4・縮まる距離、そして元カレとの再会⑴
――何はともあれ、私は原口さんを今晩一晩だけ、私のマンションに泊めてあげることにした。
とはいえ、ここは単身向けの物件。私が仕事部屋(兼寝室)として使っている部屋以外に、「部屋」と呼べる場所はない。
「えーっと、寝る場所はどうしましょう? 私の部屋かリビングのソファーしかないんですけど……」
できることなら、ソファーはあまりお勧めしたくない。
ウチのソファーはなかなか寝心地が悪い。私も何度かここで寝る羽目になったことがあるからよく知っているけれど。朝起きた時、必ずと言っていいほど首が痛くなっているのだ。
「私の部屋で寝ます? 床にお布団敷いて」
確か、納戸に予備の布団が一組あったはずだ。ソファーよりはいくらかマシだと思う。
「ええ~、床ですか……?」
「床がイヤなら、ソファーか私のベッドで一緒に寝てもらうことになりますけど?」
不服そうな(……なのかどうかは定かじゃないけど)原口さんに、私はイタズラっぽく言ってみた。
「い……っ、いやいやいや! ダメですよ、そんなん! 一緒の部屋で寝るだけでもダメですって!」
原口さんの顔がさっきより真っ赤になる。関西弁が抜けていないところを見るに、まだ酔っているには違いないだろうけど。これはどうもそれだけじゃないように見える。
……もしかして照れてるの? そうだとしたら、ちょっと可愛いかも。
「僕はソファーで寝ますから! 一緒の部屋で寝るのだけはカンベンして下さいよー」
そんなに拝み倒すほど、私と同じ部屋で寝るのが苦痛なの? 冗談で言っただけなのにちょっと傷付く。
「……分かりました。冗談ですって。――じゃあ、納戸から毛布か何か持ってきます。クッションを枕代わりにしてもらえば」
「何から何まで、ホンマにすんません。一晩お世話んなります」
「いいええ」
私は謝り倒す原口さんにニッコリ笑顔で応じ、彼がソファーで寝るための準備にとりかかった。
酔っ払いを外に放り出すほど私は鬼じゃない。ましてや、好きな人ならなおさら。
――準備が整うと、彼はジャケット脱いでゴロンとソファーに横になった。
「じゃ、明かり消しますね。原口さん、おやすみなさい」
「ふぁ~い……」
窮屈そうに背中を丸め(そうしないと、長身の彼は足がはみ出してしまうのだ)、半分眠った状態の原口さんに声をかけると、私はリビングの照明をナツメ球だけにして部屋に入った。
クローゼットから着替えとバスタオルを出して、眠っている原口さんを起こさないようにリビングを横切り、バスルームに向かう。
一応脱衣スペースもあるし、スライドドアで隔てられてはいるけれど。男性(それも彼氏じゃないけど好きな人)がそのドアの向こうで寝ている中で裸になるのはちょっと勇気がいる。
――ほんの少しだけ抵抗を感じながらも服を脱ぎ、シャワーを浴びてサッパリしてから部屋着を着て、髪をドライヤーで乾かして部屋に戻る。
でもベッドには入らず、向かったのは仕事スペースの机。……の上にある、白いノートパソコン。
以前、原口さんに話した〝バイトのためのパソコンの練習〟は、今や毎晩の日課になっている。本業である執筆の仕事がない時はもちろんだけど、本業の合間にも少しずつだけでも続けている。
Wordを起動させ、指をポキポキ鳴らしてからキーボードを叩き始めた。
右手一本でならどうにできるようになったタイピングだけれど、左手の指まで動かそうとすると、どうにも思うように動いてくれなくて困る。
そして、キーボードと格闘すること約一時間ほど――。
「あ~もう! また指つった! どうしてここで指もつれるかなぁ!? あ、そこ違う!」
変換を間違えたり、別のキーを押してしまったりして、一人でボヤき続けていると。
「――先生? パソコンの特訓してたんですか?」
「はい、……ってうわっ! 原口さんっ、いつの間に!?」
後ろから声がして、振り返った私は思わず飛び上がりそうになった。
「えーっと、一〇分くらい前から? あまりにも真剣そうだったんで、おジャマしちゃ悪いかな、と思って声かけなかったんです」
……一〇分前!? ということは、私のボヤきを全部聞かれていたってことだ……。
「ゴメンなさい。私のボヤき、うるさくて目覚めちゃいました? それとも部屋の照明が眩しかったとか?」
