションまで送らせて下さい」
喫茶店を出ると、原口さんがそんな申し出をした。
「えっ? いいですよ! すぐそこなのに」
「僕がそうしたいんです。さっきごちそうになったんで。――お願いします」
彼は意外と頑固だ。〝お願い〟までされたら、私も「イヤ」とは言いにくい。……イヤじゃないし。
「しょうがないなあ……。いいですよ」
――というわけで、私は彼に送ってもらうことにした。
「そういえば原口さん。最近私にあんまりイヤミとか言わなくなりましたよね」
私はごく自然に、世間話のつもりでそう言った。
「えっ、言ってほしいんですか? もしかして先生って……、実はドMですか?」
「ちっ、違いますよっ!」
私は顔を真っ赤にして否定したけれど、完全に否定できたかどうかは分からない。
そういえば、今まではっきり指摘されたことがなかったから自覚はなかったけど。
……私って本当にドMだったりするかも?
「――あ、着きました。本当にすぐですね」
五分も経たないうちに、私の住むマンションに到着してしまった。
「それじゃ、原稿用紙は明日にでもお持ちしますね。僕はこれで失礼します。――先生、お疲れさまでした」
「はい。送ってくれてありがとうございました」
原口さんの背中を見送ってから、私はマンションの階段を上がった。
二階の部屋に着く頃にはいつもクタクタなのに、今日はいつになく清々しい気持ちで、足取りも心なしか軽かった。
「ただーいま」
鍵を開けると玄関でスニーカーを脱ぎ、誰もいない室内(一人暮らしなんだから当たり前だ)に一声かける。――これは潤が入り浸っていた頃に身についてしまったクセというか、習慣というか。
いつもなら、ソファーの上にバッグを投げ出してすぐ着替えに引っ込むのだけれど。今日は着替える前にやっておきたいことがあった。
私はバッグからスマホを取り出し、一本の電話をかける。コールしたのは実家の番号。
私の実家は都内の下町の方にあり、スカイツリーにも近い。
『――はい、巻田です』
「もしもし、お母さん? 奈美だけど」
『ああ、奈美?』
お母さんの声はいつも優しい。
作家デビューが決まった私が「家を出る」と言った時も、お母さんは「そう。頑張りなさい」って背中を押してくれた。私の一人暮らしにあまりいい顔をしなかったお父さんを説得してくれたのも、お母さんだった。
『元気にしてる? お仕事はどう? ちゃんとゴハンは食べてるの?』
「うん、元気だよ。ちゃんと自炊してるし、作家の仕事もバイトも大変だけど楽しいよ。毎日すっごく充実してる」
毎日楽しくて充実しているのは、きっと今恋をしているからだ。――いつかお母さんにも話せるといいな。
『そう、よかった。――お父さんがね、今月出た奈美の新作、予約してまで買ってきて。今じゃすっかりハマってるのよ』
「へえ……」
お父さんも丸くなったもんだ。昔はあれだけ「夢だけじゃ食べていけないぞ」とか言ってたくせに。
でも正直、そんなお父さんの変化が私は嬉しかった。
『――ところで、今日はどうしたの? 電話くれるなんて珍しいじゃない。何か困ってることでもあるの?』
お母さんが不思議そうに訊いてきた。
「えー? そんなことないでしょ? コマメに連絡はしてるじゃん」
『メールとかメッセージではね。でも、電話はたまにしかくれないじゃない』
「あー……、そうかも」
お母さんの指摘はごもっともだった。困った時だけ電話して、あとはメールやLINEばっかり。これじゃ言われても仕方ない。
「あー、いや。別に困ってはいないんだけどね。――あのさ、お母さん。今度の土曜日、久しぶりにそっちに帰っていい? あたしバイト休みなんだけど」
『いいけど。どうして?』
私が実家に帰りたがるなんてめったにないことだから、お母さんはむしろそっちの方が心配なんじゃないだろうか。
「えっと、あたし今日新しいお仕事もらったんだけどね、それが初めてのエッセイの執筆で。昔のアルバムとかあったら、それを資料として使いたいな、って」
これは、自分自身の過去への〝取材〟だ。両親以外にも昔の友達とか学校の先生とかにも話を聞こうと思っている。
『新しいお仕事って、あんたこないだ新刊出たばっかりじゃなかったの?』
「うん、そうなんだけど。色々と事情があって……」
原口さんが私にこの仕事を依頼したのは、蒲生先生に対する意地もあったのかもしれない。――自分が担当している中で一番若い作家の私に、原稿を書き上げてもらうのだという意地。
