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7・前に進む勇気⑵

「――そういえばさ、奈美ちゃんって責任感も自立心も強いけど、時々誰かに甘えたいとか寄り掛かりたいとか思わないの?」

「う~ん……、どうなんだろ。私、昔っから甘え下手(ベタ)なんだよねえ。特に男の人には」

 〝自立心が強い〟とは、原口さんにも言われた。彼は褒め言葉として言ったんだと思うけれど。

 裏を返せば、それは〝甘え下手〟という私の欠点でもある。女としては正直、あまり喜べない。

「男の人ってやっぱり、女性から〝甘えられたい〟〝寄り掛かられたい〟って思うものなのかな?」

「そうなんじゃない? 原口さんはどうか分かんないけど、奈美ちゃんに寄り掛かられたいって思ってる人はごく身近にもいるよ」

「ごく身近に?」

 誰だろう? 思い浮かぶのは〈きよづか書店〉の仲間くらいだけど――。

「まさか店長……とか?」

「そんなワケないでしょ? 店長、奥さんいるじゃん」

「あー、そっか」

 清塚店長の奥さん・()()()さんはたまにお店の仕事を手伝いにきている。店長とは本当にラブラブで、まさに〝おしどり夫婦〟という感じだ。

「じゃあ……誰?」

 首を傾げてラテをすすった私に、由佳ちゃんがボソッと言う。

「今西クンだよ」

「……え? ウソ」

 にわかには信じ(がた)く、私は由佳ちゃんの顔を見たけれど。彼女の表情は真剣そのものだった。

「それ、ホントなの?」

「うん、マジ。……あたしもね、本人から相談受けるまでは知らなかったんだけど」

 そういえば、私がバイト中にピンチに陥った時、真っ先に飛んできてくれたのも彼だった。

「今西クンは、奈美ちゃんに好きな人がいること知らないから。『何とか巻田先パイとの仲取り持ってもらえませんか!?』って言われてあたし困っちゃったよー」

「……そうなんだ」

 由佳ちゃんとしては、私が原口さんとうまくいくことを望んでるんだろう。そりゃ困るよね……。

「私はどうしたらいいと思う? 今西クンにホントのこと話すべきかな?」

「そうだね……。でも、奈美ちゃんは前に進もうとして勇気出したんだもん。告白の結果次第で考えたらいいんじゃないかな」

 例の「告白します宣言」のことだ。あれは私としてはかなり勇気の要る言動だった。

「うまくいくって信じてるけど。まずはその〝前に進む勇気〟を出せたことを評価したいな、あたしは」

「〝評価〟って何さ!? ……でもありがと」

 彼女のちょっと上から目線な言い方にはカチンときたけど、それも由佳ちゃんらしいなと私は思った。

 そして、こんなにいい仲間と一緒に働ける私は幸せだなとも思う。

 少し前までは、生活のために必要に()られて働いていた。だから、専業作家として食べていけるようになったら、いつでもバイトは辞めてもいいと思っていたのだ。

 でも今は、作家稼業(かぎょう)と同じくらい書店員の仕事も好きになり、前向きに取り組めるようになった。

 だって私は本を生み出す側と、その本を読者に提供する側の両方に関われる、とっても恵まれた存在だから。


「――原口クン、ゴメンね! いくら仕事の話でも、ウチに来られるのはマズいから」


 カフェの入り口から聞き覚えのある女性の声。しかも「原口クン」って?

 気になって目で追うと、会社帰りらしい琴音先生と連れ立って入ってきたのはやっぱり原口さんだった。

「まあ、でもいっか。ここ、ウチからも近いし」

「ああ、そうでしたね」

 どうして二人がこんなところに、と思ったら、琴音先生もこの近くに住んでたのか。

 私は知らなかったのに、原口さんは知っていた。自分の担当外の作家なのに。

「――奈美ちゃん、知ってる人達?」

 私の目線を追っていたらしい由佳ちゃんが興味津々(しんしん)で訊いてくる。

「うん。男の人の方が原口さんだよ」

「えっ? ……あ、ゴメン。で、女の方も知ってんの?」

 由佳ちゃんは興味本位で訊いたことを反省し、今度は声を(ひそ)めて訊いた。

「女性の方は、西原琴音先生。由佳ちゃんも知ってるでしょ? 私と同じレーベルから本出してる作家さんだよ」

「ああ、あの人が? ウチの店にも本あるよね」

「うん……」

 二人は私達のいるテーブルから離れた席に着いているので、話している内容までは聞こえてこない。ただ、歩いてくる途中に「仕事の話」って聞こえたような気がするけれど。

 二人と目が合うのが(こわ)くて、私はそのテーブルから目を()らした。――ああ、最悪! せっかく前を向こうとしていたのに、こんなことでその意欲が(しぼ)んでしまうなんて!

