3・放っておけない人……⑵
「それは……、原口さん個人で解決できないなら、島倉編集長に間に入って話をつけてもらうべきなんじゃないですか? 後任者も見つけてもらわなきゃいけないし」
島倉編集長は五〇代前半のバリバリのやり手編集者で、蒲生先生がまだ売れていない頃には彼自身が担当についていたこともあったそう。
一度は組んでいたこともある彼の説得になら、蒲生先生も耳を傾けてくれると思う。
「そうですよね……。先生はガッカリなさったんじゃないですか? ずっと憧れだった蒲生先生がそんな人だったって知って」
「私のことはいいんです。それより、この問題を解決する方が先決でしょ? ――よし! 私から編集長に連絡してみますね」
私はバッグからスマホを取り出し,電話帳で島倉さんの連絡先を検索した。何かあった時のためにと登録してあったのだ。
「――あった! コレだ。発信しますね」
「あっ、待って下さい!」
電話をかけようとした私を、原口さんが制止した。
「えっ?」
「あの……、先生に相談しておいて何なんですけど。やっぱり、先生が首突っこまれるのは筋が違うと思うんで……」
「……ああ、そうですよね。なんか出すぎたマネしてゴメンなさい」
原口さんのいっていることはもっともだ。私はスマホを引っ込めた。
私としたことが。好きな人の力になりたいと思うあまり、つい余計なマネをしてしまった……。
「そのお気持ちだけで、僕は十分嬉しかったです。僕のことを心配して下さってのことですよね? ありがとうございます」
「ええ、まあ……」
原口さん、買いかぶりすぎ。――まあ、半分は当たっているけど、もう半分は自己満足でしかないのに。
私は照れ隠しで、またお酒のグラスに口をつけた。
酔っていることを口実にしたいのに、〝ザル〟だから酔わない自分が恨めしい。
「――それにしても、先生ってホントにアルコールに強いですよね。僕、羨ましいです」
私よりだいぶ赤い顔で(私の顔が赤いのは酔っているからでは断じてない)、原口さんが少々呂律が怪しい調子で言った。
「羨ましい? ――ああ、琴音先生も同じこと言ってましたけど。お酒が強い女性って、男性的には色気がないだけなんじゃ?」
「そんなことないですよ。僕個人としては、ですけどね。むしろ、酔ってやたら絡んでくる女性の方がみっともないと思います」
「なるほど……。う~ん、確かに」
私にそんな芸当はできないけれど、少し酔っ払って男性にしなだれかかるくらいならまだいい。
ただ、完全な絡み酒となると同性の私が見ていても気分のいいものじゃない。
弱いのに男性に媚びるためだけに飲むんだったら、最初っから飲むなよと私は思う。
――今日一緒に飲んでみて分かったけど、原口さんは酔うとやたら饒舌になるみたい。普段は口数の少ない人なのに。
「……ねえ原口さん。あなたって完全に酔い潰れちゃうとどうなるんですか?」
「う~んと……。僕は全く覚えてないんですけど、どうも〝素〟が出ちゃうらしいです」
「〝素〟……って」
一体どんな状態? って訊いてみたいけれど、本人が覚えていないんじゃ訊いても仕方ないか……。
まあ、だいぶ酔いが回ってきているみたいだし、この後イヤでも分かるだろうけれど。
「――そういや、先生の元カレさんはどうだったんですか? 先生の酒豪っぷり見て引いてました?」
「え……」
どうして今更、潤のことなんか訊くんだろう? 私にとってはもうキレイさっぱり過去のことなのに。
でもきっと、彼は酔いが醒めたら訊いたことさえ忘れるんだろう。――そう思うから、私は答えてあげることにした。
「アイツは引いてなかったかなあ。あなたと一緒で下戸だったから、『お前の方が男らしいよな』って笑ってましたね」
潤も基本的にはいいヤツだった。私もアイツのことが好きだったから付き合っていられたのに……。
「井上さんとは僕も面識ありますけど。あの頃は先生といい感じに見えたのに、どうして別れちゃったんですか?」
私は答えに詰まる。――どう答えたらいいんだろう?