彼が目を覚ました理由がそのどちらかだったら、どちらにしても私のせいだ。
……けれど。
「いえ、先生のせいじゃないです。たまたま喉が渇いて目が覚めただけですから」
「……あー、そうなんですね」
そりゃ、下戸なのにあれだけアルコールを摂ったら喉も渇くでしょうよ。
「それじゃ、何か飲み物淹れてきますから。リビングで待ってて下さい」
私はパソコンをシャットダウンして、そのままキッチンに向かった。――ちなみに、宅飲み会の時の食器やゴミは、原口さんが寝ている間にキレイに片付けてある。
二人分のグラスに冷えた麦茶を注ぎ、お盆に載せてリビングへ。
「――はい、どうぞ」
「ああ、すみません。頂きます」
グラスを受け取った原口さんは、よっぽど喉が渇いていたのか、一気にグビグビと半分くらい飲んでしまった。
「――そういえば先生。僕、酔っ払ってる間の記憶がほとんどないんですけど。先生に何か失礼なこと言ってませんでした?」
一度グラスを置いた彼は、決まり悪そうに私に訊ねる。
彼にしてみれば、記憶がなくなるほど酔ってしまったこと自体、私に対して失礼だと思っているんだろう。
「いえ、失礼なことなんて何も……。ただ、バリバリ関西弁にはなってましたけど」
私はそう答えてから、フフフッと笑った。
そして失礼ではない(むしろ私は嬉しい)けど、彼は私のことを「べっぴんさん」とも言ってくれた。でも本人は覚えていないようなので、これは私の胸の内だけに収めておこう。
「そうですか……。またやっちまった……」
はぁ~っとため息をつき、原口さんはガックリとうなだれた。
余談だけれど、彼の関西弁はすっかり抜けて標準語に戻っている。もうすっかり酔いは醒めているらしい。
「先生も、引きました? 僕の関西弁」
「引きません。ってさっきも言いました」
「……はあ」
彼はそれも覚えていないらしい。
「ねえ原口さん。酔い始めてからどのあたりまで覚えてますか?」
原口さんは小首を傾げ、必死に自分の記憶を辿り始めた。
「えーーっと……、確か、先生と井上さんがどうして別れたのかというあたりまでは」
「はあ、そうですか……。なるほどね」
私は納得した。私の記憶でも、確か彼はその話の途中から関西弁になっていたように思うから。
じゃあ、その後に私が「原口さんの関西弁は好き」って言ったことも、彼は覚えていないのか……。――私も麦茶に口をつけた。
「私ね、その時に言ったんですよ。『原口さんの関西弁は引かない。むしろ好きだ』って。――覚えてないならいいです」
誤解のないように、〝好き〟は嫌いか好きかの〝好き〟だと補足することも忘れない。
「そういう意味の〝好き〟だったら、僕にもありますよ」
「……え?」
原口さん、それはどういう意味? ――私は彼の次の言葉を待った。
「先生が直筆で書かれる小説、僕は大好きなんです。編集者の役得ですよね、これって」
「ああー……」
そっちか。そっちね。――私はちょっとだけ肩を落とした。
私ってば何を期待していたんだろう?
「内容はもちろんですけど、先生の原稿そのものから勢いというか、パワーみたいなものを感じるんです。『書くのが楽しい!』っていうのがガツンと伝わってくる」
「へぇー、そうですか……。それはどうも」
彼の熱弁には若干引いたけど、正直私は嬉しかった。
私の小説を一番愛してくれているのは原口さん。――それが本当だったんだと分かったから。
たとえ私自身のことを「好き」って言ってくれたんじゃなくても、好きな人の口からその言葉が出ただけで嬉しいやら照れ臭いやらでなんかむず痒い。
「でも、パソコンの練習してるってあれ、本当だったんですね」
「はい。……って、信じてなかったの!?」
私は思わず飲んでいた麦茶を噴きそうになった。敬語も抜けちゃったけど、今はそれどころじゃない!
「信じてましたけど。執筆のためにじゃないなら、僕はタッチすべきじゃないかと思ったんで」
「…………」
これを優しさと取るか、冷たく突き放されたと取るか。私は反応に困った。
「編集者としてはやっぱり、うるさく言うべきなんでしょうね。作家の将来のためだ、って。――でも、僕個人としては、先生には今のままでいてほしいんです」
今のまま。――背伸びせず、ムリをしないで、ってことなのかな?