『――分かった。いいわよ。今度の土曜日、待ってるから。お父さんも奈美に会いたがってたから、二人で待ってるわね』
「うん! ありがとね、お母さん!」
通話を終えると、私はスマホとバッグを手に部屋に入った。
着替えて夕飯を済ませたら、久しぶりに電話してみようと思っている友達が一人いる。高校を卒業てから進路が別れ、しばらく会っていないのだ。
「――さて、今日の夕飯は何にしよう……」
楽なスウェットの上下に着替えた私は、キッチンで冷蔵庫を開け、中身をチェックし始めた――。
****
――翌朝の出勤前、原口さんがわざわざマンションまで原稿用紙を届けてくれた。
慌ただしい時間だし、朝早くに来てもらうのは(色~んな意味で)彼には申し訳ない。来てもらうのは夕方でもよかったけど、原稿用紙は早く受け取った方がモチベーションが上がる。
「とりあえず、予備の分も合わせて三〇〇枚お渡ししておきます。足りなくなったらまた僕にご連絡下さい」
「〝足りなくなる〟ってことはないと思いますけど。私の場合は」
私の場合、確かに〝手書き〟だけど使っているのはシャープペンシル。修正や書き直しの時にも消しゴムで消して書き直せるので、〝間違えたら丸めてポイッ〟はないと思う。
「まあ、僕もそう思いますけど念のため。余った分は次の作品の執筆にも使えますから」
「そうですね。ありがとうございます。じゃあ、執筆頑張ります!」
私は作家の〝生命〟ともいえる三〇〇枚の原稿用紙を受け取り、これから洛陽社に出勤するという原口さんを玄関先で見送った。
一枚一枚に「巻田ナミ」と名前が入っている洛陽社の原稿用紙は、私の作家としての誇りだ。私専用の、他の人は使うことを許されない原稿用紙だから。
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――その日から土曜日までの数日間、私はバイトに励みながらエッセイの内容について構想を練り始めた。
書きたいことは山ほどあるけど、それを原稿用紙三〇〇枚(一二〇〇〇〇字)の中に収める必要があるのだ。
何より、この仕事は新レーベル〈パルフェ文庫〉の編集長となる原口さんのスタートを飾る仕事だから、そういう意味でも絶対にいい作品を書き上げたい。
そう思うのは、もちろん物書きとしてのプライドもあるけれど、彼への恋心が主な理由なのかもしれない。
私はきっと、根っからの恋愛作家なんだ。恋をしているっていうだけで、仕事のモチベーションまで上がるんだもん!
「――やっぱり、私の生い立ちとか作家デビューまでの経緯は書くべきだよね。あとは恋愛遍歴と、私がいつもどんな風に原稿を書いてるか……かな」
書きたいことの大まかなテーマを、呟きながらプロット用のノートに箇条書きでメモっていく。ここからさらに取材を重ね、プロットを作るのだ。
原口さんに電話で「どんなことを書けばいいですか?」と訊いたら、彼の答えはこうだった。
『内容は先生にお任せしますので、お好きに書いて下さい。……ああでも、一応恋愛モノメインのレーベルなんで、恋愛絡みの内容を入れて下さった方が……』 ――
そう言われても、二十三年間ろくな恋愛をしてこなかった私には、読者が喜んで飛びつくようなトピックスがほとんどない。
となると、読者の興味を引く内容は筆者である私自身の私生活や創作にまつわるエピソード……だろうか。
私がシャープペンシルで執筆していることは、実は読者さん達にはあまり知られていない(由佳ちゃんみたいに個人的に親しい間柄の人は知っているけれど)。
今どきの若者でもある私がこんなアナログ作家だと知ったら、読んでくれた人はビックリするだろうか……?
「そうだ!」
そう思った時、このエッセイのタイトルがフッと降りてきた。
見ただけでネタバレになりそうなタイトルだけれど、これ以外にピッタリはまるタイトルはないんじゃないかっていうくらい、内容にマッチしていてしっくりくる。
「うん、いい! タイトルはこれに決定」
私は独断だけで決定したばかりのタイトルを、メモ書きのページの冒頭に書き込んだ。
本当は原口さんと相談してから決めるべきなのかもしれない。でも、それをしなかった理由は、このエッセイを彼へのメッセージにしようと思っているから。
これを書き上げたら、原口さんに告白しよう。――私はこの仕事を引き受けた時から、そう決心していたのだった。