というか、いつかは誰かに訊かれるだろうと思っていたけれど。まさか、自分が想いを寄せている相手ご本人から(酔った勢いとはいえ)正面切って訊ねられるとは思ってもみなかった。
「えーっと……、簡単に言えば〝すれ違い〟……になるのかなあ」
ひとまずそう答えてから、私と潤が別れることになるまでの経緯を整理していった。
「潤とは大学に入ったばかりの頃、アイツの方から告られて付き合い始めたんです。私も次第にアイツのこと好きになっていって、二人はけっこういい関係を続けていってたと思います。――私の小説家デビューが決まるまでは」
「……というと?」
原口さんが首を傾げる。
私とアイツが別れた原因は、彼には理解できないだろう、実に下らないことだった。
「私は彼のこと好きだったし、夢も叶ったばっかりだったから、どっちも大事にしたかったんです。でも、彼は違ってました。『作家の仕事かオレか、どっちか選べ』って」
「そんな……! 井上さんも知ってたはずじゃないですか。先生が本気で作家を目指してたこと」
原口さんも私の話を聞いて憤慨している。
「それって、『作家を続けるなら自分と別れろ』、『自分と付き合い続けたいなら作家を辞めろ』ってことでしょう!? 勝手すぎるでしょう、そんなの!」
どうして原口さんがこんなに怒っているのかは分からないけれど、当時の私は怒りとは別の感情を抱いた。
「原口さん、あなたがそんなに興奮しなくても。――でもね、私は怒りを通り越してなんか悲しくなっちゃって。散々泣いた後、『なんでこんな勝手なヤツに縋りつかなきゃいけないの?』って思ったら、自然とどっちを選ぶか決まりました」
「……で、別れたと。でも、それでよかったと思いますよ。そんな自己中なオトコ、さっさと切り捨てて正解ですわ、ホンマに!」
相当酔いが回ってきたらしい彼は、やたら熱弁し始めた。
……けど、あれ? イントネーションがおかしい。というか関西弁?
「……ときに原口さん。出身はどこでしたっけ?」
「僕は兵庫の出身ですよ。っていっても、神戸みたいな都会じゃなくて。有名な漫画家の先生の記念館くらいしか名物がないところですけどね」
「へえ……」
「大学入学と同時に上京して来たんで、もう一〇年になりますかね」
――それからは、彼の身の上話を延々と聞かされた。とはいえ、私も知りたいと思っていたことだったので、全然迷惑じゃなかったけれど。
彼は上京してからずっと、「関西弁は東京ではバカにされる」と思い込み、なるべく標準語で話すようにしてきたらしい。
でも、幼いころに一度身についたネイティブな話し方というものは何の拍子に出てくるか分からないので(たとえば今日みたいに酔い潰れた時とか)、最近はもう関西弁は出るに任せているのだとか。
「――どうです、先生? 僕って実はこんな人間なんですけど、引きますか?」
原口さんはさっきから、関西弁を封印して必死に標準語で話そうとしている。イントネーションは関西寄りだけど。
「ううん、引きませんよ」
私は別に、関西弁に偏見なんてないし、これがきっと彼の言っていた〝素〟なんだと思うから。
「原口さん、上京してから苦労してこられたんですね。話してくれてありがとうございます。――私はあなたの関西弁、好きですよ」
「えっ!? ……す、好きって!?」
「…………え?」
私いま、何言った? というか、原口さんはどうしてこんなに取り乱してるの?
「――あっ! 『好き』っていうのはそういう意味じゃなくてっ! 嫌いか好きかでいうところの『好き』っていう意味でっ!」
「ああ、なんだ。そういう意味ですか……。ビックリしましたよー」
〝ビックリした〟とか関西寄りのイントネーションで(それはもういいか)言うわりには、少なからずショックを受けている様子の原口さん。
……ちょっと待って! ショックを受けたってことは、さっきの「好き」を私からの告白と解釈したかもしれないってこと!?
ああ、否定しない方がよかったのかなあ。――いやいや! そんなことないよね。
酔い潰れてる時にされた告白なんて、酔いから醒めれば忘れられてしまうから。記憶に残らない告白なんて、しても惨めなだけだ。
告白するなら彼が素面の時に、ちゃんと記憶に残る形でしなきゃ意味がない。
――そういえばさっきから、話が脱線しまくっている気がする。
「……えーっと、話戻しますけど。私ね、潤とのことがあってから、『現実の恋愛って面倒だなー』って思い始めたんです。小説っていいよなーって。だって、紙の上にどんな恋愛を書いたって誰にも迷惑かけないから」
決して現実逃避をしたくて小説を書いているわけじゃないけれど……。
「じゃあ今、先生は現実で好きな人いないんですか? べっぴんさんやのに勿体ない」
……原口さんよ、どうしてそこでまた関西弁になる? ――あーあ、こりゃ相当潰れてきてるな。
というか、「べっぴんさん」なんて……。
同性の琴音先生に言われた時は照れ臭いだけだったけれど、やっぱり好きな人に言われると嬉しいな。たとえ酔った勢いで、明日になって彼が覚えていなかったとしても。
「そんな、べっぴんさんさんなんて! ……えっと、恋愛っていうか好きな人はいますよ。多分まだ片想いですけど」
それがあなたです、とは言わないけれど。私は正直に答えた。
「そうですか」
原口さんはそれだけしか言わなかった。
……まあ、こんな状態になった彼が何を思い、私の言葉をどう捉えたかなんて分かるはずもないのだけれど――。
「はい、そうです」
ねえ、原口さん。今度この言葉を伝える時は、こんな遠回しな言い方じゃなくてもっとハッキリ分かりやすく伝えるから。心の準備をしておいてね。――そういう意味を込めた眼差しを彼に送り、私は頷き返した。
「――っていうか、原口さん。あなた、夕方に来た時よりスッキリした表情してますよ」
「えっ、そうですか? 先生が話聞いて下さったおかげさんですね。ありがとうございます」
「いえいえ! 私は何も!」
むしろ出すぎたマネをしようとしたんですけど。これで感謝されていいんですか、私?