「だから、アルバイトのためにパソコンの練習をしてると聞いて、先生がムリなさってるんじゃないかと思って心配だったんです」
「〝心配〟って……。でも、私にとっては必要なことなんです」
私はつい、原口さんにグチっていた。
「私、まだパソコンに慣れてないからバイト先でいつも周りの人に迷惑かけてるんです。今日だって、お客様にお時間取らせちゃったし」
「そうですか……。それで今日、ちょっと元気がなかったんですね」
「えっ、気づいてたんですか?」
私は心底驚いた。――この人、私のことをよく見てるなあ。まだ二年ちょっとの付き合いなのに、私のほんの些細な変化も見逃さないなんて……。
「はい。先生ほど表情がコロコロ変わる人はいませんから」
「ああ……、そういうことか」
やっぱり私って分かりやすいらしい。
ちなみに今、このリビングはナツメ球の灯りだけで薄暗いので、きっと彼には見えていない。一緒に麦茶を飲んでいるこの十数分間にもコロコロ変化していた私の表情が。
「……で! 話戻しますけど、私が夜な夜なパソコンの練習をしてるのは、店長やバイト仲間に迷惑をかけないようになりたいからなんです。アルバイトだって、仕事である以上いい加減な気持ちでやりたくな……っクシュンっ!」
言い終わらないうちに、私は盛大なくしゃみをしてしまった。
……やば、湯冷めしたかな?
「大丈夫ですか?」
「あー、はい。さっきシャワー浴びたから、ちょっと冷えたかなーって。――あっ、大丈夫です! 私、これくらいじゃ風邪引きませんから」
「……そう言われても、心配になりますよ。湯上がりにそんな短パン姿でいられたら」
「はうっ!?」
私の心臓が跳ねた。どうしてこの人、この薄暗い中でそんなことまで分かっちゃうの!?
――まあ、「湯上がり」ってことは、シャンプーやボディーソープの香りで分かったんだろうけど(私自身も言ったし)。短パン穿いてることまでは分からないと思ったのに。
「原口さんっ!? み……み……見えてるんですか!?」
まさかネコじゃあるまいし、と心の中でセルフツッコミを入れたけれど。
「えっ、本当に穿いてるんですか?」
「はあ?」
なんだ、ただカマをかけられただけか。
「見えてませんよ。見えてたら、僕は平常心を保っていられなくなります」
「…………えっ?」
私は目をしばたたかせる。――それはつまり、理性が利かなくなるってことだろうか?
「僕も一応その……、男なんで」
もしかして原口さん、赤くなってる? 薄暗くて見えないのが残念。
そういえば、琴音先生にもこないだ言われたっけなあ。『ナミちゃんだって十分可愛いし魅力的よ』って。
自分ではあんまり自信なかったけど……。
――それにしても、このシチュエーションってなんか……アレじゃない? 薄暗い部屋に、男女二人っきり。映画とか小説とかだと、この流れでキスとかまで行っちゃいそうな感じなんだけど……。
「――巻田先生」
「はっ、ハイっ!」
唐突に名前を呼ばれ、私の心臓がまた跳ねた。と同時に、ついつい期待してしまう。
原口さんは一体、どんなふうに私にキスしてくれるんだろう、って。――まだ付き合っているわけでもないのに……。
――ところが。
「明日、バイトは? 日曜ですけど」
「…………へ? ああ、あの。出勤です」
そんな私に彼から投げかけられたのは、何とも色気のない事務的な質問。身構えていた私は拍子抜けしてしまった。
……原口さん、私のトキメキを返して!
