6・伝えたい想い⑵
書くことを辞めようと思ったことは一度もない。それは、私が元々書くのが好きだったからだ。
原口さんや由佳ちゃんみたいに、私の書く小説を受け入れてくれる人が一人でもいる限り、私は小説家なのだ。
「あたしも奈美に影響されたうちの一人だからさ。アンタが頑張ってる姿を励みにしてここまで来られたんだよ」
「そっか……」
彼女は高校卒業まで、ずっと私を励まし続けてくれた。デビューが決まったと連絡した時にも、自分のことみたいに喜んでくれていた。
進路が別々になってからも、彼女はきっと書店で私が出した本をみるたびに「自分も負けてられない!」と奮起していたんだろう。
「ところでさ、これは取材とは関係ないんだけど。ウェディングプランナーってホテルでも需要あるよね? なんでそっちに就職しないでここを選んだの?」
他のスタッフさんもいる手前、この質問は声をひそめた。
この業種の給与形態についてはあまり詳しくないけれど、大きな式を任せてもらえる方がお給料もいいんじゃないだろうか?
そもそもそれ以前に、ホテル従業員の方が基本給自体も高い気がする。
「そりゃあね、ホテルのブライダル部門の方が、有名人のお式とか任せてもらえて箔はつくと思うけど。あたしがやりたい仕事はそんなんじゃないの。規模は小さくても、一件ずつ真心を込めてプランニングしたいんだ」
「へえ……、いいねそれ。なんか美加らしくて」
彼女は何事にもこだわる子だった。全てにおいて妥協せず、それでいて自己満足で終わらせることもせず。
今いるここでの仕事にも、きっと誇りを持ってやっているに違いない。
「結婚式ってさ、カップルにとっては人生の一大イベントになるワケじゃん? だからできるだけお二人の思い出に残るような、ご希望通りのお式にしたいの」
「うん。分かるよ」
カップルによって、挙げたい式のカタチはそれぞれ違うから。ホテルの式場よりもここみたいな小さな式場の方が、一期一会のプランニングはしやすいのかもしれない。
予算は限られるだろうし、難しいことも多いかもしれないけど、やり遂げた時の達成感もその分大きいんだろう。
「今ね、来月ここでお式を挙げられるカップルのプランニング、一件任されてるんだ」
「えっ、もう? スゴ~い☆ 頑張って!」
「うん!」
入社して一ヶ月でプランを任されるって、なんかスゴい。それだけ会社側も彼女に期待しているってことなんだろうな。
それを言ったら私も? 原口さんは私に期待しているから、創刊第一号を私に任せてもらえたんだよね……。
「でね、あたしにはまた一つ新しい夢ができたんだ」
「えっ、なになに? どんな夢?」
美加ってば、まだ夢が叶ったばかりなのにもう次の夢を見つけたの? 彼女の向上心は親友として喜ばしいし、ちょっとだけ……羨ましい。
「いつか、自分の友達の式をプランニングする夢」
そう言って、彼女は私に冗談とも本気ともつかない口調でのたまった。
「奈美。原口さんと結婚する時は、ぜひあたしにプランニング任せてよね」
「うん。……ええっ!? いや、結婚も何も、まだ告白すらしてないのに!」
私は思いっきりまごついた。
「大丈夫っ☆ きっとうまくいくよ。あたしが保証する!」
……いや。「保証」も何も、アンタ彼に会ったこともないでしょ? それなのにうまくいくなんて分かるの?