――何はともあれ、お酒ですっかりでき上っちゃってるとはいえ、原口さんが上機嫌になってくれて、私はホッとした。
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――テーブルの上のおつまみも乾きものだけになり、六本あった徳用缶チューハイも残り二本になった頃。時刻は夜の九時半過ぎ。
「原口さん! そんな酔い潰れちゃって大丈夫なんですか!? ちゃんと帰れますか!?」
彼はアルコールに相当弱いらしい。三時間以上も飲み続けていたら、もうベロンベロンになってしまっていた。
下戸だとは聞いていたけれど、こんなに前後不覚になるまで酔っ払ってしまうとは!
「はぁ~い、俺はダイジョ~ブです~。ぜ~ん然酔っ払ってなんかいまへ~んよ~~」
「……ダメだこりゃ」
完全に酔っ払いですがな。呂律回ってないわ、関西弁になってるわ。
とどのつまりは、一人称が「俺」。――彼が「俺」って言うのは怒っている時だと思っていたけれど、「酔うと〝素〟が出る」って聞いたからやっぱりこっちが彼の素なんだろう。
……それはともかく。
「原口さん、全然大丈夫じゃないじゃないですか! 電車通勤でしょ!? 駅に着くまでに事故にでも遭われたら私が困るんで!」
このまま寝てしまったら、彼はどちらにせよ今日は帰れなくなってしまう。終電は確実に逃すだろうし、タクシーに乗っても行き先をちゃんと運転手さんに伝えられるかどうか怪しいところだ。
……と引き止めてみたところで、どうしたものか? 考え抜いた末に出た答えは一つしかなかった。
それはあまりにも大胆な提案だったのだけれど。
「原口さん、今夜はウチに泊まっていって下さい」
「…………へっ? なんですってぇぇぇ!?」
一瞬キョトンとした後、原口さんが思いっきり取り乱した。彼の酔いは、さっきの私の発言で少し醒めたことだろう。……多分。
私は別に、男の人をこの部屋に泊めることには何の抵抗もないのだけれど。彼にとってはそのこと自体が衝撃的だったのだろうか?
「そそそ、そんな! 独身女性の部屋に男が泊まるやなんてとんでもないっ! 何か間違いがあったらどうするんですか!?」
彼は大まじめに抗議するけれど。酔い潰れた状態で言われても説得力は半分以下だ。
「間違いって?」
「いや、だからそそその……何や。俺が先生の寝込み襲ったりとか、アレするとか」
〝アレする〟とはつまり、一線を越えてしまうことを言いたいらしい。
「先生はそれでもええんですか!?」
「それは……えっと」
私にそういう願望がないのかと訊かれれば答えは「ノー」なのだけれど。――まあ、相手は自分の想い人だし?
でも、今この段階で、酔いで我を忘れている原口さんを相手にそれはない。
「……って、それどころじゃないでしょ!? 今晩『泊まって』言ったのは、ただの親切心からだけですから! 下心なんてないですからね!?」
……そう。ただ単に、この酔っ払いと化した彼を放っておけないだけ。決して、彼が前後不覚なのをいいことに誘惑してしまおうなんて気は、私にはさらさらないのだ。
「……ホンマですかぁ? それ」
「ホントですってば!」
ジト目でしつこく訊かれ、私はムキになって答える。……いつもの私と原口さんとのやり取り。アルコールが入っているせいか、ヘンに意識しすぎることなく自然に接することができている。
――それにしても、私はさっきまでの彼の取り乱しっぷりが気になる。
「泊まっていって」と言っただけなのに、あの慌てようは……。どうも女性経験がないわけではなさそうだけれど。
だって、彼はイケメンだし長身だし(身長一五〇センチ台半ばの私より二〇センチは高いはず)、昔は彼女もいたらしいから、今だって女性が放っておかないと思う。
酔い潰れると前後不覚になるところなんかは手がかかるというか、母性本能をくすぐられるというか。そういうところも放っておけないし。
……ただ、彼にはSっ気があるから、女性が彼の扱いに困るかもしれないとも思う。
できれば、原口さんが今フリーでありますように。そして――、琴音先生とも何もありませんように!
琴音先生がライバルだったら、私はきっと敵わないから――。