「じゃあ、風邪引かないうちに寝て下さい。僕もそろそろ寝ますから。――あ、麦茶、ごちそうさまでした。おやすみなさい」
「……はい。おやすみなさい」
労わるような優しい声で、まるで兄のように彼は言い、空になったグラスをお盆の上に置いた。
私はひとりっ子で兄なんていないので、彼のその一言だけでまたキュンとなる。
再びソファーに横になった原口さんに毛布をかけてあげると、私は自分が使っていた分のグラスもお盆に載せてキッチンの流しまで持っていき、キチンと洗いものを片付けてから部屋に戻った。
時刻は十一時半。ベッドに潜り込んだけれど、ドキドキしていてなかなか寝付けない。
――さっきは期待して損した。でも……、彼は優しくて真面目な人だ。
酔い潰れていても、決して狼にはならなかった。むしろ、「泊まるなんてとんでもないです!」と遠慮していたほど、彼は紳士だ。
彼ならきっと、恋人になっても私のことを大事にしてくれる。潤みたいに非情な選択を迫ったりしないだろう。
「……あー、明日もバイトだ。早く寝なきゃいけないのに……」
何度か寝返りを打っているうちに、すっかり疲れ切っていた私はいつの間にかストンと眠りに落ちていた――。
****
――翌朝。
熟睡というほどの熟睡はできなかったけれど、私は何とか朝七時に目を覚ました。
それは決して、リビングで眠っていた原口さんのイビキがうるさかったから……ではなく。「好きな人が一つ屋根の下にいる」という状況と二年も離れていたから、久々に味わうスリリングな夜に馴染めなかったせいである。
ただ、私は基本的に朝には強い(ただし、締め切り明けには必ず撃沈している)。バイトの出勤日には、たとえ前の夜にお酒を飲んでいてもちゃんと朝早く起きられるのだ。
洗顔と身支度を済ませ、今いるのはキッチン。二日酔いになっているだろう原口さんのために、私の朝ゴハンも兼ねてシジミ入りのお味噌汁を作っているところだ。
「――うん、上出来」
味見をして、会心の出来に満足して頷く。ちゃんとお出汁がきいていて、お味噌の味も濃すぎず薄すぎずちょうどいい。
キッチンからは、原口さんが寝ているリビングが丸見えだ。
ここまで来る時、私は彼を起こさないよう細心の注意を払った。……まあどのみち、二日酔いで撃沈している彼のことだから、そう簡単に目を覚まさないとは思うけれど。
――余談だけれど、サラリーマンである私のお父さんもお酒に弱くて、お母さんがよく二日酔いのお父さんのためにこうしてシジミ汁を作ってあげている。……多分、今も。
アルコールが苦手でもお酒の席には付き合わないといけないなんて、サラリーマンって大変だな。私も一応社会人だから、少しはお父さんの苦労が分かる。
そして私が酒豪なのは、どうやらお母さん譲りらしい。
「――はぁ…………」
白菜のお漬けものを包丁でトントン刻みながら、私は悩ましいため息をついた。
昨夜、原口さんは部屋が薄暗くて私の姿が見えなかったから、どうにか理性を保てていられたらしい。
じゃあ、もし部屋がもっと明るくて、私の格好がよく見えていたらどうなっていたんだろう?
私はショートパンツ姿で、ナマ足を惜し気もなく(?)披露していたし、胸だってけっこうグラマーな方だと自負している。
それに、湯上がりだったからいい香りもしていただろうし。
数週間前の朝、私の寝起き姿を見た時だって、彼は落ち着かない様子だった。もしかしたら、本当にキスどころか一線を越えてしまっていたかもしれない。
「いやいやいやいや! ないない」
だって、あの原口さんだもん。優しいけど生真面目。そんな彼が、理性を失って豹変するなんて想像がつかないのだ。
「…………考えるの、やめとこ」
もう一度ため息をついて、私は暴走しがちな思考を打ち切った。
「――おはようございます」
刻み終えたお漬けものを小鉢に盛り付けている間に、原口さんが起きてきた。
「あ、おはようございます」
「昨夜はご迷惑かけてすみませんでした」
「いえ、別に迷惑だなんて……。――あ、ソファー、寝づらかったんじゃないですか?」
しきりに首の後ろをさすっている彼に、私は訊いてみた。
「あー……、はい。ちょっと首が……」
「やっぱり?」
ウチのソファーで寝た者の、当然の結果である。しかも、彼は長身なのにムリな体勢で寝ていたからなおさらだろう。
「あと、頭も痛くて……。二日酔いかな」
「……はあ」
それは知らんがな。弱いのに潰れるまで飲んだんだから、自業自得だろうに。
とはいえ、シジミのお味噌汁を作ったのは正解だったみたい。
「朝ゴハン、食べて行かれますか? シジミ汁と白菜のお漬けものですけど」
「ああ……、どうりでさっきからいい匂いがするわけだ。ありがとうございます。頂きます」
原口さん、食欲はあるみたい。私もホッとした。
「じゃ、今から支度するんで、その間に洗面所で顔を洗ってきて下さい。――あっ、玉子焼きか何か作ります?」
朝ゴハンとはいえ、男性はそれだけじゃもの足りないんじゃないだろうか?