――とツッコみたかったけど、美加が「大丈夫」って言うなら私も何だか大丈夫な気がしてきた。
「……うん、ありがと。もしそうなったら、その時は美加にプランニング頼むよ」
「りょーかい☆」
美加は私におどけて見せた。そして再びレポーターと化す。
ただし、今度は真面目な質問だった。
「奈美には新しい夢ってないの?」
夢……か。私は紙コップを弄びながら考える。
「人気作家の仲間入りをすること……かな」
一ヶ月前、電話で原口さんに宣言したことだ。それが多分、今の私の目標であり夢なんだと思う。
「でもいいのかなあ? 『作家になる』って夢だって、まだ叶ってるか叶ってないかビミョーな状態なのに、もう次の夢ができちゃうなんて。私って欲張りなのかな?」
「いいんじゃないの? 夢は果てしないんだから。向上心のある人間なら、やりたいこととかなりたい自分とか、次々浮かんできて当たり前だって」
「そっか……、そうだよね」
今、美加はすごくいいことを言った気がする。――私はその中で一番心に残ったフレーズをノートに書き留めた。
〝夢は果てしない〟
「――ところでさ、原口さんって今フリーなの? さっき訊き忘れてたけど」
美加は今更なことを訊いてきた。さっき、結婚式は云々とか盛り上がっていたのに。
「だと思うよ? 本人から聞いたワケじゃないけど、知り合いの女性作家さんが教えてくれたから」
「女性作家? ふーん」
彼女には何かが引っかかったみたいだけれど、私には何が引っかかったのか分からなかった。
「……? 何か気になる?」
「ううん、別に」
私の気のせいだったのかな? この件についてはこれ以上突っ込んで訊いても答えてくれそうにないので、私は追求を諦めた。
「――さて、取材はこんなもんかな。美加、今日はありがと。仕事のジャマしてゴメン」
「ううん、こっちこそゴメン! 色々突っ込んだこと訊いちゃったみたいだし、結局奈美の役に立てたかどうか……」
美加は殊勝にシュンとなったかと思えば、次の瞬間にはけろりんぱと表情を変えた。
「実は仕事は早めに終わってたの。午前中にプランニングにはOKが出てて。午後は奈美が来るって分かってたから、会社に残ってただけなんだ」
本当は早く帰れたはずなのに、私のためだけに残っていてくれたなんて。
「そうだったんだ? ありがとね、ホントに助かったよ。――じゃ、私はそろそろ」
私はノートと筆記具をバッグにしまい、紙コップを手にして立ち上がる。
「仕事頑張ってね! 私もいいエッセイが書けるように頑張るから」
「うん! 本出たら絶対買うよ☆ ……あ、紙コップはあたしが片付けとくから」
「うん? 悪いね、ありがと」
彼女はここのスタッフなんだし、そうするのが筋なんだろう。そう思って、私は持っていた紙コップを美加に手渡した。
結婚式場を出ると、時刻は午後三時を過ぎていた。〝取材〟という名目で来たわりに、けっこう長居をしてしまったらしい。
ちなみにこの後、取材の予定は入っていない。バイト先の書店は土日は忙しいし、学校の先生は平日じゃないと会えない。
というわけで、今日の取材はこれで終了。私は初夏の陽気の中を家路についた。
****
――その翌日からも、私はバイトに勤しむ傍ら取材としてあちこちを訪ね、色んな人から話を聞いた。
中学・高校時代の恩師、昔よく本を借りていた図書館の司書さん、昔親しかった友達、バイト仲間(由佳ちゃん・今西クン・清塚店長も含む)――。
そうして書き溜めた取材メモを元にして、依頼されてから一〇日ほどでプロットの作成にまで漕ぎつけた。
メモのページをめくりながら、そこに書いたフレーズを大まかな文章に起こしていくのだけれど、私はかなりの苦戦を強いられていた。
何せ、エッセイ執筆は初挑戦。なので、小説を執筆する時とは勝手が違うのだ。
小説はジャンルにもよるけれど創作なので(ノンフィクションは除く)、自分の想像力で文章を組み立てることができる。でも、エッセイは材料となる事柄がすでに揃っているので、それありきで文章にしなければならない。
それをそのまま文章にしてしまうと自己満足の作文やレポートみたいになってしまう。これでは書き手の想いがなかなか読者に伝わらない。
だからといって、事実を脚色してドラマチックに書くと、それはもはや創作のカテゴリーに入ってしまう。どうしたものか?
♪ ♪ ♪ ……
「――あっ、電話だ」
頭を抱えてウンウン唸っていると、机の上の充電済みのスマホが鳴った。着信音で分かる。原口さんだ!