「――ね、奈美ちゃん。彼、こっち見てるけどいいの?」

「いい」

 私は固い表情のまま短く答えた。声をかけられたところで、この状況で何を話せばいいんだろう? 恨み(ぶし)だけは言いたくない。

「――あっ、女の人の方も気づいた! 原口さんに何か言ってるよ!」

「……由佳ちゃん、出よう」

 由佳ちゃんの実況に、というよりこの状況に()えられなくなり、私は席から立ち上がった。前払い式のカフェなので、そのまま帰ってしまうこともできる。

「えっ、どうしたの!? あたし何か余計なことした!? だったら謝るからっ!」

 私の機嫌を(そこ)ねたと気にしているらしい由佳ちゃんを、私はフォローした。

「違うよ。由佳ちゃんは何も悪くないの。――そろそろ帰って原稿書かなきゃいけないから」

「……あ、そうなの? じゃあ、あたしはここで。執筆頑張ってね!」

 私が店を出た理由は半分ムリヤリなこじ付けだ。それでも納得してくれたらしい由佳ちゃんとは、ショッピングモールの出入口で別れた。

 マンションまでの道をとぼとぼと歩きながら、私は自己嫌悪に陥っていた。

「――〝書かなきゃ〟、って……」

 書くのが好きで小説家をやっているはずなのに、義務的な言葉が出てきたことに愕然となる。

「あんな現場見ちゃったからだ……」

 あの二人がただ仕事の話をしていただけだってことは、理屈では分かっている。おそらく、〈パルフェ文庫〉の第二号の執筆を彼女に依頼していたんだろう。

 でも恋は理屈じゃ片付けられない。原口さんは、琴音先生がこの近くに住んでいることを知っていた。

 担当している作家でもないのに知っているってことは、彼女の家を訪ねていったことがあるってこと。それも、多分プライベートでだ。つまり、二人にはそういう関係だった時期があったってことになる。――おそらく二年前までには。

「あ~……、また二年前か」

 ここまできたらもう、〝二年前〟は符号(ふごう)としか思えなくなってきた。偶然も三回続けば必然っていうし――。

「はー、帰ろ」

 考えていると(むな)しくなり、私はため息をついてまたマンションを目指す。

 マンション一階の集合ポストから郵便物その他を取り出し、少々重い足取りで階段を上がっていく。

 部屋に着いたのは夕方五時半過ぎ。まだ晩ゴハンには早いし、食欲も湧かない。


 ――ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ ……


 マナーモードを解除し忘れていたスマホがバッグのポケットで振動している。電話の着信らしい。でも誰からか分からない。

 もしかして由佳ちゃん? それとも原口さん!? 早く確かめたくて、スマホを引っぱり出して画面を見た私は(こお)りついた。

「琴音先生から!? どうして……?」

 出ないで切ってしまうこともできる。でも私は、この現状から逃げたくない。早く疑惑を晴らしてスッキリしたい。

 そのためには、前に進むためには、彼女とキチンと話さなきゃいけないと思った。

「――はい、ナミです」

 私は腹を(くく)り、通話ボタンを押してスピーカーフォンにした。

『ああ、よかった! 切られるかと思った。もうマンションに着いた?』

 琴音先生は私が電話に出たことにホッとしたみたいだ。――「切られるかと思った」のは、私に対してやましいことがあるからだと思うのは(かん)()りすぎだろうか?

「はい、さっき着いたところです」

『そっか。――ねえナミちゃん、さっきモールのカフェにいたよね? お友達かな、一緒にいたの?』

「はい、バイト仲間です。琴音先生は原口さんと一緒でしたね」

 電話の向こうで、彼女がハッと息を呑むのが聞こえた。

『……やっぱり見てたんだね。参ったなあ。でも安心して。原口クンとは仕事の話しかしてないの。新レーベルの第二号を書いてほしい、って。創刊号はナミちゃんが任されてるんだってね』

「はい。――でも私、さっきのお二人の様子で気になってることがあるんです」

 一方的に彼女の言い分ばかりを聞くために私は電話に出たわけじゃない。

「どうして原口さんは、琴音先生がこの近くにお住まいだってこと知ってたんですか? 私だって知らなかったのに。しかも彼はあなたの担当じゃないのに! どうして!?」

 言っているうちに、だんだん頭に血が昇ってくるのが分かる。――落ち着け、(あたし)

「それだけじゃないんです。あなたが彼を呼ぶ時の呼び方もずっと引っかかってたし、どっちも二年前から恋人がいないっていうのも偶然が重なりすぎてる気がして」

『――、分かった! 認めるわ。あたしと原口クンはね、二年前まで付き合ってたの。ちょうどナミちゃんがデビューするくらいの頃までね』

「……!? ウソでしょ……」

 〝ああ、やっぱり〟と納得するには、その事実はあまりにも衝撃的すぎた。特に、後半部分がグサッと胸に突き刺さった。

『ずっと黙っててゴメンね。話したら、ナミちゃんに嫌われるんじゃないかと思って、話す勇気がなかったの』

「話してくれなかった方がショックですよ。私、琴音先生のこと信じてたのに」

 こんなに大事なことを打ち明けてもらえなかったなんて、裏切られたような気分だ。

「でも、私のデビューが決まったのと同時期に別れたのって偶然なんですか?」

 私が一番引っかかっているのはそこだ。

『う~ん……、結論から言えば偶然じゃないのよ。あたし達の別れに、ナミちゃんは間接的に関わってる。残酷(ざんこく)だけど』

「えっ!? そんな……」

 私はまた打ちのめされた。琴音先生の言い方にトゲはないけど、「私のせいで二人がダメになった」という事実は、私にダメージを(あた)えるには十分すぎるくらいの破壊力を持っていたのだ。

『あなたを傷つけるつもりはないの。ただ、あなたが絡んでるって言ってるだけで、あなたが悪いワケじゃないから。あたしもナミちゃんのこと恨んでないし。あれは仕方なかったんだって思ってるから』

「…………はあ」

 私は混乱した。私が原因で二人は別れたのに、私は悪くないってどういうこと? 当時二人に何があったの?

『あたしはただ、彼のために身を引いたの。彼に前を向いてほしくて――』

「その話、もっと詳しく聞かせて下さい! お願いします!」

 私は彼女の話を遮り、電話越しに頭を下げた。彼女に対して抱きかけていたマイナスな感情は、もうどこかに消えてしまっていた。

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