「いえ、大丈夫です。二日酔いの胃には重いので。――じゃ、顔洗ってきます」
彼が洗面所に行くと、私はテーブルの上を整えながら反省した。
考えなくても分かるよなあ。二日酔いだったら胃が荒れてるから、そんなに食べられないことくらい。
――原口さんに食べてもらう分は、ウチに置いてあった男モノの食器に盛り付けた。
この食器は潤と付き合っていた頃、この部屋に入り浸っていたアイツのために買い揃えてあったものだ。
アイツとは別れてしまったけれど、物に罪はないので食器は捨てずに置いてあった。
果たして、これを見た時に原口さんはどんな反応をするんだろうか? 私を〝未練たらしい女〟だと思うだろうか――?
「――あ」
原口さんがサッパリした顔でダイニングに戻ってきた。
「洗面所お借りしました。――シェーバーがないのは……仕方ないですよねえ」
「あるワケないじゃないですか、そんなの」
私は真顔でツッコんだ。女の一人暮らしでしかも、この二年間男性が(お父さんも含めて)この部屋に泊まっていったことなんてないのだから。
「ですよねえ。ああ、僕ヒゲは濃くないので大丈夫です」
何が「大丈夫」なんだかよく分からないけれど、彼が納得しているならそれでいいか。
「――じゃ、座って下さい。ゴハン食べましょう、ね」
私と原口さんは二人掛けテーブルに向かい合わせで座り、二人で「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。
……のはいいとして。やっぱりというか何というか、原口さんから男モノの食器(主にお茶碗と箸)についてツッコまれた。
「そういえば、どうしてこの部屋に男モノの食器が置いてあるんですか? 先生って一人暮らしですよね。お皿やグラスはともかく」
友達や家族がよく遊びに来るし、原口さんだって仕事でちょくちょく訪ねてくるので、お皿やグラス・カップ類が多くストックしてあるのは不思議に思われなかったらしい。
「ああ。それ、元々は潤のために買い揃えてあったんですけど。物に罪はないし、捨てるの勿体ないでしょ? まだ使えるのに」
我ながら、言っていることが所帯じみているなと思う。結婚どころか同棲している彼氏もいないのに、主婦みたいだ。
「――そんなことより、味はどうですか?」
彼に私の手料理を食べてもらうのは初めてなので、お味噌汁をすすっている彼に感想を訊いた。
「うまいっす。先生って家庭的なんですね。料理は上手だし、片付けも得意みたいだし」
「いえいえ! そんな」
私は恐縮したけれど、内心ではすごく嬉しかった。……ただ、「先生って〝意外と〟家庭的」と言われた気がしなくもないけど。
「これくらい、いつもやってますから。普段から自炊してるんで」
ちょっと得意げに聞こえちゃったかな? 男の人って謙虚な女が好きらしいから、こんな自慢をすると嫌われちゃうかも。
「うちの母も、よく二日酔いになる父のためにシジミ汁を作ってました。私が料理上手なんだとしたら、きっと母に似たんだと思います」
「なるほど、そうなんですか。――お父様のご職業は?」
原口さんから、私の家族のことを訊かれたのも初めてだ。なんだかお見合いの時みたいな(経験はないけど)妙な気分になる。
「父は大手商社に勤めるサラリーマンです。原口さんと一緒で下戸なんですけど、接待とか仕事上のお付き合いとかで飲まされることが多いらしくて……。会社員の人って大変ですね」
原口さんも同じ会社員だ。業種こそ違うけど、少なからずお父さんにシンパシーを感じたらしく、「はい」と頷いている。
「私も父から、『作家なんて安定しない仕事なんだから、もっと実直な進路を選べ』って昔言われたんです。高校生の時だったと思いますけど」
「そうですね……。確かに、無事デビューできても安定して売れ続ける作家さんは数少ないと思います」
「でも昨日、私がバイトしてる本屋で私の最新刊、発売初日で入荷した分が完売したんですよ! すごいと思いません!?」
私だって天狗にはなりたくないけれど、これだけは胸を張って言いたかった。
「初日入荷分が完売!? それはすごいことですよ! もしかしたら重版されるかも」
「でしょ!? だから私、自分の仕事に誇りを持ってるんです。父も最近は、私が作家でいることを認めてくれてるみたいで」
「よかったですね、先生」
「はい」
家族に内緒で作家をしているよりも、家族に応援してもらいながら執筆の仕事ができる方が断然いい。
――昨夜から私と原口さんの距離が、ほんの少し縮まった気がする。
私は原口さんの今まで知らなかった面を、原口さんは私の過去や家族のことを知れた。
本当にほんの少しだけど、彼に近付くことができたと思ってもいいのかな……?