私は通話ボタンをタップしてから、そのままスピーカーフォンにした。
「はい、巻田です」
『巻田先生、お疲れさまです。執筆の方、今はどんな感じですか?』
応答すると、第一声は本当に編集者の彼らしいセリフ。
「えっと、あちこち取材し終えてプロットにかかってるところです」
『そうですか。仕事が早いですね』
……ん? この電話の声、ものすごく近い気がする。彼はどこから電話しているんだろう?
『実は今、先生のマンションの近くまで来てるんですけど。先生にお渡ししたいものがあるんですが、これからおジャマしても大丈夫ですか?』
私は時刻を確認した。夜の八時過ぎ。お宅訪問の時間としては、まあ常識の範囲内だ。
潤にツッコまれたとしても、今回は大丈夫だろう。彼は多分、仕事で来るはずだから。
「いいですよ。どうぞ。玄関のロックは外しておきますから」
『ありがとうございます。では、あと一〇分くらいで伺えると思いますので』
「はい、待ってます」
終話してから、私は首を捻った。
原口さんが私に渡したいものって何なのかな?
とりあえず、玄関のロックは外しておかないと。「不用心だ」と言われそうだけど、このフロアーの住人に不法侵入をするような不届き者はいないので安全だ。
――それから本当に一〇分くらいして、玄関のインターフォンが鳴った。
「はい」
モニターで確認すると、訪問者はやっぱり原口さん。ちゃんと電話で予告してくれているのに、わざわざインターフォンまで鳴らすなんて律儀な人だ。
『原口です。こんばんは』
「ロック開けてあるのでどうぞ」
「おジャマします。夜分にすみません」
自分でドアを開けて、彼は入ってきた。
今日は何だか荷物が多い。特に、持ち手つきの紙袋がやけに重そうだけど、一体何が入っているんだろう?
「いいですよ。そんなに遅い時間でもないですし。どうぞ座って下さい。いまお茶淹れてきますね」
「いえ、お構いなく。――それじゃ、失礼して」
彼はお茶は遠慮したくせに、ソファーには遠慮なく座る。――まあ、このソファーは彼の指定席みたいなものだし、ここで一晩寝たこともあったし。
「本当はもっと早い時間に伺いたかったんですけど。今日上がる予定だった他の先生の原稿が少し遅れてしまって、一旦会社に戻ってから伺ったもので」
それを聞いて、私の頭に真っ先に浮かんだのは蒲生先生の顔だった。
「言っときますが、蒲生先生じゃないです」
「ああ、なんだ。よかった」
私は胸を撫で下ろす。あの先生のせいで彼は〈ガーネット〉から追い出されたのに、まだ嫌がらせをされているのだとしたら、私がたまったもんじゃない。
「じゃあ、神保町からわざわざ? 大変だったでしょう」
「ええ、まあ。大変といえば大変なんですけど。おかげで明日は早めに出勤して、その原稿のゲラ起こしをしないといけないので。ですが、巻田先生には今日中にこれをお渡ししたくて」
原口さんはそう言って、例の重そうな紙袋を私の横へ移動させた。
よくよく見れば、そこには大手書店の店名ロゴが印刷されている。……ということは。
「これ、全部本……ですか? 三冊も!」
中身を取り出すと、ハードカバーの本が三冊だった。どれもエッセイ本らしく、著者はバラバラだ。
「はい。先生が書かれるエッセイの参考になりそうなのを、僕が三冊ばかり自腹で選んできました。著者によって文体が違うので、どれが参考になるか分かりませんが……」
わざわざ私のために自腹まで切ってくれたなんて、彼の心遣いには恐れ入る。
「いえ、ありがとうございます! 助かります。エッセイなんて初めてだから、どう書いていいか悩んでたところだったんです」
まるでタイミングを見計らったような担当編集者の機転に、私はもう感謝しかない。
時間がある時に全部ザッと読んでみて、私の文体に一番近いのを参考にしよう。
「――ところで、プロット、できたところまで見せて頂いてもいいですか?」
「あっ、はい! ちょっと待ってて下さい。取ってきますから」
私は仕事部屋に急いで戻り、机の上に広げてあったプロットノートをリビングまで持っていく。
一応少しは文章らしくまとめてあるけど、それをどう繋げていくかが悩みの種だったのだ。
「これです。まだあんまり進んでないんですけど……」
私は原口さんの隣りに座り、彼にノートを手渡す。
「ありがとうございます。拝見します」
彼は受け取ったノートを大事そうに扱い、付箋で目印をつけているページをめくった。そこでまず彼の目に留まったらしいのは、私がつけたタイトル。
「このタイトル、面白いですね。先生がお考えになったんですか?」
「ええ。〝考えた〟っていうか、〝降ってきた〟んですけど」
物書きという仕事をしていると、ごく稀にフッとアイデアが降りてくることがある。まさに「天から降ってきた」という感じで神がかっているのだけれど、このタイトルが決まった時もそんな瞬間だったように思う。
「すみません、相談もなしに勝手に決めちゃって。ヘン……ですか?」
やっぱり、相談してから決めるべきだったのかな……と反省したけれど。
「いえ。先生らしくていいと思います。タイトルはこれでいきましょう」
「はい! ありがとうございます!」
自分のセンスを好きな人に褒められて、しかもタイトルにGOサインを出してもらえて、私は小躍りせんばかりに喜んだ。
「実はね、このタイトルには私が読者の皆さんに一番伝えたい想いが込もってるんです」
「伝えたい想い……ですか」
「はい」
私は頷く。でも、そのメッセージを伝えたい相手は読者の皆さんだけじゃない。ここにいる原口さんにも……。
でも、それは私の口から直接伝えないと意味がないことだ。
――彼は引き続き、ノートのページをめくっていた。
「一応ね、要点だけは章分けして文章にしてみたんですけど。これを全部繋げて一続きの長い文章にしようと思ったら、どう書いていいか分からなくなって」
編集者の彼なら、何かいいアドバイスをくれるかもしれないと期待したけれど。
「そうですね……。先生は読者を感動させられる文章力をお持ちなんですから。あとは組み立て方次第なんじゃないでしょうか」
「そんな! 買いかぶりすぎですよ!」
……原口さん、褒めすぎ! 私は思いっきり謙遜した。
だって、自分ではそんなにすごい文才の持ち主だと思っていないんだもん。……嬉しいけど。
「でもせっかく参考資料を持ってきて下さったんで、これを頼りに頑張ってみますね」
「まだ十分に時間はありますから、じっくりやって下さい。僕も時々、進行具合をお訊ねしますから」
「はい」
彼が来るまで、前に進めるか心配だったけれど。少し今後の道筋が見えてきたような気がする。
――と、そんな時。
グゥゥ~~ッ…………
小さくて奇妙な音が――。ん? お腹の鳴る音?
私はもう晩ゴハンを済ませてある。ということは……。
「すみません、先生」
恥じ入るように、原口さんが詫びた。さっきの音の正体は、彼のお腹の虫が鳴いた音だったらしい。
「もしかして、晩ゴハンまだなんですか?」
「はい……。さっきお話しした先生のせいで食べるヒマがなくて。お恥ずかしい」
――やっぱりこの人、放っておけない! こういうところが私の母性本能をくすぐるんだということを、ご本人は自覚していないらしい。そこがまた私のツボなのだ。
「ねえ原口さん、よかったらウチでゴハン食べて行きますか? って言っても、ほとんど私の残りもので申し訳ないんですけど……。あっ、玉子焼き作ります?」
生真面目な原口さんも、さすがに空腹には勝てないみたい。
「いいんですか? ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えてごちそうになります」
「はい! すぐにできるんで、ダイニングで待ってて下さいね!」
私は彼にそう言い置いて、キッチンに立った。手早く卵をときほぐして焼き、他のおかずもパパッと盛り付ける。
彼に手料理を振る舞うのはこれで二回目。――といっても、今回はほぼ手抜きだけど。
好きな人に自分の料理を食べてもらう時って、いつもドキドキする……。




